第93話 着付け

 サクヤさんに呼ばれて向かった先には、先ほどの着物がずらりと並んだ部屋に比べると小さな部屋だ。

 大人サイズと子供サイズの着物が何枚か用意されていて、サクヤさんがお淑やかな笑みを浮かべていた。


「これって……」

「せっかくなので、皆様に合いそうな着物をいくつか選ばさせて頂きました」


 着物のことはよくわからないが、どれも色や文様が奇麗で、もし日本で売っていたとしたらすごい値段になってるんじゃないか、って思ってしまう。

 そんなものを簡単に着させてもらってもいいのだろうかと、庶民的な感覚になってしまった。


「わーい!」

「きれー。これ着ていいのー?」

「ええ、もちろんです」


 しかしそんな俺の感覚など、子供たちには一切関係などない。

 部屋の中へと入っていくと、一緒になってどれにするー? と楽しそう笑い合いながら選び始めた。

 そんな二人を微笑ましそうに寄り添いながら、サポートしているサクヤさん。

 一つ一つ丁寧に、こだわった部分などを説明している。

 彼女の所作のおかげか、普段から元気いっぱいの彼女たちも大人しくしていた。


 そんな中、大人組の俺とレイナはまだ部屋の入口で立ったまま。


「本当にいいのかしら?」

「まあ、いいんじゃないかな? だってサクヤさんも楽しそうだし」

「そう、ね」


 そうして俺たちも部屋に入って着物をいくつか見てみる。

 一体どういう生地を使っているのか、どれも触れると粉雪のように優しい感触。

 

 絶対高いやつだな……などと恐る恐る選んでいると、子供たちは先に選んだらしい。


「はい、それでは決まった方からあちらの部屋に行きましょう」


 奥に続く部屋があり、そこには大きめな鏡などが置かれていて、何人か鬼神族。

 子供たちが自分の選んだ着物を嬉しそうに持って入っていく。


 俺はどうしようかと思ったら、青っぽい色の着物が目に入った。

 なんとなく、これがいいなと思い手に取る。


 思っていたよりもずっしりとくるが、それだけ着物としてしっかりしているのだろうと思った。


「そちらが気に入りましたか?」

「あ、サクヤさん。そうですね、なんとなくですけど」

「こういうのは感覚でいいのですよ。それでは、男性の方はあちらへ」


 スノウたちが入った部屋とは違う扉を案内される。

 着替えるのだから男女別は当たり前だな、と思って扉を開ける。


「「らっしゃい!」」


 鬼神族の男性二人が、なぜか腰巻一枚だけの恰好で筋肉を見せつけるようなポージングをして待ち構えていた。


「……」


 とりあえず扉を閉めて、背を向ける。


「サクヤさん、部屋を間違えて――」

「おいおい青年! なぜ扉を閉めるのかな⁉」

「さあお着替えの時間だぞ!」

「うわっ――⁉」


 俺が背を向いた瞬間、背後の扉が開き、伸びてきた手によって身体を捕まれる。

 そして何かを言うより早く、部屋の中へと無理やり連れていかれてしまった。


 思わず尻もちをついて見上げると、鬼神族だろう二人が怪しい目でこちらを見ていた。


「我はアオと呼んでくれ」

「我はアカと呼んでくれ」

「あ、アラタです……」


 それぞれ青色と赤色の身体をしていて、しかし見た目はそっくりだ。

 ギュエスに比べると細い肉体だが、どちらも筋肉を絞っただけで、無駄のない身体とはこういうものだというのを体現している感じ。

 なんとなく、昔読んだ童話の赤鬼、青鬼、というのが頭によぎる。


「ふっふっふ……」

「それでは始めようではないか」

「「さあ」」


 二人はニヤニヤとしながら、俺の身体に手を伸ばしてくるので、ついその手を弾いてしまった。


「あ……」

「なぜ弾く」

「我らは立ち上がるのを手伝ってやろうとしただけなのに」

「いや、なんというか、すみません」


 理由はない。あえて言うなら本能的に危険を感じたから。

 とりあえず自分で立ち上がると、二人はちょっとすねたような顔をしていた。

 

「アラタ殿は、一人で着付けなど出来ないだろう?」

「だから我らが手伝ってやろうとしてやろうではないか」


 そうやって二人がまた手を伸ばしてくるので、弾いてしまう。


「……」

「……」

「……なぜ弾く」

「ごめんなさい」


 本能的な恐怖で、つい。

 とは言えないので、とりあえず素直に謝る。

 もともと二人に他意がないのもわかるのだが、反射的になのだ。


「えっと、とりあえず服を脱げばいいですか?」

「ああ。我らが脱がしてやろう」

「大丈夫です」


 ここだけは断固たる意志を見せて拒否をして、俺は自分で上着を脱ぐ。

 そして履いているズボンも脱ぎ、下着一枚になると、二人の視線が真剣なものになった。


「ほほう……」

「な、なんですか?」


 二人が一歩前に出てくるので、俺は一歩後ずさる。

 何かを狙われている、そんな気配がしたのだ。


「いやいや、なるほど。我らに勝らずとも劣らない見事な身体だな」

「ああ、無駄のない筋肉、素晴らしい……」

「少し抱き着いてみてもいいか?」

「よくありません」

「むう、そうか……」


 とりあえず敵意はないらしい。

 ないんだが、やっぱり敵意よりも嫌な視線を感じた。

 

「まあ若とお嬢の友人だからな。あまり我らが干渉しすぎるのもよくないだろう。なあアオよ」

「だがアカよ、鑑賞するのはいいのではないか?」

「なるほど」

「なるほどじゃありません」


 なにちょっと上手いこと言ったみたいな顔をしてるんだ。

 

「冗談だ冗談」

「うむ、貴様は若たちの友人だからな」


 朗らかに笑ってるつもりかもしれないけど、目線がめちゃくちゃ俺の身体見てるんだよなぁ……。

 ただとりあえず、悪い人たちじゃないのは分かった。


 郷に入れば郷に従え、という言葉もある。

 それに着物のちゃんとした着方なんて俺も知らないし、ここは任せるしかないのだ。


「えっと、それじゃあよろしくお願いします」

「うむ、任せよ。まずは足袋を履くがよい」

「それが終わったら肌襦袢だ」

「そして長襦袢だな」


 アカさんとアオさんが、一つ一つ手に取って、名称を教えてくれながら渡してくれる。

 肌襦袢というのは今まで見たことなかったけど、着物用の肌着みたいなものらしい。

 そして長襦袢を手に取り、さっと着る。


「おっと、そんなゆったり着てはいけないな」

「え?」

「長襦袢を制す者が着物を制す」

「そう、これは鬼神族の言葉だ。ここで手を抜いてはいけない」


 二人そろって俺に近づき、そして長襦袢を上から下まで丁寧に整えてくれる。

 それはいいんだけど、視線と圧がすごい。


「ふむ、まあこんなものか」

「うむ。身体がいいから綺麗に着こなせているぞ」


 ただ実際の動きはテキパキとしたもので、さきほどまでゆるく着ていたそれが、ぴしっと体に合うようになっていた。


「あ、ありがとうございます」


 俺はというと、正直もうちょっと疲れていた。

 だがしかし、彼らが言うにはまだまだこれかららしい。


「さあ、そして本番!」

「そう、今から着るのがこれだ!」


 そうして俺が選んだ青っぽい色の着物を取り出した二人が、再び俺に接近する。

 反射的に手で払いそうになるが、今度はそれを自制して、二人を受け入れた。


「こう、裾をぴしっと……」

「襟元も整えて……」

「腰をいったん仮止めして……ふむ、やはりいい身体だ」

「全体の皺を伸ばして帯をぎゅっと……このライン素晴らしい」


 言葉にしながら整えてくれるのだが、出来れば黙ってやってくれないだろうか?

 定期的に聞こえてくる俺の身体についての評価が怖いんだ。


「さあ、これが最後だ!」

「この羽織を!」


 まるで伝説の武器でも渡すかのようなテンションで羽織を渡してくれたので受け取る。

 そして鏡の前に立つと、まるで時代劇とかで見たような立派な着物姿の自分がそこにいた。


「おお……」

「うむうむ、実にいいぞ!」

「素材がいい! ここまで着こなせるものはそうおらん!」


 さっきから思ってたけど、この二人すごく褒め上手だ。

 お世辞だとはわかっているが、事細かく褒めてくれるものだから、なんだか自分が凄くなったかのうに錯覚してしまう。


「はっはっは! これならどんな女子おなごもイチコロだな!」

「うむうむ! しかしアラタ殿、お嬢に手を出したら我らも黙ってはおらぬからな!」


 そんな冗談を言いながら、顔は結構マジ顔だった。

 どうやらお嬢ことサクヤさんは二人に慕われているらしい。


「着付けが終わったら、先ほど休んでいた部屋で待ってて欲しいとお嬢から言われている」

「男より、女子の方がいろいろと手間があって時間がかかるのだ!」


 まあそうだろう。

 それに向こうは三人だし、いろいろとやることも多そうだ。


「わかりました。二人とも、ありがとうございます」

「なに、こちらも役得だった!」

「うむ! いい身体を堪能させてもらったからな!」


 ちょっと仲良くなれたからか、最初の頃よりは恐怖も薄れる。

 最初の頃よりも、だけど……。


 俺は先ほどの部屋でのんびり待っていると、襖の外から子供たちの楽しそうな声が聞こえてきた。

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