第105話:カナタとリッコ

 その後の予定もライルグッドとヴィンセントで話し合われると、その場は解散となった。

 執務室を出た時にはカナタの部屋の手入れも終わっており、そのまま案内されて今はベッドで横になっている。

 懐かしい天井のシミをぼーっとしながら見つめていると、ふと兄たちの事が頭をよぎった。


「……あの三人、元気にしてるのかなぁ」


 鉱山送りを逃れて平民になったヨーゼス、ルキア、ローヤンの三人。

 仲が良かったわけではなく、むしろ鍛冶師の腕に劣るカナタの事を無碍に扱ってきた。

 心配するほどの人間ではなかったのだが、実家に戻ってきたからか多少は感傷的になっているのかもしれない。

 三人の事を考えるよりも、今のカナタならアルバ、キリク、シルベルら三人の事を考えるべきだと自分に言い聞かせる。


「……スライナーダを離れてまだ数日なのに、もう懐かしく思えてくるなぁ」


 そんな事を考えていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。

 カナタはベッドから起き上がると、そのままドアの前に移動して開ける。


「はーい。……どうしたんだ、リッコ?」


 廊下に立っていたのはリッコだった。

 しかし、いつものような笑みを浮かべているでもなく、かといって心配そうにこちらを見つめているわけでもない。

 出会ってから今日まで、あまり見る事のなかった、少しばかり火照ったように頬を染めている。

 女性を感じさせる魅力的な雰囲気に少しだけドキリとさせられたカナタだったが、廊下に立たせたままにするのも申し訳ないと部屋に通した。


「ありがとう、カナタ君」

「いや、それはいいんだけど……それで、何か用事か?」

「用事ってわけじゃないんだけどねー……こ、ここのお風呂、気持ちよかったわよ!」

「……風呂? いや、別に風呂はどこの風呂も変わらないんじゃないか?」

「……ま、まあ、そうね」


 何が言いたいのかが全く分からずに首を傾げてしまうカナタ。


「まさか、それを言いにわざわざ来たのか?」

「ち、違うわよ!」

「だったら何なんだ?」


 はっきり違うと言えるだけの理由があるのかと内心で思いつつ、カナタは話を促した。

 すると、リッコは視線を泳がせながら、躊躇いがちに口を開いた。


「……そ、その……カナタ君、大丈夫?」

「大丈夫って、何が?」

「……だって、急にあなたの事を追い出した元ブレイド家の領地に来たり、実家の館に泊まったり、家族の事を色々と言われて……落ち込んでいるんじゃないかって思ったのよ」

「いや、全然? むしろ、バカ親父たちがやった事への当然の報いだと思ってるけど?」


 カナタは即答でそう返したが、リッコの心配はそれでも止まらない。


「でも、実の家族だよ?」

「そうだけど……その、俺には新しい家族がいるだろ? その、スレイグさんたちが言ってくれたみたいに、リッコたちが俺の新しい家族だろ?」

「も、もちろんよ!」

「それならいいじゃないか。俺は元家族の事なんて全く気にしてないさ。もしかして、その事が心配で来てくれたのか? リッコは優しいんだな」


 少しからかうつもりでそう口にしたカナタだったが、リッコは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。

 いつもとは違う態度に疑問を抱きながらも、普段のように言い返されないのでカナタは少しだけ調子に乗ってしまった。


「……私、優しいかな?」

「ん? あぁ、もちろん優しいよ。俺なんかのためにここまで一緒に来てくれたし、出会ってきた中で一番優しいと思う」

「……本当に?」

「本当だよ。どうしたんだ? 今日はやけにおとなしいんじゃないか?」


 ベッドの端に腰掛けて笑い返したカナタは、そっぽを向いていたリッコが横目でこちらを見ている事に気がついた。

 だが、その瞳には妙に艶めいたものを感じてしまう。


「……マジでどうしたんだああああぁぁっ!?」


 普段とは明らかに違うと察したカナタが立ち上がろうとしたのだが、そこへリッコが倒れ込んできた。

 あまりに突然で受け止めることができず、二人はもつれるようにしてベッドに倒れてしまった。


「あいたたたた……ちょっと、リッコ? 大丈夫か、リッコー?」

「……むにゃむにゃ……すー……すー……」

「……はい? あれ、この匂いって、もしあして!」


 カナタの胸に顔を埋めたリッコは寝息を立てているのだが、その呼気からは酒の匂いが混ざっていた。


「……酔ってたのかぁ~」


 普段と違った理由が分かりホッとしたのも束の間、カナタはお腹の部分に押し付けられている柔らかな感触に気がついてハッとした。


「ちょっと、リッコ! おい、起きてくれよ! なあ、リッコー!」


 このままでは理性が保てないかもしれないと焦り、大きく体を揺さぶってみたものの、リッコが目覚める気配はない。

 それどころかさらに体を密着させてきたのだから堪ったものではなかった。

 これはさすがに叩いてでも起こした方がいいと思い拳に力を込めたのだが――


「……カナタ君……大丈夫……だからね。私が、守って……あげるから……むにゃむにゃ」


 ポロリと溢れた寝言を聞いて、カナタは握った拳から力が抜けてしまい、上げていた首をベッドにどさりと下ろした。


「……もう、俺も寝ようかな」


 これもリッコの優しさが生んだ出来事なのだろうと割り切り、カナタは目を閉じてそのまま眠りについたのだった。

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