第99話 混浴

 もし過去の俺に将来の自分に、美少女と一緒に貸し切りの温泉に裸同士で混浴してるぞ、と伝えたらこう言うだろう。

 寝言は寝てから言え、と。


「アラタ……こっち見たら駄目だからね」

「わ、わかってる……」


 俺とレイナは今、広い温泉の中を背中合わせになって浸かっている。

 背中から感じる彼女の熱は温泉より熱く、緊張しているのか鼓動の音がダイレクトに伝わってきた。


 なぜ背中合わせなのかというと、これ以上離れるとスノウが怒るのだ。


「ままとぱぱ、仲良くしなくきゃだめ!」


 温泉で予想外のハプニング。

 動揺したレイナと、慌てた俺を見たスノウは何かを感じ取ったのだろう。

 このままだと俺たちが離れてしまう、とでも思ったのか、こうしてくっつくことを指示してきたのだ。

 俺たちの機微に敏感なのはいいんだけど、今この状況は子どもにはわからない世界。

 しかし俺たちはこの子に逆らえずこうして密着して温泉に入ることになった。


「っ――」


 少し手を動かして、身体を支えようと思ったら、レイナの手と触れる。

 慌てて引っ込めてから、手が触れ合うなんて別に今更な行為なのに、なぜかとても気恥ずかしい。

 これが温泉効果なのだろうか?


「どうしてこうなった?」


 この状況になるには、様々な条件が必要だ。

 まず、当たり前だが俺とレイナが同じタイミングでこの温泉に入ること。

 これは案内をしてくれたサクヤさんにしか出来ないことだが、しかし彼女がこんな悪戯をするとは思えない。


 いや、もしかしたら鬼神族はこういったことに羞恥心がなく、男女お互いに裸を見られてもいいと思っているのかもだけど……それなら一つ疑問がある。

 それは彼女たちが日常的に服を着ていること。

 羞恥心がないのであれば、鬼神族のように強い種族が服を着る必要などないし、脱衣場が男女で分かれている意味がない。


 なにより、サクヤさんには好きな人がいるとのことで、それをレイナに追求されて恥ずかしがっていた。

 最低限男女の営みなどにも恥ずかしいという気持ちがあるはずだ。


「みんなでおふろー」

「おっふろー」


 楽しそうにしているスノウとルナ。

 彼女たちはこの大きな温泉をぐるっと回るように端の方まで行ってしまった。


 俺とレイナはというと、お互いを見ないようにしながら、彼女たちが満足するまでこの温泉から出れない状況。


「わざとじゃないのよね?」

「もちろんだよ。サクヤさんには貸し切りって聞いてたし、男女分けもされてたけどちゃんと男側に入ったよ」

「そうよね。あなたはそんなことしないもんね……」


 これまで一緒に住んできて、俺たちはお互いの信頼関係には自信がある。

 同時に、この状況を作りそうな人にも心当たりがあった。

 常にこちらをからかうことに命を懸けるような、面倒くさい人。


「ということは……」

「うん。これは……」


 どうやらレイナも俺と同じことを思い至ったらしい。


「ヴィルヘルミナさんの仕業ね!」

「ヴィーさんの仕業!」


 俺たちが同時にそう声を上げた瞬間、空から小さな蝙蝠の集団が集まり、人型を形成する。

 そうして月を背景に現れたのは、黄金の髪をたなびかせた、この島最古の存在である真祖の吸血鬼。


「くくく……はーはっはっは! お前たちぃ、なんだなんだ仲良しか⁉」


 本当に、心の底から楽しそうな彼女はすで瞳に涙を浮かべて、指をさしながら全力で笑っていた。

 出てきてそうそう、むちゃくちゃ腹立つ態度だぞこの人!


「ひ、ひひひひひ……ああ駄目だ、腹痛い」

「本当に楽しそうに笑いますねぇ!」

「本当に楽しいからなぁ!」


 ヴィーさんがこちらを煽るように空中でジタバタしてる。

 くそ、こっちが立ち上がれないからっていつも以上に調子に乗ってる!


「うー! うー!」

「レイナ、駄目だよ」

「わかってる。わかってるけど……もー!」


 いつもならすぐに攻撃を仕掛けるところだが、ヴィーさんもそれがわかっているのかあえてレイナの視界から外れている。

 もし魔法を使おうと思ったら、一度俺の方に向かなければならない位置にいるあたり、本当に嫌らしい人だ。


「いやーしかし、貴様らは本当に面白いように動いてくれる!」

「やっぱりアンタの仕業か!」

「どれのことかな? 例えば、サクヤに声をかけてここを貸し切りにしたことか? それとも男女の仕切りを外しておいたことか? もしくは、魔法でスノウたちの声が響かないようにしたことかなぁ?」

「全部だ全部!」

「ならば正解! そう、私の仕業だ!」


 サムズアップしながら全力で八重歯を見せて笑ってきた。

 ああくそ、本当にタチの悪い人だ。


 この温泉に入ったとき、俺はちゃんと確認したんだ。

 スノウたちの楽しそうな声とかが聞こえてこないことを。


 てっきり結構遠く離れてるのかと思ったが、よく考えたら俺の聴力ならかなり離れていても聞こえるはず。

 それが全く聞こえなかった時点で、なにかされていることを考えるべきだった。


「なあレイナ! 今どんな気持ちだ⁉ 好いた男と一緒に混浴出来てドキドキわくわく、これからあんなことが待ってるって色々と期待と妄想をしてるんじゃないか? 」

「う、うるさいわね! なにも答えないわよ!」

「美味しい羞恥心ありがとう!」


 会話になってない。

 ヴィーさんは人の恥ずかしい気持ちとかを糧にしているから、今のレイナは彼女にとって非常に美味しいご馳走そのものなのだろう。


「アラタ、アラタよ。振り向けば、レイナの裸が見れるのになぜ振り向かない?」

「レイナの困ることなんて出来るわけないでしょ」

「はぁ? お前それでも付いてるのか?」

「言い方が下品すぎる」


 本気で呆れてくるし、本当に最低だなこの人。

 せめてそこは、男かくらいにして欲しいところだ。


「いやだってお前なぁ。本当に嫌だったらなにをしたって出ていくぞ? それをこんな状態で一緒にいるってお前、レイナはお前に無理やりでも見て欲しいって思ってるに決まってるだろうが」

「っ――⁉」


 俺の背中でレイナが驚いたような態度を取る。

 でも大丈夫、俺はこんな甘言には乗らないから。

 しっかりと意思を伝えるようにヴィーさんを睨むと、呆れたようにため息を吐いてきた。


「はぁー、お前はダメなやつだなぁ」

「そろそろ本気で怒りますよ」

「ふむ……」


 ヴィーさんにこんな脅しをしても意味がないことは分かっているが、それでも言わずにはいられない。

 すると彼女は珍しく神妙な顔をして、黙り込んだ。


「そう。それならいつもと趣向を変えて、こういうのはどうだ?」


 一体どうしたんだろうと思った瞬間、彼女の身体が小さな蝙蝠になり――。


 ――せっかくだ、私も温泉に入らせてもらおうか。


 脳裏に直接響くような声。

 月明かりの下、突然全裸になったヴィーさんが、ゆっくりと俺の目の前まで降りてきた。

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