第65話:ワーグスタッド騎士爵家
荷物を椅子の側に下ろしたカナタは、初めに自己紹介を受けた。
スレイグの妻でアンナ・ワーグスタッド。
長男からアルバ・ワーグスタッド、次男のキリク・ワーグスタッド、三男のシルベル・ワーグスタッドである。
第一印象からアルバとシルベルはアンナ似、リッコとキリクはスレイグ似なのだろうとカナタは思っていた。
「……どうしたの?」
「いや、やっぱり親に似るんだなぁって」
「私は当然、お母様似よねー!」
「「え?」」
驚きの声を漏らしたのはカナタだけではなかった。
「……キーリークー?」
「だって、姉貴はどうみても親父にだろう。なあ、カナタ
「俺もそう思うけど……って、カナタ、兄?」
「ん? 違うのか?」
ブレイド家にも弟がいなかったカナタにとって、兄と呼ばれる事に違和感を覚えないわけがない。
ただ、カナタとしては気分が悪いという事はなく、むしろ嬉しい気持ちの方が大きかった。
「俺はてっきりリッコ姉と付き合ってるんじゃ――」
「キリクはうるさいわよ!」
「……へ? 俺とリッコが?」
「な、なななな、なんでもないからね、カナタ君?」
「私はそれを望んで――」
「黙れバカ親父!」
何やら妙な期待をされていると気づいたカナタは苦笑いを浮かべながらはっきりと口にした。
「あの、俺は別にリッコと付き合っているわけじゃないですよ?」
「なんだとっ!?」
「そ、そそそそ、そうなんだからね!」
「……はっきり言われて本当はショックなくせに」
「黙れキリク!」
キリクの最後の言葉にリッコが立ち上がると、彼も席を離れて逃げ出した。
突然賑やかになったリビングを見ながら苦笑を浮かべているカナタだが、ワーグスタッド家ではこれが日常なのか特に何かを言及する様子は見えない。
「……また始まってしまったか」
「うふふ。賑やかね~」
頭を抱えるスレイグとは違い、アンナは微笑みを浮かべたままだ。だが――
「……でもねぇ、二人共~?」
「「――!?!?」」
「お客様の前で恥ずかしくないのかしら~? ねぇ~、リッコ~? キリク~?」
表情は変わっていない。それでもアンナから放たれる雰囲気が一変したのは明らかだ。
その証拠にリッコとキリクはその場で立ち止まると指先まで伸ばした直立不動の態勢になっていた。
「……うふふ。いい子ね~、二人共~」
「も、もちろんよ、お母様! 私たち、仲良しだものね!」
「お、おう! リッコ姉、大好きだぜ!」
「「……あ、あはは~!」」
最後にはお互いに肩を抱き合い左右に軽く揺れながら苦笑いを浮かべていた。
「……この家で一番強いのはお母様だから、怒らせないようにね」
「……わ、分かった」
三人のやり取りを呆気にとられながら見ていたカナタへ、アルバがこっそり耳打ちする。
言われなくても理解できていたカナタも小さな声で返事をした。
「聞こえてるわよ~、アルバ~?」
「あー……まあまあ、母上。カナタ君の前だしさ」
「……うふふ。それもそうね~。ごめんね、カナタ君」
「い、いえ! 全然大丈夫です! はい!」
「ははうえはいつもやさしいですね!」
「ありがとう、シルベル~」
先ほどのアンナを見ても動じていないシルベルだけは無邪気に彼女へ抱きついている。
これだけでも、ワーグスタッド家の中で一番の大物はシルベルなんじゃないかと思えてならない。
「そ、それはそうと、カナタよ。今回はよくワーグスタッド家の館へ来てくれた」
「あ、はい。リッコに言われた事もありましたが、リスティーさんとイーライさんの言葉もありまして……色々と考えさせられました」
「そうか。リスティーとイーライも、カナタの事を考えていたのではないか?」
「……はい。俺は、まだまだ皆さんに助けられているんだと自覚しました」
自分を優先して物事を考えていいのだとはっきり口にしてくれたおかげで決意が固まったのだと伝えると、スレイグは大きく頷いた。
「だから俺は、自分のためにワーグスタッド家にやってきました。ご迷惑を掛けるかもしれませんが、その時はすぐにでも追い出してくれて構いません」
自分を優先するという事は、時には相手が嫌だと思う事もお願いする事があるかもしれないという事で、不快に思えばすぐに追い出せとカナタは口にする。
スレイグは一度アンナと顔を見合わせると、柔和な笑みを浮かべてから口を開いた。
「……そんな事は気にするな、カナタ」
「……え?」
「子供が大人の事情を気にするなど、あってはならない事だ」
「特に私たちは辺境の騎士爵家だものね~、あなた~」
「その通りだ。王族であるわけもなく、公爵家のような大きな貴族でもない。であれば、子供は子供らしくあればいいのだよ」
「……子供らしく、ですか?」
「その通りよ~」
抱きついていたシルベルの頭を軽く撫でてから立ち上がったアンナは、ゆっくりとカナタの後ろへ歩いていく。そして――優しく彼を抱きしめた。
「この館にいる間は、ここを自分の家だと思いなさい。私たちを親だと思いなさい。そして、子供らしく親を頼って自分の未来を照らしていくのですよ~」
その声を聞いて、カナタは他人が向ける優しさとは違うものを感じていた。
ブレイド家では感じた事のない摩訶不思議なその感覚はとても心地よく、その身を委ねてもいいと思わせる温かさを併せ持っていた。
「……カナタ君?」
「……どうしたんだ、リッコ?」
「その……どうして泣いてるの?」
「……え? 俺、泣いてる、のか?」
アンナがカナタへ向けていたのは、母が子へ向ける大きな慈愛だ。
ブレイド家では向けられる事のなかった初めてのものだ。
だからこそ、カナタは自分でも気づかないうちに大きな慈愛に包み込まれて涙を流していた。
「……辛かったのね? でも、ここにいる間は忘れなさい。カナタ君は、私たちの子供なのだから」
「……ありがとう……ありがとう、ございます……アンナさん」
そこからの記憶をカナタはほとんど覚えていない。
唯一覚えていた事といえば、アンナの腕を掴みながら大粒の涙を流し続けた事だけだった。
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