第71話 スノウ

「スノウ、スノウ、スノウー」


 俺とレイナが同時に呟いたその名前がよほど気に入ったのか、少女――スノウは終始ご機嫌だ。


 俺の前にやってきては自分のことを指さしてスノウと言い、レイナの前にやってきては同じようにする。

 カティマの前で何度もスノウを言い続けるのは、さっきの件が尾を引いているのだろう。


「気に入ってくれたみたいね」

「うん」


 実際、彼女の雪のように優しい銀髪といい、小さな妖精のような姿といい、ふと思いついた名前にしては良い名前が出たと思う。

 

 少なくともカティマが考えたエターナルなんとかみたいな、危ない名前よりはよほど良い名前だ。


「でもレイナと同じ名前が出るとは思わなかったな」

「そうね。でも……」


 彼女がスノウを見るので、俺も視線でそれを追いかける。

 カティマがスノウになにかを言われていて、少し困った顔をしていた。


 二人とも銀髪だし、ああして見ると幼い妹の突拍子もない行動に振り回される姉のようにも見えた。


「あの子を見ていると、昔絵本で読んだ雪の妖精が思い出したの」

「ああ、俺も似たようなものかな」


 結局、世界が違っても感じるイメージは一緒なのかもしれない。

 もちろん、この世界の言葉が通じるのも神様のおかげなのかもしれないけど……。


 ふと、カティマが吹き飛ばされた襖の奥、外に繋がる廊下から白く小さななにかが降ってきているのが見えた。


「……雪だ」

「え?」


 廊下に出て空を見上げると、快晴の空からパラパラと風を舞うように降る雪が、アールヴの村に降り注ぐ。


「うわぁ……」

「綺麗……」


 太陽の光を反射して落ちるそれらはとても幻想的で美しく、つい見惚れてしまう。

 ただ、この島の地域ごとで気温はだいたい一定で、このアールヴの村は少し暑いくらいだ。


 だというのにこうして気温に合わない雪が降るのは――。


「ゆきー! すきー!」


 いつの間にか俺たちの足元にやってきたスノウが、両手を上げて空を見上げていた。

 キラキラと輝きに満ちた瞳で粉雪を見上げる姿は、初めてスキー場で雪を見た少女のようだ。


「これってやっぱり、スノウの力かな?」

「ん-?」


 尋ねると首をかしげる。

 どうやら本人の意思によるものではないらしい。


「天候を操るなんて普通あり得ないんだけど……まあこの島の子だもんね」

「まま、スノウすごい?」

「ええ。凄すぎてびっくりしちゃった」

「むふー」


 レイナに頭を撫でられると、スノウが自慢げに笑う。

 その姿が妙に可愛く、同時に面白かった。


「アールヴのみんなも気になって外に出てきているな」

「あ、本当だ」


 横にやってきたカティマが廊下から眼下を覗く。


 崖に沿う形で家々が存在するアールヴの村。

 目立つように白く塗られた家から、明らかにおかしい天候が気になったのかアールヴの人たちが空を見上げていた。 


 長老の家は崖の上に建っているため、村の様子が一目瞭然だ。

 降ってきた雪が綺麗だからか、大人たちは興味深そうに見上げ、アールヴの子どもたちが楽しそうにはしゃいでいる。

 

「この辺りは雪が降ることないから、多分初めて見るやつも多いんだ」

「へぇ……ちなみにカティマは雪を見たことあるの?」

「いちおうこの島を見て回ったことはあるからな。北の方に行ったときに見たことあるぞ」


 北の方、と聞いて思い浮かべるのはいつも悪戯をしにやってくる小さな吸血鬼。

 そういえば彼女も得意魔法は氷と闇とか言っていた気がするが――。


「あのときは侵入者だとか言って、酷い目にあった」

「そっか。よく生きてたね」

「カティマは普通のアールヴより強い、ハイアールヴだからな」


 ヴィーさんが相手だとそういう問題じゃない気もするけど、よく考えたら人を虐めることは好きでも殺すような真似はしない吸血鬼だ。


 おそらく泣いて逃げ回るカティマを見て、腹を抱えながら笑っていたに違いない。


「ぱぱ、抱っこ!」

「ん?」

「スノウも見たい!」


 スノウが両手を上げて抱っこアピールをする。

 背中でパタパタとしている小さな白い羽根がなんかかわいい。


「はい、おいで」

「わーい!」


 持ち上げてあげると、スノウは俺たちが見ていたアールヴの村を見下ろす。


 最初は少し警戒もしていた様子だったが、今は害もないとわかって大人も子どもも関係なく雪が降る光景を楽しんでいた。


「たのしそう!」

「そうだね。これもスノウのおかげだよ」


 キラキラと水晶のような瞳を輝かせて、スノウも嬉しそうだ。


「本当に幻想的な光景ね」


 隣にやってきたレイナが見惚れるように呟く。


 大自然でしかありえない崖に、太陽を反射する雪が降り注ぐ光景。

 それはきっと、この世界でしか見られないものだろう。


「……本当に、この世界って凄いなぁ」


 毎日毎日、新しいことばかり。

 新鮮で、楽しく、そして――。


 不意に、雪を背景にしたレイナを見ると、まるで神話の一説を切り取った絵画のような、そんな美しさを感じた。


「……」

「アラタ、どうしたの?」

「え。あ、いや、なんでもないよ」


 見惚れていた、なんて言うのはちょっと恥ずかしい。

 レイナと出会って、彼女が美人で魅力的な少女だというのはとっくに理解しているが、それでも今のはちょっと不意打ちだった。


「まま、きれー」

「ふふふ、ありがとうスノウ」


 俺の腕の中から彼女の方に行きたいのか、スノウが手を伸ばす。


 レイナが抱っこをした瞬間――黒髪と赤髪の赤ちゃんを抱きしめるレイナの姿が見えた。


「っ――⁉」


 一瞬だが自分の未来のようなものが見え、思わず顔を紅くする。

 妄想だというのに、それが妙に鮮明に見えて焦ってしまう。


 ……今のは墓の中まで持って行こう。


「この島に時間の概念はないゆえ、未来が見えたのかもしれんぞ」

「え?」

「あ、長老、起きたんだ」


 いつの間にか、俺の隣にはアールヴの長老がいた。

 全然気づかなかった……。


「起きたのはともかく、立って動くなんて珍しいな」

「ふぉっふぉっふぉ。このような光景、千年生きてても中々見られるものではないからのぉ」


 そうして長老は白い眉毛に隠れていた瞳を少し開いて、嬉しそうに空を見上げる。


「あの、今の……時間の概念がないってどういう意味ですか?」

「ん? ああ、年寄のたわ言よ」


 気にするな、と言われてもかなり気になる言葉なんだけど……。


「あまりに気にしなくともよいよ。たとえばワシは千年以上生きているが、五百年前に生まれた大精霊様のことを千年前から知っておる、というようなものだ」

「……意味がわからないんですけど」

「だから気にしなくともよい。どちらにせよお主……この島のことは神ですら理解出来んのだからな」


 それだけ言うと、長老はよっこいしょと言いながら廊下の柵をよじ登り――そのまま崖の下まで飛び降りた。


「え……?」

「ちょ、長老ぉぉぉー!」

「おおー。飛んだー」


 まるでムササビのように両手を開いて落ちていく長老。

 そしてそれを見下ろす俺たち。


『皆のものぉぉぉ! 新たな大精霊様の誕生を祝う、宴じゃぁぁぁぁぁ!』


 ――あなたそんな機敏に動く人じゃなかったじゃないですよねぇぇぇ⁉


 落ちながら叫ぶ長老を見て、心の中でそう叫んでしまうのも仕方がないだろう。

 それほどまでに、これまで見てきた長老とギャップがあったのだから……。

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