第120話 共感

 深夜。

 目が覚めてしまったので、なんとなく窓の外を見る。

 大きな月が浮かび、地球とは違って人工的な明かりがほとんどないため、空の星々が大きく広がっていた。


「ん?」


 下を見ると、岩の上に座って空を見上げるエディンバラさんの姿がある。

 眠気はないので、なんとなく階段を降りて外へ。


 彼女に近づくと、柔らかい笑みを浮かべてくれた。


「アラタか」

「こんばんは。こんなところでどうしたんですか?」

「なに、少し闇を見ていた」

「闇?」

「ああ」


 エディンバラさんの見上げる空には空を埋め尽くすほどの星々。

 日本であれば暗い空も、ここでは光の方が多いくらいだ

 

「これだけ星があると、闇すら消されてしまいそうだと思ってな」

「結構、不思議な見方をするんですね」

「どうやら記憶を失う以前の私は、中々面倒な女だったらしい」


 少しおかしそうにそう言いながら、再び彼女は空の闇を見つめる。

 まるでこの夜こそが故郷なのだと言わんばかりに、懐かしげに。


「記憶がないというのは、存外悪いことではないみたいだ」

「そうなんですか?」

「ああ。私の知り合いたちを見ただろう? 明らかに私に対して怯えや気まずさといった感情が表に出ていた」

「……」


 たしかに、直接の弟子であるレイナの話を聞く限り、記憶を失う前のエディンバラさんはかなり滅茶苦茶な性格をしていたらしい。

 それはゼロスやマーリンの顔からも、察することが出来る。


 今の彼女しか知らない俺からすると信じられないけど……。


「アラタ、私はもう記憶を戻す必要はないのかもしれない」

「え?」

「なんのためにこの島を目指したのかわからないが……」


 エディンバラさんは岩から降りて、少し自信ありげに笑った。


「私は今の私で満足しているからな」


 そう言って彼女は別れを告げ、そのまま歩き出す。

 記憶喪失というのになったことのない俺は、彼女の真意は掴めなかったが、それでもその言葉に嘘はないような気がした。


「温泉に入ってから寝直そうかな」

 

 この島には時計がないので時間は太陽と体感だけが頼りだが、おそらく日本時間で考えたら十二時あたりだろう。

 太陽が沈んだら寝て、明けたら起きる生活が当たり前のため、この時間に起きている人はほとんどいないと思う。


 誰でも使える温泉の脱衣所に入り、そのまま乳白色の温泉に浸かる。


「あぁー……」

 

 自然と声が出た。

 天然温泉というのはどうしてこうも心を安らかにしてくれるのだろうか?

 

 足を全力で伸ばし、力を抜いて心地よい空間に浸る。


 そうしてしばらく岩に背を乗せて脱力していると、不意にガラガラと扉が開く音がした。


「え?」


 以前、俺はこの温泉でレイナたちの裸を見てしまったことがある。

 あのときはヴィーさんの悪戯が原因だったが、それが脳裏に浮かび、まさかまたレイナが――。


「ぬ、先客がいたか」

「あ……ゼフィールさんでしたか」

「うむ。アラタ殿、だったな」


 刈り上げられた白い短髪に、服の上からでは分からなかったが、年齢を想像させない鍛え上げられた筋肉。

 それはまさに男の理想と言ってもいいのではないかと思うほどに肉体をしていた。


 彼はまず桶で身体を流すと、そのまま丁寧にタオルで身体を拭き始める。

 前だけでなく、背中にも多くの傷があり、彼が歴戦の戦士だということがよく分かる肉体だ。


 そうして身体を拭き終えると、彼はそのまま温泉に入る。

 

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁぁ……」


 とても長い息を吐きながらリラックスをした。

 その姿を俺が見ていたことに気付いたからか、ゼフィールさんが少し恥ずかしげな顔をする。


「いや、失礼。どうにも最近疲れが溜まっていたようで、こうしてゆっくり温泉に浸かるとつい」

「いやいや、気にしなくて大丈夫ですよ。この温泉、凄く気持ちいいですもんね」

「ああ、最高ですな。思わず声が出てしまうくらい」


 ゼフィールさんとこうして話をするのは初めてだ。

 だが温泉でリラックスをした状態で、何気ない話をするのはそう気まずいものではない。

 なにより、彼はどこか自分の近い親しみがある。


 ――なんでそう思ったんだろう?


 七天大魔導の『第二位』にして、雷皇とまで恐れられる人物。

 レイナやゼロスの話だと、エディンバラはあまり実務的なことに干渉してこないため、実質的なリーダーとも言える存在らしい。


 そんな人と自分が似てるなんて、そんなはずは――。


「仕事をしていたときは風呂の時間も中々取れなくて、こんなにゆっくりしたのは久しぶりでして……」

「あはは。気持ちはわかります。俺も昔はそうでした」


 日本でブラック企業に勤めていたとき、そんな感じだった。

 家の風呂を沸かすことすら面倒で、シャワーだけで終える生活。

 たまに気紛れで入れてみても、思ったより気持ちよさもなく、つい早く出てしまったものだ。

 

 温泉で気が抜けていたせいか、日本のときにしていた話を適当に話すと、意外なことに彼も乗ってくる。


「ほう。それではほとんど睡眠なんて取れなかったのでは?」

「いちおう、七日に一回休みの日があったのでその日だけは一気に眠りましたね」

「なるほど……」

「まあでも結局トラブルがあったら行かないといけないので、眠りが浅くなっちゃうんですけどねぇ……」

「ああ、わかりますとも。深夜だろうとなんだろうと、やつらもトラブルを平気で起こすので」


 いつの間にか隣にやってきたゼフィールさんと、雑談に興じてしまう。

 どうやら彼は俺が思っていた以上に苦労人だったらしい。


「マーリンが王女の男を寝取ったなどのクレーム、ワシ知らんて」

「あー、マーリンさんそんなことを……」

「ゼロスが魔獣の群れを倒したときに、街が一つ全焼したから責任をて、なんでワシに連絡が……」

「ゼロスも……」


 出てくる出てくる。

 七天大魔導の面々がこれまで大陸で起こしてきた様々なトラブル。

 

「七天大魔導の順位はトラブル順? いやワシは尻拭いしてるだけだし」

「苦労してきたんですね」

「アラタ殿、わかってくれるか?」

「ええ。さっきも話した通り、俺もかつて酷い目に合ったので」


 最初に見たとき、格好良く渋い老人だと思った。

 だが今思えば、たしかに彼の背中にはなにか哀愁のような黒い影が乗っているような気がする。


 それは、ブラック企業に属した漢たちの背中と同じ気配だ。


「もしかして、この島に来て一週間くらいの間動かなかったのって……」

「っ――⁉」

「いや、言わなくても良いです。だって人には皆、休む権利があるですから」


 いいじゃないか。

 この人はこれまで多くのトラブルを一人で対応してきたのだ。

 ほんの少しくらい、休んだっていいだろう。


「アラタ殿……」

「俺もこの島に来てから、色々と見え方が変わったんです」


 ゼフィールさんは感動したようにこちらを見てくる。

 わかる。理解者がいるというのはとても嬉しいことなのだ。


「疲れたときは休みましょう。楽しいことがあれば笑いましょう。人間、それだけ出来ればきっと幸せです」

「……いいのでしょうか?」

「いいんですよ。だってこの島は、自由なんですから」


 男二人、星空の下で湯に浸かる。

 たったそれだけのことだが、それでも何故か俺はやり遂げたような気持ちになった。



 翌日。


 俺とレイナがサクヤさんにお礼を言おうと家を出る。

 スノウは寝ていて起きる気配がないので二人で歩いていると、ゼフィールさんとエディンバラさんと会った。


「む、アラ――」

「おお、これはアラタ殿!」

「は?」


 ゼフィールさんが昨日まであった険しい顔から一転して、親しみのある笑顔でこちらに近寄ってくる。

 そのせいで声をかけようとしたエディンバラさんが、呆気にとられたような顔をしていた。


「アラタ殿も散歩ですかな?」

「ええ。サクヤさんにお礼をかねて少しのんびりしようかなって」

「おお、それはいいですなぁ! 実は我々も同じくサクヤさんのところに向かおうと思っていたので、良ければ一緒にいかがですか?」

「いいですね」

 

 昨日の夜、色々と話をして共感したからだろう。

 もう俺たちの間には壁らしい壁もなく、長年の友人のような雰囲気だ。


「なにがどうなってるの?」


 ちなみに俺たちが笑顔で話をしている隣ではレイナが固まっていたが、彼女もこの人の苦労話を聞いたら絶対に共感する。

 だってレイナも同じように苦労をしてきたんだから。

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