第92話 温泉と着物
サクヤさんの案内を受けながら鬼神族の里を歩いていると、他の種族たちとすれ違うことが多い。
神獣族の里にしても、アールヴの村にしても、他種族を見るということはあまりなかったから、かなり新鮮に思えた。
「ぱぱー」
「ん? どうしたの?」
「肩車してー」
両手を上げてこちらにおねだりしてくるので、スノウの両脇を抱えて持ち上げる。
そのまま頭の上に乗せると、慣れた様子で俺の頭に手を置いた。
「もうそれも見慣れちゃったわね」
「ままより高い!」
「ええ、そうね」
俺の頭の上でスノウが自慢げだ。
いったいなにを自慢することがあるのかわからないが、スノウもレイナも楽しそうなのでいいか。
さらに鬼神族の里を進んでいくと、徐々に温泉らしい匂いが強くなってきた。
「おおー」
これまでとは違う新しい光景に、スノウが楽しそうな声を上げた。
「楽しい?」
「うん! 変なにおいー!」
興奮すると髪の毛を引っ張って来るのだが、よく考えたら俺の身体ってハゲとか大丈夫なのだろうかと思ってしまう。
まあティルテュの炎で頭燃やされても髪の毛は燃えなかったから、大丈夫か……。
「これって源泉の匂いですか?」
「ええ」
俺がそう尋ねると、サクヤさんは微笑みながら山を指さす。
「鬼神族の里にはいくつか山があるのですが、昔火山が噴火したときにいくつか地盤が割れて、そこから溢れてきているのです」
「へぇ……」
「普通のお湯より肌が綺麗になったり、体調が良くなったりするんですよ?」
「肌が綺麗に……」
サクヤさんの説明を聞いたレイナが、サクヤさんを見ながら興味深そうに呟く。
たしかにサクヤさんの肌はとても綺麗だ。
レイナも寝る前とかに保湿みたいなことをしているのはしているが、それよりもしっとりしているような気がする。
「サクヤさん、どんな効果があるか教えてもらってもいいかしら」
「ええ、もちろんです」
やはり異世界でも女性にとって美容というのは重要なものなのだろう。
レイナの質問に、サクヤさんはすらすらと答えていく。
「……」
なんというか、華やかな女性たち二人が話す姿はというのは見ているだけで目の保養になるな。
「お兄ちゃん! あそこでみんなお団子食べてるよ!」
「おだんご!」
そしてこちらは美容より団子らしい。
ルナの指さす方には鬼神族らしいお婆さんと、それに集まる子供たちが美味しそうに団子を食べていた。
自分も食べるのだと俺の腕を掴んで引っ張るルナと、髪の毛を引っ張って操縦しようとするスノウ。
こうなったら抵抗は無意味なので、俺は流されるがままに彼女たちと団子を作っているお婆さんに挨拶をするのであった。
みんなで団子を食べたあと、鬼神族の里の案内は続く。
山の中に里を作った形なので、坂が多い印象だ。
とはいえ、この島に住むような人たちは普通の獣人なんかでも人よりずっと体力もあるので、この程度では疲れなさそうだが……。
「色んな種族の人たちがいますね」
「皆さん、温泉を楽しみに来てくださいますから」
「温泉かぁ……」
入口で草津温泉を思い出したが、たしかに昔ながらの温泉街という雰囲気が良く似合う街並みだ。
近くを歩いているエルフの人たちも、神獣族の人たちも、みんな当たり前だと言わんばかりに着物を着て歩いている。
「着物が気になりますか?」
「そうだね。俺の地元にも同じような服があったんだよ」
「まあ、そうなのですか」
「て言っても、昔の人の服ってイメージで、俺は着たことないんだけどね」
着物に関しては色々と作法があると聞いたことがあるが、最近だと結構カジュアルにも着れる服らしい。
特に若い子たちでも映えなんかを気にして、今風の着方をしてイベントに行く子も多いと聞いた。
じゃあ俺が日常着で着れるかと言われると、あまりにも目立ちすぎるし無理なわけだが――。
「私の住んでるところだと見たことない形の服だから、気になるわね」
「レイナは凄く似合うだろうなぁ……」
「……そ、そう?」
つい本音がポロっと出てしまい、しかもそれをレイナに聞かれてしまった。
そのせいで彼女はちょっと照れた様子を見せる。
「それなら、ちょっと着てみたいかも……」
「まあ」
「……サ、サクヤさん?」
何故か先ほどまでと同じお淑やかな笑みを浮かべているのに、妙なプレッシャーを与えてきている気がする。
こう、絶対逃げられない強敵を前にしたような、そんな気配……。
「皆さん、着物に興味があるということでよろしいですよね? ではでは、是非着てみましょう」
「え?」
瞳をキラキラと輝かせながらサクヤさんはそう言うと、一件の屋敷へと入っていく。
案内係の彼女が行くのだから、俺たちも当然入るしかない。
というか、今のサクヤさんに対して拒否を出来る雰囲気がまるでなかった。
「さあ、いらっしゃいませ」
俺たちが屋敷に入ると、そこには色とりどりの着物がずらりと並んでいた。
着物を売っている店は見たことあるが、それも外からガラス越しだけ。
こうして実際に着物に囲まれると、圧巻の光景である。
「うわぁ」
「凄いわね、これ……」
「きれー!」
花柄、龍柄、獣柄。
様々な柄の入った着物は、それぞれがまるで最高品質の生地と最高の職人によって作られたのではないかと思わせるほど凄みがあった。
というか、実際になにか不思議な力を感じてしまう。
「ふふ、実は皆さんが来られると聞いて、張り切って準備しちゃいました」
「準備って……」
その言葉はまるで、この着物を作ったのがサクヤさんのような言葉なんだけど……。
「サクヤお姉ちゃんはね、鬼神族で一番着物を作るのが上手なんだよ!」
「え、じゃあこれ本当に全部サクヤさんが……?」
ルナから教えられた事実に、驚いてしまう。
だってこれ、かなりの量になるぞ……?
「す、すごいね」
「ふふ、これくらいは普通ですよ」
聞けば、鬼神族の女性はこうして服などを作って、他の種族の人たちにも渡しているらしい。
「あとルナさん。皆さんそれぞれ作り手に特徴があるだけで、誰が一番とかはありませんよ」
「でもルナはサクヤちゃんの服が一番好きだよー」
「ふふふ、ありがとうございます」
二人は仲の良い姉妹のようで、見ていて微笑ましい。
見れば見るほど立派な着物。これをサクヤさんが作ったのだとすれば、本当に一番凄いと言われても納得の物ばかりだが、サクヤさんも謙遜ではなく、本気でそう言っているのがわかる。
ルナはサクヤさんの着物が一番好きらしく、愛用しているそうだ。
実際、彼女の手がける着物は色鮮やかな染めであったり、細部まで拘りぬいた絵柄が色んな種族でも好評だという。
「それでは色々と準備をしてきますので、少々お待ちください」
畳が敷かれた部屋へと案内され、サクヤさんは襖を閉じて少し離れていく。
まるで温泉旅館に来たような至れり尽くせりの対応に、少し恐縮してしまう。
とはいえ、この昔の日本みたいな雰囲気に懐かしさを感じるのか、次第にまったりとした空気が流れ始めた。
すでにルナは畳に寝転がり、その横ではスノウが真似をして転がっている。
俺はさすがに案内された部屋でそうするわけにはいかないが、本心では畳に寝転がりたいと思っていた。
「なんというか、ちょっと意外だったかも」
「え? なにが?」
俺の言葉にレイナが反応する。
「いや、この島に来たときにさ。エルガが鬼神族の若い人たちは気性が荒いから、気を付けた方がいいって言ってたよね……」
いざこうして里にやってきたら、そんなことはなかったな、というのが俺の感想だ。
服を作って他種族へと渡したりするらしいし、こうして温泉街には色んな種族の人たちが交流があるらしい。
「結構理知的な人たちって言ってわよ?」
「あれ? そうだっけ?」
「ええ。古代龍族の若い子たちに対しては血気盛んだから、巻き込まれたら危ないみたいなことは言ってたけどね」
「そっか」
どうやら俺はちょっと勘違いしていたようだ。
たしかに、この里に来てから多くの種族を見かけたが、それに対して鬼神族の人たちがなにかをしている様子もない。
それどころか、かなり親切にしていて、穏やかな種族なんだと認識を改めた。
「やっぱり、実際に会って見たりしなと駄目だね」
思い込みで誰かを印象付けるようなことはしちゃ駄目だな、と自分を戒めるように言い聞かせる。
そういえなギュエスにしても、身体が大きいから圧も強いが、古代龍族との喧嘩以外で誰かを傷つけるようなことはしない男だ。
「それにしても、準備ってなにかしらね」
「うん……それは気になる」
着物に興味がある、と言った瞬間のサクヤさんの圧。
あれは完全に、趣味の人が仲間を見つけたときのテンションで――。
「さあみなさん。準備が整いましたので、どうぞこちらへ」
お淑やかさな言葉と声の中に間違いなくあるウキウキとした気持ち。
それが伝わってきて、俺たちは彼女について行けるだろうかとやや不安に思うのであった。
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