第154話 失踪

 森自体に大きな変化はない。


 木々は島のそれよりも大きく、大地に咲き誇る花は生命力に満ちあふれている。

 川の水はキラキラと陽光を反射してきらめき、動物たちはのびのびと争うことなく過ごしていた。


 ありのままの自然がそこにあり、楽園と言う言葉がこれほど似合う場所はないだろう。


 だからこそ、再び思う。


 ――これはあまりにも、不自然だ、と。


「さて、こいつは予想外だな」


 白い靄に包まれた世界樹を見上げながら、エルガが少し困ったような声を出す。


「今までこういったことはなかったの」

「ああ。そもそも世界樹は世界の柱みたいなもんでな。大精霊たちがこの島に来たのも、世界樹がこの島に根付いたかららしいんだが……」


 以前来たときはどんなに遠くからでもはっきりと見えたはずの世界樹。

 それがまるで蜃気楼のように揺らめいていて、エルガも戸惑っている様子だ。


「あなた、私は長老にこのことをお伝えしてきます」

「だな。おいルナ。お前も一緒に行ってこい」

「えー」


 ルナが不満そうな声を上げるが、緊張した面持ちのエルガに諭されて諦めたようにリビアさんの方に行く。


 あまり焦ったようには見えないが、それだけ危険があるかもしれないってことだろう。


「レイナもだよ」

「……でも」

「さすがにこれは、駄目」


 この異常事態、俺だけなら多分なんとでもなるけど、レイナまで守れるかどうかはわからない。 


 だから強く言うと、顔を俯かせたあと頷いた。


「……」

「スノウ?」


 ふと、なにも言わずにずっと世界樹を見つめるスノウが、ボーとした様子で歩き出す。


「いかなきゃ……」

「スノウどこへ! なっ――⁉」


 危ないと思って俺が手を伸ばした瞬間、スノウの身体が黄金の粒子となって消える。


「え……? うそ……スノウ? スノウ⁉」


 突然いなくなったことでレイナが取り乱す。


 慌ててスノウの消えた方向に走り出すが、今のこの場所がどういう状況なのかわからない以上、一人にするわけにはいかなかった。


 後ろから捕まえて、彼女と視線を合わせる。


「レイナ! 落ち着いて!」

「でも! スノウが――っ!」


 正面から思い切り抱きしめ、落ち着かせるように優しく背中をさする。

 最初は俺の腕を引き離して探しに行こうと暴れるが、ぎゅっと抑えた。


 しばらくすると身体を震わせながら諦めたように力を抜き、不安を隠すように無言で抱きついてくる。


「大丈夫、俺がなんとかするから」

「本当?」

「うん、約束」


 瞳に涙を浮かべたレイナの目を拭ってあげる。

 そうしてもう一度抱きしめると、ようやく安心したのか身体の震えを止めた。


「レイナは家に戻ったら、ヴィーさんに今回のことを伝えてくれるかな?」


 普段はふざけているが、知識も豊富でこの島のことに詳しく、なんだかんだ一番頼りになる存在だ。


 スノウのことも可愛がってくれているし、彼女ならきっと今回の件も力になってくれるはず。


「エルガ、手伝ってくれる?」

「おう。さすがに今回はちょっと面倒なことが起きてそうだ。それに……」


 エルガは真っ直ぐ俺を見て、力強く笑う。


「これでも、俺はお前らの兄貴分のつもりでな。こういうとき力にならず、いつなるってんだ」

「ははは、本当にありがたい」


 俺の身体はたしかに頑丈だし、怪我をしないのかもしれない。

 だけど実際、こうしたファンタジー的な問題に対して対処する知識もなければ、経験もない。


 そんな中で協力してくれる人がいるのは本当に心強かった。


 ――本当は、レイナも一緒の方が色々といいのかもしれないんだけど……。


 それでも彼女を危険な目に合わせたくはなかった。


「じゃ、行くか」

「うん」



 レイナたちはハイエルフの里から島に戻り、俺とエルガは二人だけで先に向かう。


 森の木々は大きいが、それでも普段から狩りなどで島を歩き回っているので、特に問題無く進むことは出来た。


 とはいえ、その動きに対して焦りは大きい。


 警戒心のない動物たちは俺たちが近づいても逃げることなく、以前と変わらず、この世界は争いとは無縁なのだろう。


「ねえエルガ、スノウの身になにが起きたかわかる?」

「いんや、だがあいつはチビだけど大精霊だ。なにかあってもなんとか出来る力はあるはずだから、心配すんな」

「……うん」


 その言葉に頷きこそするが、俺の心は決して晴れることはない。

 いつもレイナや俺にくっついて甘えてくるあの子が、たった一人で離れてしまった。


 不安がっているのかもしれない。

 パパ、ママ、って泣いているかもしれない。

 そう思うだけで、胸が痛くなる。


「やっぱりおかしいな」


 隣を走っているエルガが、そう呟く。


「エルフかハイエルフ、まあどっちでもいいんだが、これだけ森を進めば大抵一人くらいは会えるもんなんだが……」

「神獣族の里みたいに住処があるわけじゃないの?」

「ああ。この世界全体がハイエルフの里だからな」

「この世界全体が……」


 結構走ったが、それでも世界樹はまだ結構遠くにある。

 逆に結界から入った反対側もまた、広大な森が広がっていた。


 俺たちがいた島より大きいかはわからないが、端から端まで見てもその全容はわからないくらい大きいのは間違いない。


「アールヴとは結構違うんだね」

「元は一緒だが、長い年月を離れて暮らせば大きな違いも出てくるもんだ」


 幸いなことに、この世界には敵対するような魔物はいない。

 俺とエルガが全力で走れば、遠くにあった世界樹もどんどんと近づいて来て――。


「っと、ようやくか」


 世界樹の根元まで来たところで足を止めたのは、そこに待ち伏せするようにハイエルフたちが並んでいたから。


 警戒されているわけではなさそうだが、感情の薄い瞳でじっとこちらを見られると少し緊張感がある。


 そんな中、一人のハイエルフが前に出た。



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