第107話 元通り

「……」


 わかっている。

 この島に来た時、レイナもルナも、みんな友人だった。

 そしてそこから家族、という関係になって、守らなきゃという気持ちが強かった。

 だけど最近は、違う感情がずっと芽生えている。

 それは、守りたいよりも自分のものにしたいという、独占欲。


「貴様の身体はたしかに無敵だがなぁ、精神まで無敵というわけではない、というのはこの間の風呂でわかったからな」

「くっ――」

「これからは、たぁっぷり弄ってやろうじゃないか!」


 まるで悪のラスボスのように、ろくでもないこと言うなこの人!


「といわけでバハムートのガキ、どうする?」

「うぐ……」

「今の弱ったアラタなら、私と協力すれば落とせるぞ」


 悪魔のささやき――。


「見ての通り、大人の姿にだってなれるし、望むならこいつをお前のものにすることだって出来る」

「……」


 ふらふらと、ティルテュが徐々にヴィーさんに寄っていく。

 

 ――いや駄目だって! そういうの良くない!


 そう叫ぶが、まるで聞こえていないように反応がない。

 もしかしてティルテュになにかされた? と思っていると脳に直接響くような声。


 ――くくく、貴様の周囲の空気を弄ってるだけだよ。

 ――無駄に高度なことしますね本当に!


 たしかに俺に直接作用しない魔法なら効果があるだろう。

 正直ただの嫌がらせ以外の何物でもないけどね!


 身体の自由が奪われたわけではないのだから、ティルテュの腕さえつかめば……。


 ――おっと、そうはさせないぞ。


 手を伸ばした俺の影から、黒い触手が素早く伸びてきて拘束してくる。

 だが実態があるなら……。


 千切ろうと足を踏ん張ろうとしたら、今度は地面が柔らかくなって体勢が崩れてしまった。

 そのせいで千切れず、それどこか影が色んな角度から全身を拘束し始める。


 ――く、そ。


 俺が力を入れた個所に合わせて上手いこと緩急が発生し、力が上手く入らない。

 そのせいで影の触手が外れず、身動きが……。 


 ヴィーさんを見ればニマニマと笑っている。

 そしてそうこうしているうちに、ティルテュがヴィーさんの近くまでたどり着いてしまった。


「ふふふ、それでは貴様を大人にしてやろう」

「……」


 先ほどまで聞こえなかった音が聞こえてくるようになる。

 そうしてヴィーさんがそっとティルテュの頭に触れようとした、その瞬間――。


「我は! 自分の力で旦那様をメロメロにするのだぁぁぁぁ!」

「っ――⁉」


 突然目の前で大声を出されて、ヴィーさんが驚き目を見開く。

 同時に黒い影の拘束が弱まり、俺は抜け出すことが出来た。


「……おいバハムート。貴様を大人にして、あいつをメロメロにさせてやろうと言ってるのだぞ?」

「うっ……でもそれは旦那様が困るのだろう! だったら、我は我のままでいい!」

「……」

「……」


 二人がにらみ合って動きが止まる。


「くはっ」


 しかしそれは、まるで我慢できない、とヴィーさんが笑うことで動き出す。

 ただその笑いは、どこか今までの人をからかって楽しむような笑いとは違う、どこか不気味なもので――。


「そうかそうか! 貴様はそういう風に成長したのか! ははは、なるほどな!」

「な、なんなのだ……?」

「いやいや、気にするな! そうだな、この島はもう動き出したのだから、こういうこともあるか! ああ、いい! 実に気分がいいぞ私は!」


 決して魔力を解き放つような、純然たる危険とは違う。

 まるで狂気を宿したような、危ない雰囲気を醸し出すヴィーさん。

 ティルテュも普段とは様子の異なる彼女に困惑し、少し後ずさる。


「ひっひっひ! ああおかしい! 笑いが止まらん!」

「ヴィーちゃん、大丈夫?」


 俺とティルテュが戸惑っている中、ルナだけは普段と変わらずヴィーさんに声をかける。


「ああ、ルナか……大丈夫だ、ちょっと気分が良くなり過ぎただけだからな」

「そっか」


 直接声をかけられたからか、ヴィーさんが普段通りの顔を見せる。


「お前はどうだ? 今は楽しいか?」

「うん! お兄ちゃんもお姉ちゃんも、ティルテュも、新しい友達がどんどん増えて楽しいよ」

「そうか……」


 迷いなくそう言うルナに、ヴィーさんはまぶしい物を見るように目を細めて頭を撫でた。

 今のルナはレイナくらいの身長のため、ヴィーさんが手を伸ばさないと届かない距離で、とても違和感のある光景。

 だがしかし、それでも二人の関係はヴィーさんが姉で、ルナが妹の、仲のいい姉妹のように見えた。


「ああ、そうだな。なら、ちゃんと今の場所を守らないとな」

「え?」


 不意に、ルナの身体から黒い魔力が渦巻く。


「っ――なにを⁉」


 すさまじく強く力、そして禍々しい力だ。

 力だけなら以前見たシェリル様たち大精霊にも匹敵するし、間違いなく最強種級。


「む、むむむ⁉」


 横を見ればティルテュも警戒した様子でその魔力を見ている。

 まだ子どもとはいえ、すでに始祖の名を受け継ぎ、この島の生態系の頂点に立つこの子がここまで警戒するなんて……。


「んー? なにこれ。くすぐったい……」

「心配するな、すぐ終わる」


 当の本人は特に何ともないのか、ヴィーさんにされるがままだ。

 たしかに、彼女が本気で俺たちに害を加えるとは思えないが、しかしこの力は――。


「アラタ、貴様は黙って見てろ」


 俺が動こうとしたとき、真剣な瞳で射抜かれる。

 そこに敵意はなく、ただただまっすぐに――。


「……」

「ふ、いい子だ」


 そうして、動けない俺はただ禍々しい魔力がヴィーさんの手の中に集約されていくのを見ているだけ。

 しばらくすると魔力は小さな黒い球となり、宝石のように彼女の小さな手のひらに収まった。


「あー! ちっちゃくなってるー⁉」

「え?」


 魔力に気を取られていると、突然のルナの叫びが聞こえて彼女を見る。

 するとそこには、だぼだぼになった着物を着た、いつも通り小さなルナがいた。


「せっかく大きくなったのに……」

「そんな顔をするなルナ。こんな力に頼らなくとも、貴様はちゃんと成長していくさ」

「うぅー……」


 ちょっと拗ねた様子のルナと、それを見て宥めるヴィーさん。

 本物の姉妹のようなやりとりに、俺は先ほどまで警戒していた気持ちが霧散していくのがわかった。

 ただ、どこかいつもと違い、意味深な言葉ばかりを紡ぐ彼女の真意がわからない。


 多分聞いてもはぐらかされてしまうのだろう。

 思えば、他の人たちと違い、ヴィーさんだけは俺たちと……いや、『俺』と明確な線引きをしているような気がする。


「……」

「さて、何か言いたいことはあるのだろうが……」


 ひょい、と黒くて丸い宝石を俺に投げてくる。


「それは貴様に預ける」

「いや、預けるって言われても」

「見ての通りアホみたいな魔力を宿してるからな。割ったりするなよ」


 それだけ言うと、まだ太陽が昇っているというのに彼女の姿が闇に紛れ、そして消えていく。

 周囲に気配もなく、彼女が帰ってしまったのだろう。


「なんだったんだ……?」


 何の説明もなし。

 言いたいことだけ言って、ややこしそうな物だけを残していった。

 普通なら怒ってもいいと思うけど、多分彼女なりにルナのために動いてくれたのだろう。


「……」


 手のひらにある黒い宝石を見る。

 先ほど感じた禍々しい魔力は感じないが、しかしその輝きは思わず吸い込まれてしまいそうなほど、魔性の魅力を放っていた。


「はっはっはー! これでいつも通りだな!」

「あーあ、せっかくティルテュより大きかったのに」

「そんなずるは駄目なのだー!」

「ティルテュだってマーリンおばちゃんにお願いしてたじゃん!」

「我とマーリンは親友だからアリ!」

「えぇー! そんなのずるい!」

「ずるくないー!」


 少し離れたところでは、そんな子供たちのやり取り。

 わいわいとやっている仕草は微笑ましいもので、先ほどまでの不安などなくなってしまった。


「ほら二人とも喧嘩しない。せっかくルナも遊びに来たんだから、スノウも呼んでみんなで遊ぼう」


 そういった瞬間、二人の動きは早かった。

 颯爽と家の中に入り、そしてレイナを巻き込んだ遊びに発展する。


 ちなみに、大声でマーリンさんのことをおばちゃん呼びしたルナは、後ほど彼女に捕まりお姉ちゃん呼びに矯正されるのであった。


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