第5話 危険な夜道

 直人さんからメールは来ないし事務所にも来てくれません。直人さんのことが気になって仕事がなかなか進みません。

 今日はみんなよりも遅く帰りました。一人で歩きたくてバスに乗りませんでした。この通り道は個人の美容室や商店は幾つかありますが平日の八時すぎなので全て閉店しています。人通りは少ないです。見渡すと誰も歩いていません。バスに乗れば良かったと後悔して、早足になりました。


「高橋さん」


 どこから声がするのでしょう。左右を見渡すと、閉店したクリーニング店の脇から醜い肉体の男が出てきました。天月です。脂で光った顔に浮いている流行のお洒落フレームの眼鏡。薄ら笑いを浮かべて気持ち悪さに拍車をかけています。


「夜道に一人で不用心ですよ」

 笑いながら天月は近づいてきました。お前のような奴がいるので夜道が危なくなるのではないかと思いました。こいつは直人さんを脅迫している張本人です。許せません。


「ところでこれ、高橋さんですよね?」

 天月は携帯の画面を見せて来ました。そこには私と直人さんのメールが表示されています。天月が画面をスクロールすると、直人さんと旅行した時の写真もありました。どうして? あっ、ハッキング……。

 ガッ。直人さんが天月にハッキングされたと思い出したところでいきなり頭をつかまれました。痛い、いや痛いより、何が起こっているのでしょう。視界が揺れます。私は天月に引きずられて近くの公園に連れて行かれました。誰もいません。いつもバスからこの公園を見て「暗くて物騒だわ」と思っていました。外灯が届かない遊具の陰まで引っ張られました。抵抗しても天月の横に広がった肉体にはかないませんでした。天月は私を押し倒しました。ぐえっ。首に天月の指がくい込みます。


「瓜田のどこがいいんだ、お前は不倫で遊ばれているだけだぞ。あいつは最低な男だ。俺と、俺とつきあえ!」

 天月は目を見開いて叫んでいます。普段は顔の肉で目が埋もれています。興奮しているのか、いつもよりは目が開いています。醜い顔です。直人さんが最低な男……? 私が遊ばれている? 怒りが沸きました。私は遊ばれていません。私と直人さんは恋人同士です。私はアウターのポケットに手を入れて怒りに任せた力を込めて自分の手を天月の脇腹に押し込めました。それをそのまま横にスライドさせました、ナイフを持った手を。


 天月の力が緩みます。痛いと叫んでいます。百合絵さんの元夫を殺すと決めた時に用意したナイフを今でも持ち歩いていました。私は諦めていなかったのです。私は意思が強いのです。いつその時が来てもいいようにゴム手袋をはいていたのも良かったです。お陰でナイフが滑らず指紋もつきません。


 天月は傷口を抑えて苦しんでいます。頭を踏んずけてやりたかったですが靴跡が見つかると厄介です。前回ストラップを落として失敗しているので我慢しました。アウターに天月の血が少しついています。

 私は紺のアウターを着ています。夜だし見えないだろうと思いました。直人さんと隠れて会うために、目立つ色を着るわけにはいかないのです。私は最新の注意を払っています。


 私は堂々と歩いて帰りました。こそこそすると怪しまれると思ったからです。万が一目撃情報があって私の元へ警察が来たら「あの男に襲われた、夢中で逃げたからあとは知らない」とでも言っておこうと思いました。襲われたのは事実です。


 次の日の朝、ニュース速報で天月の事件が流れていました。

 早朝、あの公園で犬の散歩をしていた人が天月の死体を見つけたそうです。ドラマのようなことが本当に起こるのだと思いました。

 夜は物騒なあの公園が、朝は治安が保たれているのかと思いました。ジョギングや犬の散歩をしている人は無条件で善良な市民の称号を手にするのかと思いました。そしてもう一つの事実、天月は死んだ。殺したのは私です。


 その日は会社で天月の話題で持ち切りでした。

 一人暮らしの天月の部屋に、天月の両親と警察とアパートの管理人が一緒に行ったそうです。そこには盗撮やハッキングをしたデータが大量にあったそうです。

 聞くと天月の評判は社内でもすこぶる悪かったそうです。他にもハッキング被害者がいたそうです。天月は悪者だったのです。それが少しだけ私の心を軽くしました。

 みんな天月の悪行を惜しげもなく暴露しています。天月が死亡しただけではこうはならなかったでしょう。天月が脅迫など犯罪を行っていたことが解り、みんなは天月の悪口を言う許可がおりた感覚になっているのでしょうか。

 そんな中、耳を疑う話を聞きました。七瀬さんが同性愛者だという話題です。もうみんなの感覚は「いない人の秘密を言ってもいい」状態でしょうか。七瀬さんの同僚が七瀬さんのお見舞いに行った時、女の人と手を繋いでいたと言っています。その他にも七瀬さんを同性愛者だと決定づける何かがあったと誰かが言っています。


 そうですか、七瀬さんは本当に恋愛対象じゃなかったんですね。直人さんは知っていたのでしょう。安心したらさらに直人さんが好きになりました。

 天月は死んだし脅迫する奴はもういない、もう大丈夫だと直人さんにメールを送信しました。直人さんからの返事を待ちました。生産現場を見に行きましたが直人さんはいませんでした。どうしたのでしょう。

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