第53話:一方その頃……③
館をラミアに乗っ取られたと言ってもいいヤールスは、衛兵詰め所の牢で項垂れていた。
牢に入れられてからすでに十日が経過している。その間、ヤールスはどうしてこうなったのかをずっと考えていた。
「…………カナタ……カナタ……あの出来損ない……カナタ……」
時間はあった。それにもかかわらずヤールスの思考に変化はなく、カナタさえ連れ戻せば元の地位に戻れると考えていた。
ここまで来ると思考は停止していると言っていいだろう。
「おい! 飯だぞ!」
見張りの衛兵がカビの生えたパンと欠けたグラスに注がれた埃が浮かんだ水を床に置く。
「……私は、ブレイド伯爵だぞ! このような飯、食えるはずがなかろう!」
「はん! てめぇのせいで領民は貧しい生活を送ってんだよ! これくらいで怒鳴ってんじゃねえ!」
ヤールスが怒鳴り声をあげるが、それ以上の大声で衛兵が怒声を発する。
「……な、何を言っているのだ? ブレイド伯爵領は、豊かであるはずだ!」
「それはてめぇの家だけだろうが! こちとら朝昼晩とパン一つ、酷い時には半分で生活をしているんだぞ!」
「あり得ん! 我が領地は領民も富み、食事だって豪勢なはずだ!」
「ふざけんな! くそっ、なんでこんな奴が当主なんだよ、領主なんだよ! あんたの代わりに成り代わった奥様も自分たちだけ贅沢三昧……なんで、そのツケを俺らが支払わないといけないんだよ!」
信じられなかった。
ずっと自分たちは間違っていないと思っていた――思い込んでいた。
だからこそ今の状況を維持するためにと画策してきたのだが、その全てがヤールスにとっては逆効果になってしまった。
領民は飢え、自分は牢に入れられ、妻のラミアに裏切られて伯爵家当主の立場から追いやられようとしている。
子供たちからも見捨てられているのだろう、この十日間で誰一人として見舞いに訪れる事もなかった。
「……私は、何をしていたのだ? 全てを、失ってしまったのか?」
「……ちっ! さっさと食え! ジャマなんだよ!」
それだけを言い残して衛兵は牢を去っていった。
残されたヤールスは床に置かれたカビの生えたパンと埃の浮いた水を見つめる。
「……カナタ……そうだ、まだカナタがいるじゃないか……」
よく考えてみると、カナタが作り出したナイフは素晴らしかったのではないかと思えるようになってきた。
だが、それを確認するにはもう遅い。ナイフはすでにライルグッドが持ち帰ってしまったからだ。
「あれはいったい何だったのだ? 錬金術の光……いや、魔法陣など私の鍛冶場にあるはずがない。……ならば、いったいあれは?」
考えようとしても考えがまとまらない。空腹と喉の渇きのせいもあるだろう。
視線が再びパンと水へと向いた。
「……あのような食物を、領民は食べているというのか? そういえば、私が領内を視察したのはいつの事だっただろうか?」
そんな事を考えながらしばらくして――ヤールスはパンを口に入れた。
むせかえりそうになりながらもヤールスは硬くなったカビの生えたパンを咀嚼し、埃と一緒に水を含んで一気に胃の中へ流し込む。
「んぐ……ぐぅ…………はぁ、はぁ……まだ、終われないのだ」
何度も吐き出しそうになりながら、ヤールスはパンを完食した。
「……私は、ブレイド伯爵だ。私が正しいのだ! このままで終わるはずがない! 私にこのような残飯を食わせた事、後悔させてやるぞ――出来損ないが!」
結局のところ、ヤールスという人物はどこまで行っても自分が大事であった。
どうしようもない自己中心的な人物が最終的に行きつく先は、問題の原因を他者に移して自分だけは助かろうとするものだった。
「どうにかしてここを抜け出すのだ。そして、カナタを捕らえて殿下の前に連れて行くのだ! ラミアもいらん、ユセフもいらん! 私が一番ではない今の状況があり得ないのだ!」
欲望の権化と化したヤールスは牢を抜け出す事だけを考え始めた。
そして、その後の事については当然ながら――
「覚悟していろよ――カナタ!」
怒りの矛先は完全にカナタへと向いたのだった。
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