第95話 コイバナ

 着物というのは思ったよりも動きやすく、快適だと言うことを初めて知った。

 なにより、この特別感が良い。

 日本に住んでいたが、子どもの頃を除いたら、男で着物を正式に来たことがある人はそう多くないんじゃないか、

 それこそ成人式か、結婚式か。

 どちらにしても、晴れの日くらいしかないと思う。


「あの子たち、ずっと元気ねぇ」

「うん、疲れ知らずだ」


 あの子たち、というのはもちろんずっと俺たちの前を歩いているルナとスノウの二人のことだ。

 初めて見るものばかりでテンションの上がっているスノウに、何度も来ているルナが教えてあげるということを繰り返していた。


「本当に、ああして見ると本物の姉妹ね」

「うん。ティルテュも合わせたら三姉妹だ」


 そうなると、スノウが末っ子として、長女はいったいどっちになるだろう、と思う。

 しかしルナもティルテュも長女っぽいかと言われると……。


「全員末っ子?」

「それじゃあ三姉妹じゃなくて三つ子じゃない」

「でもさ、あんな風にお姉ちゃんしてるルナが長女って感じではなくない?」

「うーん、まあね。じゃあティルテュが長女かって言われると、ちょっとそれも違う気がするわね」

「だよね」


 まあ、別に性格と姉妹の位置が一致するわけではないか。

 ルナにしても、今回留守を買って出てくれたティルテュにしても、スノウの『お姉ちゃん』には変わりない。


 ちなみに、俺が一番長女っぽいなと思ったのはサクヤさんだったりする。

 レイナより二歳年下らしいが、かなりしっかりしていて、今もスノウたちと笑い合っている。

 元気いっぱいな彼女たちも、懐いているというか、俺がびっくりするくらいサクヤさんの話はちゃんと聞いているのだ。


 これがエルガだったら、あの子たちは動きを止めることもなく遊びまわっていたことだろう。

 そんなことを考えていたら、サクヤさんが振り返って穏やかに微笑む。


「それでは、そろそろ家の方へと向かいましょうか」

「うん。よろしくお願いします」

「「おねがいしまーす!」」


 一通り鬼神族の里を見て周った頃には、太陽もやや赤く染まり始める時間帯。

 サクヤさんの案内で、里で舗装された山道を登っていく。


 そうしてしばらく歩くと、木造の家が並ぶ区画へと辿り着いた。

 見渡すと、不思議なことに女性しかいない。

 これはどういう事だろう、と思っているとサクヤさんが一軒の家を指さした。


「あそこが、私と兄の家になります」

「あの……ご両親は?」


 レイナがやや気まずそうに尋ねる。

 両親がいない、というのはつまり、死別しているんじゃないかと思っただろう。


「両親は、あの上にいますよ」


 しかしサクヤさんは特に気にした様子を見せず、山の奥深くを指さす。

 見れば道はまだ続いていて、その先に彼女たちの両親がいるのだろう。


「わざわざ別に住んでいるの?」

「鬼神族は十を超えるとあの山から下りて、こちらに住むんです。そして、始祖様の名を得たらまた山に戻ります」

「へぇ……」


 他の種族にはなかった風習だけど、そういうのもあるのかと感心する。


「なので、先ほどまで見て頂いた温泉などにやって来る来訪者のお相手は、我々が行うのですよ」

「ああ、だからみんな若い子が多かったんだね」

「はい」


 しかし、それなのに男手がないのは大変なんじゃないだろうか?

 というか、始祖の名を得るには力が必要で、そのためにギュエスはグラムたち古代龍族たちと戦っているんじゃなかったっけ?

 だとしたら、女性の鬼神族はどうやって始祖の名を知るのだろう。


「女の人は、どうやって始祖の名を知るの?」


 なんて思っていたら、レイナが先に聞いてくれた。


「私たち鬼神族の女は、夫を頂いて、子種を頂くときに知るのです」

「ちょっ――」


 まさかの発言にレイナが焦った顔をする。

 いや、正直俺もめちゃくちゃ焦った。

 というか、彼女みたいに清楚な感じの女の子からいきなり子種とか言われたらびっくりするに決まっている。


「どうされました?」

「いやだって、え? その……えと、子だ……それって」


 すごく自然体のサクヤさんに対してレイナはあわあわと顔を真っ赤にした状態。

 ヴィーさんにからかわれたりしてる時もだけど、レイナは結構下ネタに弱い。

 そしてレイナにとってまずいのは、サクヤさんにはからかう気など一切ないということだ。


「子孫を残し、次世代に繋ぐことはとても大切なことですよ?」

「いや、それはそうなんだけど……」


 先ほど着物について説明しているときくらい真剣なサクヤさんに、レイナが押され始める。

 というか、この話俺が聞いててもいいのかなぁ……。


 ふと、前を歩くスノウたちを見ると、彼女たちは小さな川で石に飛び乗ったりして遊んでいた。

 いいな、ほのぼのとしてる。

 あの子たちなら足を滑らして川に落ちるとかもないだろうし、ただ借り物の着物を汚さないかだけが心配だ。


 そして再びレイナとサクヤさんを見ると、どうやらサクヤさんが押し切った様子。

 まあ、サクヤさんも中学か高校生くらいの年齢。コイバナだってしたい年ごろだろう。


「鬼神族は強さを追求してきた種族です。それゆえに、女にとってつがいとなる男性の強さはとても重要なのです」

「そ、そうなのね……」


 問題は、価値観が人間と違うということと、言葉の一つ一つが本能的で躊躇いが一切がないこと。

 もしこれがヴィーみたいにからか目的だったら、レイナももっと強気でいられただろう。


 そういえばティルテュも、強い雄に惹かれるのは当然。より強い子を産みたい、と言ってた気がする。

 最近はそういう仕草は減ってきたけど、もしかしたら彼女にとって強さよりも重要ななにかが生まれたのかもしれない。


「しかしそれ以上に重要なのが愛です」

「あ、愛……?」

「見たところ、レイナさんとアラタさんは愛しあっているようにも……」

「さ、サクヤさんストップ! そこまで! この話はもうおしまい!」


 慌ててレイナが声を上げるが、サクヤさんは止まらない。


「強さ、容姿、魅力……たしかに男性にとっても、女性にとっても、それらは重要かもしれません。ですがやはり、愛だと私は思います。より深く、この人を愛したい、そう思える人がいれば、そこに種族の壁など……」


 ほう、とサクヤさんは誰かを思い浮かべるような表情。

 普段のお淑やかな彼女とは打って変わって、すごい色気があった。

 彼女が今思い浮かべられている人は、すごく想われているのだとわかる。


「サクヤさん?」


 は、とサクヤさんは気付いた様子で普段の顔になるが、レイナはそれを見逃さなかった。


「はい、どうされましたか?」

「今の顔、ごまかせるとでも思ってるのかしら?」

「……」


 にっこりと笑うレイナと、冷静さを保っているようでちょっとだけ気まずそうに視線を逸らすサクヤさん。

 さっきの仕草、あれは俺でもわかる。

 どうやら形勢は逆転したらしい。


「聞かせてもらいましょうか? サクヤさんが愛してるっていう、その人のことをね」

「ぁぅ……」


 レイナの言葉でサクヤさんの顔が少し紅くなる。

 どうやら、先ほど本能な訴えをしていた彼女も、しっかりと恋愛に関しての羞恥心はあるらしい。

 恥ずかしそうに袖で顔を隠し始めた。


「ふふふ」

「ぅぅー、その……」

 

 散々攻められたせいか、今のレイナは妙に生き生きとしている。

 普段から彼女はヴィーさんなどにからかわれているが、自分が攻める側に回ることは滅多にない。

 というか、よく考えたらこんな風なレイナは初めて見た。


 ――もしかしたら結構、気が合うのかな?


 この島で彼女と年齢が近いのはカティマくらいだが、カティマはふざけているようで意外と警戒心が強い。

 レイナのことは友達と思っているだろうが、俺やスノウに比べるとやや距離があるように感じる。


 それはレイナもわかっているのか、カティマにはしっかり距離を置いた対応をしていた。

 対してサクヤさんに対しては――。


「ほら、誰のこと? そこまで言っちゃったなら教えてくれないかしら?」

「そ、それは……レイナ様、後生ですー」

 

 サクヤさんが本気で嫌がっているというわけじゃないのは、離れて見てる俺でもわかる。


 ――いやぁ、華があるなぁ。


 この島で出会う人は、本来レイナにとって神にも等しいレベルの存在ばかり。

 たとえそれぞれが良い隣人であり、友人であっても、どうしても思うことは多いだろう。


 七天大魔導の一人として、気を張り詰めている日も多いはず。 

 だけど今のサクヤさんに接するレイナの姿は、女子高生が友達に接するような距離感で、とても楽しそうだ。

 そしてサクヤさんもまた、なんだかんだで楽しそうに見える。

 

「ぅぅぅ……誰にも言わないでくれますか?」

「ええ、もちろんよ」


 チラっと離れた俺の方を見るので、黙って両手で耳を塞ぐ。

 こうでもしないと、聞こえてしまうのだ。


 ちなみにルナたちは結構離れた展望台みたいなところで、鬼神族の街並みを見下ろしてはしゃいでいた。

 もう山道を結構歩いてきたので、最初に見た巨大な源泉もだいぶ小さく見える。


「――」

「――つ!」


 サクヤさんがレイナの耳元で誰かを話したのだろう。

 レイナが驚いた顔をして、なぜか嬉しそうに何かを言おうとして、すぐに俺を見て口を閉じた。

 だが言いたいことがあるのだろう、顔が若干楽しそうに引きつっていた。


 とりあえず、もう耳を開いていいだろうと手を下ろしたら――


「サクヤさん、私あなたを応援するわ。だって、恋は障害があるほど燃えるものだって、本に書いてあったもの」

「あ、ありがとうございます……」


 そんな声が聞こえてきて、妙に張り切ったレイナにいったいどうしたのだろうと思うが、まあ聞かない方がいいのだろうなと思う。

 だって、女性同士のやりとりに、男の俺が入ったっていいことなさそうだし。


 これまでの人生を教訓に、俺はかけっこをしているスノウたちを捕まえることにするのであった。

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