第106話 誘惑

 なんだかんだで、この島に住んでいるとトラブルに事欠かないものだ。

 ことの発端はティルテュと一緒に眠った翌日、身体が戻らないままのルナが家に遊びに来たことから始まる。


「やっほー! 遊びにきたよー!」


 いつも通り、元気なルナの声。

 成長しているため、少し大人っぽいが、それでも生来の無邪気さは残っている。


「……」

「あ、ティルテュ!」


 そして成長したルナを見たティルテュは、その場で固まってしまう。

 いちおう昨日のうちに事情を説明はしたとはいえ、実物を見たらまた違った、ということだろう。


「ティルテュー?」

「だ、誰だ貴様ぁぁぁー!」


 そうして固まっているティルテュをルナが不思議そうに見ていると、再起動。

 指をさし、ちょっと怒ったように叫ぶ。


「誰って、ルナだよ?」

「わ、わかっとるわ! だがな、貴様それ、その身体!」


 改めてティルテュが悔しそうにし、逆にルナはちょっと自慢気に身体を見せびらかす。

 特に、子供の時より大きくなった尻尾は見事なもので、ふりふりと揺らしていた。


「えへへー。大人になっちゃった」

「ひ、一人だけ大人になって……ずるい!」

「あ、そこなんだ?」


 ルナとティルテュの共通認識というか、俺としてはもっと心配するとか色々と考えてほしいことがあるんだけど……。

 まあでも、二人ともそんなちょっと子どもっぽくてちょっと微笑ましい。

 そう思っていたのだが、突然ルナの背後に回ったティルテュが、その胸をいきなり掴み上げ、俺に見せつけるように強調させる。

 

「だって旦那様! ルナのやつ、こんな、こんな……この胸! レイナみたいになってる!」

「わ、わわわっ――!?」

「ちょ! ティルテュそんなことは止めてあげて――」

「ほらー! 旦那様もエッチな目で見てる!」


 いや、見てない見てない。

 ルナのことをそんな目で見るわけがないじゃないか。

 と言いたいところだが、実際に今のルナは凄まじい美女だ。


 それに体のスタイルも抜群で、ああも強調されると男として反応しないわけがない。


「う、ううー!」


 どうやら俺が反応したことが不満らしい。

 ティルテュはそのまま、着物の上からでもわかる細い腰まで手を下ろしていき――。


「それにこの身体のライン! お、大人の女だ! マーリンみたいだ!」

「えへへー」

「ず、ずるいぞ!」


 どうやらルナはあまり気にした様子もなく、ただされるがままになる。

 新手の遊びとでも思っているのだろう。

 だがしかし、その遊びは俺にはちょっと刺激が強い。


「む、むむむー! 我も!」 

「え?」

「我も、大人になる! 大人になって旦那様をメロメロにするのだー!」


 そうして家から飛び出していく。

 追いかけると、マーリンさんの家に入っていった。


「大人になるって、それでなんとかなるのかな?」


 なんて思っていると、家の中からティルテュの声が聞こえてくる。


 ――頼むマーリン! 今すぐ我をナイスバディな大人にしてくれ!

 ――朝っぱらからいきなりなんの話!? 

 ――旦那様をメロメロにするのだ!


 頼む! 無理! そんな言葉の応酬が聞こえてきてしばらくして、ティルテュがマーリンの家から追い出されてきた。

 落ち込んだ様子でトボトボと歩いてくる様子から、駄目だったのだろう。

 そして悲しくなっちゃったのか、ちょっと涙目で抱き着いてくる。


「旦那様ー! マーリンがやってくれなかったー!」

「まあ、そりゃそうだろうね」


 いや、これはこれで可愛いんだけどさ……。

 ちょっと俺も、最近の二人の関係がよくわからなくなってきた。


「女を泣かせるような男は良くないなぁ!」

「え?」


 いきなり聞こえてきた声。

 周囲を見渡してもどこにもいない、と思ったら俺の影からぬるりとヴィーさんが登場した。


「なあ、旦那様」


 にやにやと、こちらをからかうような表情。


「なんでこんな時間に……まだ朝ですよ」

「なにを言う。お前が日の高いうちに来いといったんじゃないか」

「そうですけど……」


 当たり前な話だが、吸血鬼は夜に行動するのが普通だし、ヴィーさんも普段からその例には漏れない。

 そんな彼女が朝に来るなんて、なにか余計なことを思いついた時だからなぁ……。

 まあ夜だから余計なことをしないといえば、そんなことは決してないんだけど。


「ヴィーちゃんだ! ねえ見て見て! しっぽがおっきくなった!」

「おおルナ、立派になったなぁ。ふふ、タマモのやつを思い出す」

「タマモ?」

「貴様の先祖だよ。といっても、今フェニックスがスザクと名乗っているように、種族の名ではなく人の名だがな」

「おおー!」


 自身のルーツを知っているであろうヴィーさんの言葉にルナのテンションが上がって尻尾をふりふりと動かす。


「しかし、本当によく似ている……」


 ヴィーさんが少し懐かし気に、紡ぐ。

 タマモと言えば、その美しさから昔の中国の王朝を滅ぼした……。


「そこまでだ」

「え?」

「今貴様は、想像しただろ? だがそこでやめておいた方がいい」


 珍しく、ヴィーさんが真剣な顔で俺と向き合う。


「外の世界、いや貴様の世界か……そこでどのような存在だったかはわからんが、世界を跨ぐような存在を貴様が迂闊に想像するな」

「どういうこと?」

「幻想は、幻想のままであるがいいということさ」


 いったいヴィーさんは何を言っているのだろう?

 理解は出来ないが、今彼女が話していることはなにかとても重要なことなんじゃないかと思ってしまう。


「理解出来んか?」

「うん」

「ならそのままでいい。この島は、これまでずっと止まっていた。それが動き出したのは、貴様が現れたからだ」

「……わざとわからないように言ってません?」

「その通り。わざとわからないように言ってるんだよ」


 にやりと、いつもの人を小馬鹿にしたように笑った。

 そんな彼女の態度に、俺は少し安心してしまう。

 多分今ヴィーさんが話していることは、とても重要なことなんだろうけど、同時に聞かない方がいいことなんだと思う。


「さて、今日はそんな話をしに来たのではなかったんだった」


 ヴィーさんは俺からルナへ視線を向けて、一瞬なにか考えを巡らせる。


「ヴィーちゃん?」

「……いや、やはりこの機会を逃すのはもったいないな」


 そうして視線をティルテュの方へと向ける。

 ちなみに、その顔はいつもの悪戯を思いついたときと一緒で、絶対に碌なことにならないとわかった。


「おいバハムートのガキ」

「む、なんだ? 言っておくが、以前貴様に騙されたことを忘れてないからな! 旦那様がメロメロになるからって血を飲んだのに、なんか変な風にぽわぽわして、すっごく恥ずかしかったのだぞ!」

「そんな昔のことは忘れたな」


 ティルテュが言っているのはブラッドワインのことだろう。

 俺の知らないやりとりだが、どんな風だったのかは想像がつく。


 ティルテュはヴィーさんを警戒した様子で距離を取り、俺の方へと徐々に近づいてくる。


「大人になりたいのだろう?」


 しかしヴィーさんがそう言った瞬間、ティルテュの足が止まった。

 そして少し疑いのまなざしを残したまま、小さく呟く。


「……我、なれるのか?」

「私を誰だと思ってる」

「いやティルテュ、ヴィーさんはからかって楽しみたい人だから、言うことを聞くのは止めた方がいいって」

「おいアラタ、こっち向け」

「なんです――っ⁉」


 先ほどまで子ども体形だったはずのヴィーさんが、色気あふれる美女へと変身していた。

 服装はかなりきわどく、胸元を大きく開いて足を晒した状態。

 しかも隣にルナを置いて、着物の肩をはだけさせてこちらに見せつけるようにしている。


「あー! 旦那様また!」

「ち、違うから……これはそういうのじゃないから!」


 というか、最近なんなんだ⁉

 この島に来てから、というかこの神様にこの強い身体を貰ってから俺は出来るだけそういうことに自制をかけてきたはずなのに!


「ほぉれ、普段から必死に取り繕っているが、ちょっと煽ってやればこんなものだ」

「くっ――⁉」

「まあわかるぞ。貴様はこれまで意識して必死に抑えてきたもんなぁ」


 だが、とヴィーさんがにんまり笑う。


「一度外れたタガは、そう簡単には戻らんぞ」


 くくく、と笑うヴィーさんの笑みは、ここ最近見た姿とはだいぶ違うものだった。

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