第7話 五才の頃

 私は、こんな具合に、小さくなっていく希望に必死でエールを送りながら、目の前の鏡をジッと見つめていた。なんだろう、懐かしい。今からもう二十年近く前のことになるが、五才の頃の私はこんな髪型だったのだ。


 私は子どもの頃、たいへん裕福な家庭で何不自由なく育った。広い庭付きの大きな家で暮らし、毎日のように高級外車に乗せられ、夏休みは栃木の那須高原にある別荘で過ごした。小学校の頃のあだ名は「おぼっちゃま」で、中学・高校の頃は「御曹司」だった。それ以降は、あだ名で呼ばれることはなくなってしまったが。


 もっとも、「御曹司」と言っても親が会社の社長だったわけではない。父は裁判官だし、祖父はかつての大蔵省の官僚をやっていた。つまり、典型的なエリート一家だ。私はそこの長男、かつ一人っ子だった。それゆえに、それはそれは異常な量の愛、それから期待を与えられながら育った。今思えばだが。


 祖父母などの親戚と会うと、私はいつも褒め殺しに遭った。「えらいねえ」とか、「こりゃあ、大物になるな」とか、「賢そうな顔してるもんな」とか、言われる言葉はある程度決まっていたが。


 しかし、私も当時は五才のガキだ。そんなことを言われても、素直に喜ぶことができた。誇らしげな表情を顔いっぱいに浮かべながら、「うん!」とか、「まあね」などと返していたものだ。本当は、自分は何者でもないのに。


 そんな私は今フリーターだ。ほぼ毎日のようにアルバイトをして、なんとか食いつないでいる。言うまでもないかもしれないが、生きがいは無い。


 ただ、夢と言ってよいのか、それとも単なる意地に過ぎないのかわからないが、一応やりたいことはある。役者だ。ただ、そんなことはもちろん周りには言えてない。心の中で、人知れず目指している。つまり、目指しているだけで、なにか行動を起こしているわけじゃない。


 そんな私のことを、あの時の親戚はどう思っているのだろうか。彼らにはもう何年も会ってない。別に会いたくもないが。きっと、陰で私の悪口を言っていることだろう。いや、話題にさえなっていないか。待てよ。もしかしたら、私はあの一家の中にいないことにされているのかもしれない。ほんの二十年前は、私を中心に置いて、その周りを蟻のはい出る隙間も無く囲んでいたくせに。まあ、それも仕方ないか。


 もし、あの五才の頃に戻れたら。時々そう思う。贅沢な暮らしをもう一度したいからじゃない。


 私は言ってやりたいのだ。当時会った親戚全員に。自分は何でもない存在で、大物になるなんて出来やしないんだ、と。そんなことを言う五才児なんていないだろうから、確かに現実的ではないと自分でも思う。だが、もしあの時それが言えていたら、今のこの状況は少しはマシになるんじゃないだろうか。


 そりゃあ、そんなことをしていたって私の心許ない頭脳や軟弱な根性は変わることはないから、私が高卒のフリーターであるということは変わらないだろう。だが、少なくとも、私は堂々と役者を目指すことが出来ていたはずだ。そう思う。

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