第79話 その頃レイナは――

 アラタがマーリンと神獣族の里に行っている頃。

 レイナがスノウと留守番をしていると、家の外から空から聞き覚えのある音が聞こえてきた。


「ああ、この音」

「ママ?」

「ちょっと外に出てくるから、大人しくご飯を食べててね」


 外に出て空を見上げると、黒い龍が大きな翼を広げてこちらに落下してくるのが目に入る。

 龍は落下の途中、キラキラと輝き人型の少女となって地面に着地。


「旦那様ー。我が、き・た・ぞー! あれ? 旦那様は?」

「アラタならいないわよ。神獣族の里に行ったきりだから」

「なにぃ! むむむ、せっか遊びに来たのに……まだ帰ってきてなかったのか。この間も出掛けていて、最近遊べていないというのに……」


 ティルテュの言うこの間、というのはアールヴの村に向かったときのことだ。

 たしかにここ最近はバタバタしていて家にいないことが多く、彼女からしたら少し寂しい思いをしているのかもしれない。


 最近はアラタのおかげでだいぶ色々な人と交流を深めるようになったとはいえ、元々古代龍族の中でもはみ出し者としてぼっち生活を送っていたティルテュ。

 人見知りの激しい子なので、特に懐いているアラタがいないのは、彼女にとっても不安なことなのだろう。


 元々、世話焼きのレイナである。

 そんな風に寂しそうにしている少女を放っておけるはずもなく――。


「まあアラタはいないけど、せっかく来たんだからお茶でもどう?」

「レイナ……うむ。ならばお呼ばれしようではないか!」


 誘われて喜ぶティルテュにレイナは思わず笑ってしまう。


 もはや何度も遊びに来た家。

 ティルテュは勝手知ったる我が家という風に中に入っていくと、知らない存在がそこにはいた。

 

「む?」


 椅子に座って両手にフォークとスプーンを持ちながら、美味しそうにご飯を食べるスノウだ。

 口元を汚した彼女は、やってきた来訪者であるティルテュに気付いて不思議そうにしていた。


 そして不思議そうにしているのはティルテュも同じ。

 二人でじっと見つめ合う時間が続く。


「だぁれ?」

「それは我のセリフだぞ?」


 じーと止まる二人。

 その様子を見ていたレイナは、ちょっと面白いと思っていた。


「あ、ママ! お帰りなさい!」

「ええ、ただいまスノウ」


 いそいそと、慌てて椅子から降りたスノウが、レイナに向かって飛び込んでくる。

 飛びついてきたスノウを抱っこして、そのまま汚れた口元を拭いてあげる姿は本物の母娘のようだ。


「おいレイナ、こいつはなんだ?」

「そういえば紹介がまだだったわね」


 訝し気な表情をしたティルテュの前にスノウを下ろす。

 そして再び見つめ合う二人。


「この子はスノウ」

「スノウだよー!」

「うむ、元気な挨拶だなスノウとやら。我はティルテュ! 偉大なるバハムートを祖とする古代龍である!」

「バハムート! 格好いい!」

「おいレイナ! こいつ見る目があるぞ!」


 ティルテュの自己紹介に対してキラキラした様子のスノウ。

 嬉しそうなその姿がおかしく、レイナは思わず笑いを止められなかった。


「それで、結局こいつはなんなのだ?」

「えーと、説明が難しいんだけど……」

「スノウはママの子!」

「そうか、ママか……ママ? と言うことは、まさか!」


 ティルテュの瞳孔がカっと開き、レイナを見る。


「レイナ、お前まさか旦那様との子か⁉ いったいいつの間に子作りなどしたのだ⁉」

「ちょ! 違うわよ!」

「違う? だとしたら誰と子作りを……ゼロスか?」

「それはあり得ないから! あと子作りから離れなさい! そもそもこの島に来てからそんなに時間経ってないんだから、こんな大きな子どもがいるわけないでしょ!」

「む……」


 スノウの脇を抱えてティルテュの前に見せると、二人が再び見つめ合う。

 ニパァと笑うスノウに対して、ティルテュは険しい表情だ。


「なんとなく目元とか旦那様に似てる気がする……」

「気のせいよ! ほら、事情もちゃんと説明するから! スノウもご飯食べちゃいなさい」


 腕の中でプラプラとして楽しんでいるスノウを椅子に置いて、レイナは先日の出来事をティルテュに説明する。

 

 アールヴの村に行ったら、大精霊が行方不明だったこと。

 その事情を探るべく、アラタとカティマが一緒に出掛けたこと。

 そこで大精霊と出会い、新たな大精霊の誕生に立ち会ったこと。


「なんというか、旦那様らしいな……」

「ええ、本当に」


 どこかに行けばトラブルに遭遇し、なにかを拾ってくる。

 それで交流が広がっていくのだから不思議なものだ。


 普通なら何回も死んでるようなことを平気でして笑って手を伸ばすのは普通におかしいのだが――。


「まあ、それがアラタの良い所なんだけどね」

「うむ」


 アラタ本人は気付いていないかもしれないが、今ここに集まっているのはきっと彼が手を伸ばしたからだ。

 

 そしてそれはティルテュもよくわかっていた。

 アラタがいたから、今こうして仲間と言える存在が出来たのだから。


「ママー、ご飯食べた!」


 二人がアラタのことを考えていると、スノウが声を上げる。

 褒めて欲しそうな顔だ。


「はい、綺麗に食べて偉いわね」

「うん!」


 口元は汚れているが、自分で拭こうとしない。

 そして本人も汚れていることはわかっていて、拭いてもらいたいらしい。


「しかしこれが大精霊か」

「ティルテュは会ったことなかったの?」

「うむ……我はあまりあの辺りの地域には行かなかったからな」


 物珍しそうにスノウを見るティルテュ。


「たしかに強い力を感じる。あのとき旦那様から感じたメスの匂いの正体はこいつだったか」

「スノウ、強い?」

「我には及ばないが、まあまあだ」


 生まれたばかりとはいえ大精霊。

 その力はやはり最強種に相応しいものなのだろう。


「しかし旦那様をパパ、レイナをママと呼ぶのは如何なものかと――」

「ティルテュお姉ちゃん、強くて格好いい!」

「よしレイナ。こいつを我の妹分として可愛がってやることにするぞ!」


 スノウの言葉にティルテュが気分良くして掌をひっくり返す。


 もともとボッチだった彼女にとって、無条件で慕ってくる子というのは新鮮なのだろう。

 なにより仲間や家族に飢えている彼女にとって、お姉ちゃんと呼ばれるのは一種の憧れ。


「よしスノウ! 我が抱っこをしてやろう」

「わーい!」

「ぴゃ――⁉」


 そうしてスノウが抱き着いた瞬間、ティルテュが変な声をあげた。


「ティルテュ? どうしたの?」

「こ、ここここいつ……冷、たい」

「え? そう?」


 身体を震わせながらティルテュがスノウを渡すと、すぐに外に出て行ってしまう。


「ティルテュお姉ちゃん、どうしたの?」

「さあ?」

 

 たしかに少しひんやりするが、レイナがスノウを抱っこしても、そこまで冷たいとは思わなかった。

 むしろ気持ちいいくらい――。


「って、なんかティルテュの魔力が高まってる⁉」


 一瞬何事かと思い、慌ててスノウを抱えたまま外に出ると、ティルテュが焚火を作って暖を取っていた。

 その横ではゼロスが薪を持ってきて、炎の火力があがるように動いている。


「ゼロス……どういう状況?」

「おうレイナ。なんかティルテュのやつ急に寒いから火を出せって言ってきやがってよ……」


 この状況だ、とゼロスが視線を送ると、ティルテュはブルブル震えた状態で涙目になっていた。


「ゼロス! 火力が弱いぞ! もっと強くするのだ!」

「だったらお前が炎吐けばいいだろうが」

「そしたら薪が一瞬で蒸発してしまうわ! さ、寒いぃぃぃ……か、身体の体温調整が上手く出来ない……」


 見ていてちょっと可哀そうなくらい寒そうにしている。

 とはいえ太陽はしっかり上っていて気持ちいくらいで、とても寒いようには思えない。


「ゼロス、ちょっとこの子持ってみてくれる?」

「あん?」


 もしかしてスノウが原因かもしれないと思い、ゼロスに渡してみる。


「うお、つめた⁉」


 驚いたように慌ててスノウを返してきたゼロスの手は、凍傷したように少し赤くなっていた。


「やっぱり冷たいの?」

「普段から魔力を身に纏ってる俺でもこれだから、相当だぞこいつ」

「そっか……」

「ママ?」

「なんでもない。大丈夫よ」


 少し不安げなスノウをあやすように抱きしめる。

 背中をぽんぽん叩くと、スノウもぎゅっと抱きしめ返してきた。


 やはり二人が言うほど寒いとは思わないし、もしかしたらスノウも無意識に調整しているのかもしれない。


「そういえば前に、ドラゴンは自分で体温を調節するのが苦手って発表してる学会があったけど、だからかしら?」

「ああ、あったなそんなの」


 ティルテュがあれだけ寒がっているのは、突発的な体温の変化に戸惑っているからかもしれない。

 

「スノウ、冷たいのって調整できる?」

「んー? わかんない」

「そっか。それなら仕方ないわね」

「ゼロス! ゼロスー! 火が弱い! 薪をもっと持ってくるのだー!」


 スノウを地面に降ろし、どうしたものか悩んでいると、ティルテュの声が聞こえてくる。

 先ほどと比べてだいぶ身体が温まったのか、しっかりした声だ。


「ちょっとママ、二人と話があるから先におうち戻っててもらってもいい?」

「いいよー」


 素直に家に戻ったスノウを見送ると、薪を追加したゼロスが戻ってきた。


「どうするんだ?」

「とりあえずアラタも大丈夫だったし、しばらくは私たち以外には抱き着かないよう言い聞かせるだけかしら? 本人も無自覚みたいだし」

「まあ、それしかねぇよな……」


 炎の前で温かさに目を細めているティルテュを二人で見ながらそう結論づける。


「問題は、お前とアラタがいないときに面倒をみられるやつがいないってことだが……」

「まあそうならないようにするわよ」

「頼むぜ。万が一お前らがいなくてティルテュだけになったら、こいつ死んじまうかもしれねぇし」

「わ、我は無理だからな! 本当に、本当に無理だからな!」


 今回の件、よほど堪えたのかティルテュは必死に首を横に振っている。


「まあ、くっついただけでこれじゃあ、こいつも世話なんて絶対出来ないだろうな」

「あの子も悪気はないのよ?」

「わかってるよ。俺がこの程度なんだからこの島のやつらならなんとでもなるだろ。こいつ除いて」


 ゼロスの言葉通り、スノウの力がティルテュより強いというより、相性のようなものだろう。

 体温調節が苦手な彼女にとって、一気に体温を低くするスノウは天敵らしい。


「まあしばらくは気を付けさせればいいだろ」

「ええ。あとはみんなに聞いてみて、この状態をどうにかする方法を聞く――」


 ゼロスとレイナが今後のことを話し合っていると、不意に二人の足元に魔法陣が現れる。


「こ、こいつは――⁉」

「これ、召喚の魔法陣⁉」

「お、おいお前ら? なんだそれ! 我は今、とてつもなく嫌な予感がしているぞ!」


 それは以前、アラタが召喚されたものと同じもので――。


「ちょ、待て! 今お前らがいなくなったら旦那様もいないし我が大精霊の面倒を見ないと――」

「ティルテュ! あの子のことお願い――」


 二人の足元で広がる魔法陣は強い輝きを放つ。 

 先に消えたのはレイナ。

 そしてゼロスが残り、憐憫な表情でティルテュを見る。

 

「まあなんつーか、俺らは大丈夫だからよ。これでも七天大魔導、大陸最強の魔法使いだからな」

「誰もお前らの心配などしておらんわ! それより我の方が――」

「じゃあ、頑張れよ」

「待っ――」


 そうしてゼロスも消え、最後に残されたのはティルテュただ一人。


「……」


 とりあえず、なにも知らないまま逃げよう。

 そう決意した彼女が一歩踏み出そうとした瞬間――。


「あれ? ママは?」

「……」


 ティルテュは空を仰ぐ。

 青い空が広がっていてとても綺麗だったが、彼女の心の中は曇天に包まれていた。

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