第49話:怒れるバルダ
――ドンッ!
巨漢のバルダが拳を机に叩きつけた。
水の入ったグラスが揺れて水滴が跳ねる。
怒りの矛先は、昨日包丁の販売を始めると挨拶にやって来たロールズだ。
新興商会を立ち上げたのは小娘であり、鍛冶師もガキと言われて申し分ないくらの若者だった。
だからこそ侮った。自分の縄張りで包丁を販売したところで敵ではないと。
「クソがっ! たった一日だ! その一日でどうしてあたいの客がこんなにも減るんだい!」
ロールズ商会は販売を開始した翌日、西区画での販売率低下は想定内だった。
だが、その低下率が思いのほか高かっただけではなく、さらに北と南の地区でも販売率が大きく低下したのだ。
刃物類をほぼ独占していたバルダ商会にとって、これほどの大打撃は鍛冶師たちを囲ってからは初めてだった。
「小娘め、女狐だったか!」
「バルダ様。ロールズ商会が販売していた包丁を購入してまいりました」
「さっさと見せないか!」
バルダの執事がカナタの作った包丁を机に置くと、それを見たバルダからは冷や汗が噴き出した。
「……これは、他の領地から仕入れてきたものじゃないのかい?」
「違うかと思います。販売価格が500ゼンスと非常に安うございましたから」
「ご、500ゼンスですって!?」
「は、はい。なので、素材自体はロールズが用意し、それをバントと名乗った鍛冶師が打った。というのが常識的かと」
他領から仕入れるには相当な金額が必要となってくる。
ワーグスタッド騎士爵領に鍛冶師が少ないというのは全国共通の常識になっており、仮にそうしていたとしたら500ゼンスなどという格安で販売しては利益は得られず、大きな損益になるはずだ。
初回販売の大安売りだとしても、500ゼンスというのは異常な金額だと言わざるを得ない。
「……あのガキ、こちらで抱え込むわよ!」
「ですがバルダ様、それは難しいかと」
「どうしてだい!」
「調べてみたところ、バントはすでにロールズ商会と専売契約を交わしております。今手を出してしまうと、引き抜きという事になり商人ギルドから許可が下りません」
「くっ! ならば、どうしろと言うんだい! このままだと、あたいの金が……縄張りが……!」
自らの縄張りを荒らされたと思い込んでいるバルダは、怒りに任せて腕を横に振って机の上に置かれていたグラスや書類を殴り飛ばす。
書類は宙を舞い、グラスは壁に叩きつけられて破片を撒き散らした。
執事は破片を拾いながら、一つの提案を口にする。
「……これは、最終手段になるのですが」
「なんだい? 時間を掛けている暇はないんだよ!」
「バントが囲われているのであれば、その囲いが無くなればあるいは……」
「囲いが無くなる? ……あぁ、なるほどねぇ」
下卑た笑みを浮かべながら、バルダは執事が言わんとしている事を理解してゆっくりと腰を下ろした。
「……奴らに連絡を取りな。そして――ロールズを始末しろ」
「分かりました」
「あぁ、バントには手を出すなと言っておきな。大事な金づるだからね!」
「もちろんでございます」
破片の片づけを終えた執事は、うやうやしく頭を下げると部屋を出て行った。
「……あひゃひゃひゃひゃ! あたいの縄張りを荒らした罪、死んで詫びてもらおうかねぇ!」
高笑いをあげながら笑みを深めているバルダ。
ロールズの身に、魔の手が迫ろうとしていた。
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