第80話 聖女の旅 前編

 大悪魔に魅入られた『堕ちた聖女』。

 それがかつて聖女と崇められたセレスの、今の呼び名である。


「セレスがどれだけ他人のために頑張ってきたと思ってるのよ……」


 エリーはそう悪態を吐くが、それも仕方がないことなのも理解していた。

 聖堂教会は大陸において最も普及している宗教であり、敵対勢力に対して容赦をしないことでも有名だ。


 そんな教会と敵対した今、聖女として世界を救う旅をしていた彼女たちを取り巻く環境は厳しい。

 すでに『堕ちた聖女セレス』、『闇の勇者アーク』、『破滅の魔女エリー』の名はどこに行っても広がっている状態で、常に追手をかけられ、もはや普通に生きていくことは出来そうになかった。


 それゆえ彼女たちは今、自分たちを救ってくれたヴィルヘルミナの言葉を信じて神が住まう島ーーアルカディアを目指して旅を始めたのである。


「アーク、エリー……二人とも大丈夫ですか?」


 人目を避けて国を抜けるために山越えをしている三人は、道中で休憩を取っていた。

 通常の旅と違い、常に背後を気にしての旅は体力よりも精神的に苦しいものがある。

 だが――。


「当たり前でしょ」

「僕もだ。むしろセレスこそ大丈夫かい?」


 セレスの言葉に二人は笑って答える。

 普通なら心が折れてしまっておかしくない環境でも、彼らは強かった。

 だからセレスもまた、そんな二人に恥ずかしくない自分でありたいと思う。


「はい。たとえ聖女でなくなっても、私にできることは変わりありませんから」


 セレスの法衣はもうかなり汚れている。

 それは勇者アークの鎧も、そしてエリーのローブも同様だ。


 彼女たちを殺すためなら、聖堂教会はどんな被害も厭わないだろう。

 どこに敵がいるかわからず、もし一つの街に留まれば、その街に被害が出てしまうかもしれない。


 自分たちのせいで他の人たちを危険にさらすわけにはいかない。

 それは三人の共通意見であり、だからこそこの旅はかつて救世のパーティーとして崇められ、どこに行っても歓迎されていたときとは違うのである。


「ったく、こんなお人好したち、他にいないってのに……」


 エリーの呟きは二人には聞こえなかったらしく、夕食の準備を入っていた。

 ふと、料理の鍋を混ぜているアークが笑い出す。


「それにしても、闇の勇者か。ふふ……」

「アーク、あんた馬鹿なの? なにちょっと喜んでるのよ」

「いやだって、普通に勇者って呼ばれるより強そうじゃない?」

「……まあ、闇が悪って意味じゃないのはわかるけど、印象は悪いじゃない」

「うーん、でもさ……」


 エリーの言葉にアークは少し考える仕草をする。


「エリーは破滅の魔女って呼ばれてるでしょ」

「ええ、それが?」

「破滅の魔女の隣に立つなら、闇の勇者の方がしっくりくると思わない?」

「なっ――⁉」


 いきなりの発言に、エリーの顔が赤くなる。

 そしてついセレスの方を見ると、彼女はそんな自分たちのやり取りを微笑ましそうに見て笑っていた。


「こ、このアホ! いきなりなに言い出すのよ!」

「いたっ⁉  なんで蹴るんだよ! 仲間として一緒でいいねって話じゃないか」

「っ……そこ! セレスも、にやにや笑わない!」

「いいじゃないですか。私も堕ちた聖女なんて呼ばれて、みんなお揃いです」

「もぉ……この天然コンビは、もうぉ……」


 たしかにエリーは勇者、聖女のパーティーに自分のような存在がいるのは相応しくないと思っていた。

 破滅の魔女は、善か悪かで言えば完全に悪寄りの力なのだ。

 少なくとも、この善人代表の二人と自分は違うと何度も考えた。

 だからこそ、二人が自分と一緒だという言葉は、正直嬉しいもので――。


「照れてるね」

「照れてますね」

「照れてない!」


 たとえ世界がすべて敵になろうと、この二人だけは守ってみせる。


「美味しそうな匂い……ええ、とても……とても美味しそうな匂いですわ」

「っ――⁉」


 突如現れた声に、三人が咄嗟に動き出す。


 前衛にアーク、すぐ横にエリー。そしてその少し後ろでサポートできるようセレス。

 戦闘態勢を取った三人は、声の主を睨みつける。


「アーク、気をつけなさい! こいつ、只者じゃないわ!」

「わかってる……」


 緩やかな金髪を腰まで伸ばした女性は、なにも知らない人から見たらまるで教会のシスターのようにも見えるだろう。

 ただしそれは、禍々しい魔力を放っていなければ、の話だが。


「そんな風に睨まなくてもいいではありませんか。ふふふ……滾ってしまいますわ」

「お前は何者だ⁉」

「黄金の十字架、それに紅い修道服。まさか……」


 エリーに匹敵する魔力の持ち主など、大陸中を探してもそうはいない。

 そのうえで、清貧の誓願をたてたはずの修道女の中で、血を連想させる修道服と欲望の象徴である金を見せびらかす者など、セレスは一人しか知らなかった。


「七天大魔導『第四位』、カーラ・マルグリット⁉」

「くふっ! 聖女ちゃんに知っててもらえて光栄ですねー」


 にやにやと、とてもシスターとは思えない醜悪な笑みを浮かべるカーラから、さらに強大な魔力が解き放たれる。


「くっ⁉ なんで七天大魔導が僕たちを⁉」

「王国から貴方たちを捕らえるよう、依頼が来ましたからねー。もっとも、もう王国なんてどうでもいいんですけど……」

「アーク! セレス! いくら七天大魔導とはいえ、相手はたった一人! 私たちなら――」


 瞬間、風が走る。


「エリー、危ない!」

「なっ⁉」


 エリーに迫った不可視の刃をアークが剣で止める。

 それと同時に辺り一帯に吹き荒れる風から現れたのは、緑色の髪をした騎士だった。


「というわけで、自己紹介をしましょう」

「……」

「私はご存じ七天大魔導『第四位』常闇のカーラ・マルグリッド。そしてこっちは」

「……七天大魔導『第三位』神風のセティ・バルドル」

「というわけで、二人揃って貴方たちを捕まえに来ましたー」


 笑顔でそういうカーラと、無表情のセティ。

 対照的な二人であるが、その身に宿る強大な魔力は正真正銘『化物』と呼べるものだった。

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