第100話 温泉での一幕

「ちょっ⁉」


 幼い身体であるが、当然ながらそこには男にはない膨らみ。

 慌てて目を閉じようとするが――。


「私を、見ろ――」

「っ――⁉」


 閉じようとした瞳が閉じなくなる。

 瞬きが出来ないわけではないが、ヴィーさんから目を離せなくなってしまった。


「ちょっとアラタ⁉ どうしたの?」

「おおレイナ、せっかくだから私も混浴させてもらおうと思ってな。おいアラタ、お前ガン見しすぎだ。そんなに私の身体に興味があるのか?」


 ――ヴィーさんがなんかやってるんだろ⁉

 

 そう声を上げたが、なぜか俺の言葉は外には出なかった。

 これ、もしかして空気を操作されてるのか⁉


「アラタ⁉ なんで黙ってるのよ⁉」

「ふふふ、どうやら私の身体に見惚れて言葉も出ないらしい」

「っ――! アラタ、嘘よね⁉」

「ほぅら、じっと見るがいい」


 顔を逸らそうとしても逸らせない。

 一度温泉に入ったからか、彼女が立ち上がるとその玉のような肌から温泉の水滴が滴っていて、蠱惑的なエロさがある。


 ヴィーさんの身体はたしかに幼いけど、黄金色の髪は美しいし、月明かりに照らされるその身体は完璧とも言えるほどに整っていて、まるで神様が美を追求して作り出したんじゃないかと思うほどだ。


 いや、こんなことを考えたいわけじゃないのに……。


「んんん? なんだぁその目は。そうかそうか、前だけじゃなく、後ろも全体ももっと見たいか」

「ちょっとアラタ、反応してよ!」


 レイナがなにかを言っているが、どうしてもヴィーさんから目が離せないのだ。

 そんな状態で、彼女はゆっくりと後ろ髪たくし上げて、そのまま振り返る。


 上から下まで、すらっと流れる全身。

 一生見ていたいと思うほどの美しさに、俺は……。


「アラタ!」

「っ――⁉」


 急に、俺の目の前に真っ赤な瞳が目に入る。

 これがレイナの顔だ、と理解した瞬間、俺は全身から力が抜けた。


「ふむ、なるほど。こういうのはちゃん効くのか……」


 さっと後ろ髪から手を放したヴィーさんはこちらに向きなおすと、意味深な言葉を呟くのみ。


「大丈夫⁉ 私のことわかる⁉」

「も、もう大丈夫……なんか変なことされてたみたいだけど」


 もはや隠すものなど何もない、と言わんばかりに全力で展開されるレイナの身体。

 だが彼女は今の状況に気付いていないのだろう。ただ本気で俺のことを心配してくれているのがわかる。

 わかるんだけど……。


「うん、わかってるわ。悪いのは絶対――」


 レイナが俺から振り返り、ヴィーさんを見つめる。

 きっと今、彼女は怒ったように睨んでいるのだろう。


 だけどねレイナ、ごめん。

 目の前に君の背中から太ももまで、そのすべてがあらわになっちゃってもう俺の頭がなにも働かなくなってるんだ。

 本当に、男に生まれてごめんなさい……。


「ヴィルヘルミナさん、今日という今日は絶対に許さないんだからね!」

「まあ待てレイナよ。ちょっとだけ聞いて欲しいことがある」

「なによ!」


 ああ、駄目だレイナ。それを聞いたら君は――。


「貴様の尻を今、アラタがガン見しているぞ」

「……」

「……」

「アラタ……目を閉じてる、わよね?」


 ぎぎぎぎぎ、とレイナがゆっくりと振り向く。

 その顔は真っ赤に染まり、嘘でしょ? と言った様子だ。


 もちろん嘘と言いたい。

 言いたいが、まったくもって嘘過ぎなくて困る。


「……」

「……」


 しっかりと、俺はレイナと目が合った。

 もう駄目だこれ。本当にもう駄目だこれ。

 だって、なにか変なことされてるとか全然なくて、単純に俺の意思が弱いせいで目を離せないんだから。


「っ――」


 感情が爆発したのか、レイナが声にならない声を上げて再び乳白色の温泉の中に座り込む。

 やっていることは先ほどと同じだが、湯気である程度隠れていたときと違って、今回は間近で見られたのが分かったのだろう。

 本気で恥ずかしそうにしていて、言葉も出ないらしい。


 俺はというと、とある事情で立てないし動けないので、精一杯恥ずかしがるレイナの顔を見つめるだけになってしまった。


「くは! くははははは! なんだ貴様ら、私を笑い殺す気か! ひーひっひひ」


 そうして一人だけ、本当に楽しそうに笑うヴィーさん。


「あー! ままとぱぱ、ずるい! スノウもー!」


 ばしゃばしゃと飛び込んで、俺とレイナの間に入ってきたスノウはご満悦な様子だ。

 しかしそんなこの子のおかげで、ようやく俺はちょっとだけ落ち着きを取り戻した。


「あれ、ヴィーちゃんも温泉に入りに来たの?」

「ルナか。同じ鬼同士、鬼神族とは旧知の仲だからな。ここの温泉にはよく来ているぞ」

「へー。そうだったんだー」


 ヴィルヘルミナさんも散々笑って満足したのは、もうこちらにはあまり興味がない様子。

 完全に湯に浸かり、ルナと雑談に興じ始めていた。


「そういえばルナ。お前身体の様子はどうだ?」

「んー? どういうこと?」

「最近、ちょっと動きが良くなったとか、いつも以上にお腹が空くとかあるだろう?」

「あれ? ルナ、そのことヴィーちゃんに言ったっけ?」

「いや、ただそうだな……」


 ヴィルヘルミナさんがなにやら意味深に月を見上げた。


「明後日だな。恐らくお前はとある夢を見る」

「夢?」

「ああ。だがまあ、そいつがいるなら大丈夫だろ」


 そうして俺とヴィーさんの目が合う。

 その目は先ほどまでとは違い、かなり真剣な瞳で俺を射抜く。


「おいアラタ。しばらく鬼神族の里にいるのだろう?」

「え? あ、うん。せっかく観光に来たからね」

「なら、その間は貴様ら全員で寝ると良い」


 それが、普段であればまたレイナをからかうための冗談だと思う。

 しかしヴィーさんは以前からルナに関しては面倒見がいいし、今も妙に神妙な様子のため、俺はただ頷いた。


「ぱぱぁ……そろそろ出たい」

「あ、そうだね。そろそろ出よっか?」

「うん!」


 とはいえ、俺はまだ立ち上がれない。


「ルナ、悪いんだけどスノウとレイナを連れて行ってくれないかな?」

「お姉ちゃんどうしたの? お顔真っ赤だけど」

「ちょっとのぼせちゃったのかな? 俺は連れていけないから、お願い」


 完全に正気を無くして瞳をぐるぐるさせているのは、本当にのぼせているようにも見える。

 とはいえ、これは多分恥ずかしさの限界を超えてしまっただけだろう。


「はーい。行こ!」

「うん! ぱぱ、あとで抱っこ!」


 ちゃっかり要求をしながら、ルナに引っ張られてレイナとスノウは出口に出ていく。


「おいアラタ! チャンスだ! 今ならまたレイナの無防備な尻が見れるぞ!」

「本当におっさんみたいに下品ですね! というか、服着てください!」

「温泉で服着る馬鹿がいるか?」

「ああもう! ああ言えばこう言う!」


 ケラケラと笑いながら、ヴィーさんは温泉の中でだらーとし始めた。


「それで、さっきのはなんですか?」

「ん? 貴様が私に見惚れさせた件か?」


 そう言われたら、たしかにさっき、俺の身体は動かくなったし、なにかをされたのは間違いない……。

 無敵の身体で調子に乗ってたけど、もしかして害を与えないものは効果があるのだろうか?


 まあ自分のことは後回しでいい。

 それよりも――。


「違います。ルナの方です」

「ああ……」


 俺がそう言うと、ヴィルヘルミナさんは再び欠けた月を見上げる。


「貴様は、この島のやつらが自分の起源を思い出す切っ掛けを知っているか?」

「え? 鬼神族と古代龍族は、喧嘩をして強くなったら思い出すって言ってたけど」

「そうだな。ある程度以上に力が強くなれば、勝手に思い出す。だが――」


 ――ルナはもう十分すぎる強さを持っているのに、思い出していない。


「え?」

「まあ理由もわかる。わかるが、これは私がどうこうすることじゃないからな」


 ヴィーさんは立ち上がるとそのまま空に浮かんで、気付けばいつもの黒いドレスを身に纏っていた。


「今日が満月なら、もっと楽しかったな」

「……」

「貴様なら平気だろうが、いちおう言っておこう。たとえどんな姿になっても、ルナはルナだ」


 それだけ言って、静かに空の彼方へと消えていく。

 普段なら高笑いをして、こちらを馬鹿にしながら去っていくから、妙な気持ちが残ってしまった。


「ルナは、ルナか……そんなの当たり前だよ」


 この島に来てから、一番最初に出会った少女。

 ルナがいたからこそ、エルガに出会い、ティルテュに出会い、そしてこの島のみんなと仲良くなれたのだ。


 だからもし、この先あの子がなにか大変なことになるんだったら――。


「俺が、ちゃんと助ける」


 どんなことがあっても傷付くことのない身体。

 この神様から与えられた肉体は、自分のためだけじゃなく、みんなのためにだって使えるんだから。


「さて……」


 俺はついに立ち上がることができるようになったので、そのまま最初に来た脱衣所の方へと向かう。

 そして何気なく中に入ると――。


「ぱぱだ!」

「ちょ――! アラタこっちは女性用よ!」

「なんで⁉ 俺はたしかに――⁉」


 ――ひーひっひひ!


 そんな声が俺の脳裏に直接響き、これは絶対にあの人のせいだ、と思いながら慌てて外に出て、反対方向へと走って行った。



 その後。

 どうやらヴィーさんの悪戯は、サクヤさんも特に意識してやっていたわけではなかったという。

 良かった。この人があんな悪戯に加担して楽しんでいたら、俺はもう人間不信になっていたかもしれない。


 ただヴィーさんに言われて、俺とレイナが完全に夫婦だと思い込んでいたらしく、浴衣に着替えたあと部屋に戻ると、大人用の布団がぴったりくっついていた。

 子ども用は少し離れたところにあり、俺たちはなにも言わずにそっと布団の位置を変える。

 そんな、最後の最後までヴィーさんによって振り回されつつも、俺たちは四人で並んで眠りにつくのであった。


―――――――――――――――――――――――

【あとがき】

というわけで、本編100話到達ですー!

いつも応援ありがとうございます✨✨


おかげさまで書籍もコミックも重版が続いて絶好調!

WEB版も更新していきますので、良ければこれからもお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!

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