第125話:幸せの後の騒動
遅い時間まで外にいた事もあり、二人はやや駆け足でアッシュベリーまで戻ってきた。
空いている店は酒場だけ、外を歩いている者は酔っぱらいくらいなものだ。
当然、リッコに声を掛けてくる者もいたのだが、手を伸ばしてきた男性の腕を一瞬で捻り上げると、以降から誰も近づいてすら来なくなった。
しかし、それはリッコに対してというだけの話で、カナタに近づいてくる者は例外である。
「――お前、カナタか?」
「あ……ルキア兄さん」
ブレイド家の三男で勝気な性格のルキアが、酒瓶を片手にカナタに声を掛けてきた。
恐れていた事態に、カナタはルキアの名前を呟くだけでそれ以上は何も言えなくなってしまう。
しかし、ルキアからするとブレイド家へ科された処分から一人だけ逃れる事ができた憎き相手である。
実際はブレイド家から勘当されてルキアと同じ平民になっているので、言ってみれば同じ扱いになるのだが、今の彼はそのように考えられる余裕が全くなかった。
「お前、こんなところで何をしているんだ!」
「えっと、その、王都に向かう途中で、立ち寄っただけだよ?」
「あぁん? 王都だぁ? はっはー! お前、自分がまだ何かできるとか勘違いしているんじゃないだろうなあ! お前の腕じゃあ王都で仕事なんて一つもねぇし、ど田舎の小せぇ村でも同じ事だ!」
ルキアが大声でカナタの名前を叫んだ事で、周囲の者もブレイド家の五男が戻ってきたのかと遠目から面白そうに眺め始めた。
「それになんだあ? てめぇには似合わねぇ女を連れてるじゃねぇか? どんな悪い事に手を出したんだぁ、あぁん?」
カナタの隣で睨みを利かせていたリッコをニヤニヤした顔で見ながら、ルキアは手を伸ばそうとした。
リッコは先ほどの男性と同じように腕を浮かんで捻り上げようとしたのだが、彼女が動く前にルキアの腕をガシッと掴む人物が現れた。
もちろん、カナタである。
「……おい、てめえ! 誰の腕を掴んでると思ってるんだあ!」
「……あんたの腕だよ、ルキア兄さん!」
「あ、あんただと? てめぇ、舐めてんじゃねえぞ!」
「あんたこそ、俺の彼女に手を出そうとしてんじゃないぞ!」
ルキアと顔を合わせた瞬間は嫌な思い出が蘇ってしまったカナタだったが、隣に立つリッコが視界に入った途端、今の自分は過去の自分とは違うのだとすぐに思い出す事ができた。
相手が誰であろうと、過去に自分を虐げて、良い思い出など何一つない兄であろうと、リッコに手を出そうとするなら立ちはだかってやろうと力が湧き上がる。
「てめぇの彼女だあ? はっはー! 笑わせてくれるぜ! お前みたいがガキに、こんな女がついてくるわけねぇだろうが!」
「あんたが何を言っているのかさっぱり理解できないわ。私はカナタ君の彼女で、婚約者よ。さっさと消えてちょうだい。行きましょう、カナタ君」
「そうだな。行こう、リッコ」
カナタの言葉を受けて、リッコは自ら手を出す事はせず、言葉だけでルキアを否定して立ち去ろうと歩き出す。
「……てめぇら、どいつもこいつも、俺をバカにしやがって! ボコボコにしてやるぜ!」
しかし、ルキアは歩き出した二人の後ろから拳を握りしめて襲い掛かって来た。
「――遅いよ、バカ兄貴」
こうなるだろうと予想していたカナタは、ため息をつきながら半身を取り横目でルキアを睨みつけると、突き出された右腕を素早く掴んで後ろ手に締め上げる。
「いでっ! いででででっ!」
それだけでは終わらず、膝を後ろから蹴とばすとそのまま押し倒して頬を地面に擦りつけた。
「ぐあっ!」
「……すごいな。アルフォンス様からの指導が、完全に活きたよ」
「うんうん、ちゃんと身になっているじゃないのよ、カナタ君」
「はは。まさか、人間相手に……しかも、実の兄を相手に使う事になるとは思わなかったけどな」
締め上げられる痛さに暴れているルキアをしり目に、二人は普段通りの声音で会話を続けている。
「いでっ! おい、離せよ、離しやが――いででででっ!」
「いいか、バカ兄貴。俺は今、過去最大に怒ってるんだ。人の女に手を出したんだから、言う事があるよな?」
「だ、誰がてめぇなんか――いでっ! 止めろ、マジで止めてくれ!」
「なら、分かっているよな?」
「分かった! すまん、悪かった! 俺が悪かったから、止めてくれ!」
悲鳴のように謝罪を口にしたルキアを見て、カナタは小さく息を吐き出しながら手を離すと、すぐにリッコの隣に移動してすぐには立ち上がれない彼を見下ろした。
「俺はブレイド家を勘当された時の俺じゃない。勘当されて、変わったんだ。ルキア兄さんは、何も変わっていないんだな」
その言葉を最後に、カナタはリッコと歩き出したその場を去っていった。
「……くそ……くそっ! どうして、どうしてあいつだけが……くそったれがああああっ!」
悲壮な叫び声をあげたルキアだったが、その声は酒場街の喧騒に紛れて消えていったのだった。
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