第45話 召喚 前編
木々を飛び続け、家からだいぶ離れたところで俺は一度その足を止める。
目の前には川が広がっていて、静かでありながらも柔らかい流水の音を立てていた。
「ふぅ……」
俺は川の近くまでゆっくり歩くと、そのまま近くの大岩に腰を落とした。
そして思い出すのは、柔らかいレイナの身体。そして甘えたような声。
「……いやいや」
自分の思考を変えないと思い、川の水で顔を洗う。暖かい気候であるが、とても冷たく気持ちの良いものだった。
何度も何度も水を掬っては顔にぶつけて、煩悩を吹き飛ばし、そうして顔を上げると、広大な空には大きな白い雲がゆっくりと流れている。
目を閉じると聞こえてくる風と水と木々の揺れる音。
この大自然に自分一人だけがいるというのは、とても凄いことだと思った。
「……ふう」
ようやく落ち着いた。とはいえ、今はまだヴィーさんが遊んでいるところだろう。
俺が戻らなければ余計なこともしないだろうし、とりあえずしばらく時間を潰すしかない。
「そういえば、こういう風に一人でいるのって何時ぶりだろ」
同じ家に住み、まるで家族のように生活をするレイナ。そして少し離れる場合でも大抵はルナかティルテュあたりが遊びに来ていて、一緒に行動をすることが多かった。
そうでなくてもエルガやゼロスなど、男同士と行動することも多い。
そうしてこの島でのことを振り返っていると、一人で行動するという行為自体、この島にやって来たからほとんどなかったことに少し驚く。
誰の目から見てもブラックとしか言えない企業に就職して、そこから離れる勇気も持てずにずるずるとやり、そして神様によって転生させられた。
「本当は、誰とも関わり合いにならないで、一人で生きていこうと思ってたんだけどな」
今は、誰かと一緒じゃない自分に違和感を覚えるくらいだ。人間変われば変わるものだなと思いながら、ゆっくりと川沿いを歩く。
「はぁー……気持ちいいなぁ」
本来はこんな風にのんびり歩ける島ではないはずだ。だがこの神様から貰った肉体は誰も傷つけることは出来ない。
実際この島最強であるはずのヴィーさんでさえ、俺のことを化物扱いするのだから相当だろう。
「……そういえば、この島に来てからこんなにゆっくりしたのも初めてかも」
この島で求めていたのは、まるで余生のようなスローライフ。だがしかし、実際は毎日のように騒がしい日々。
だがそれも楽しく、悪いものではなかった。
「まあだけど、たまにはこういう、なんのトラブルも起きない日があってもいいよね」
そんな風に思ってゆっくりと歩いていると、突然足元に金色の魔法陣が現れる。
「……え?」
そしてその魔方陣はすさまじい光を放ち――目の前の景色が変わる。
『グギャァァァァァァッ‼』
「……え?」
俺の前に映る光景は、広い荒野と巨大な紅いドラゴン。空は曇天に曇り、鈍い雷の音がそこら中で鳴り響いていた。
周囲には軍隊と思わしき量の兵士や戦士が地面に倒れていて、立っているのは数人のみ。
その数人にしても、息絶え絶えと言った様子で立っているのがやっとという雰囲気だ。
「なんだこれ?」
俺はつい先ほどまでは島をのんびり歩いていたはずで、決してこんなファンタジーの最終決戦前のような場所を散歩していなかったはずだ。
そう思っていると、目の前に立っている一人の男性がこちらに気付く。
なんだかこの男性、勇者っぽい。
「なっ⁉ 貴方はどこから……いや、それどころじゃない! 早く離れ――」
『グギャァァァァァ』
紅いドラゴンがこちらを威嚇するように睨みつけてくる。見上げれば、ティルテュよりも二回りは大きく、凶悪そうだ。
とはいえ、それでもそのドラゴンからはスザクさんやヴィーさんみたいな威圧感はあまり感じない。
感覚的には、エンペラーボアよりちょっと弱いくらい。とりあえず、俺の脅威にはなりそうになかった。
そんな風に緊張感なく見上げていると、立ち上がっていた数人の一人、蒼銀色の髪を腰まで伸ばした白い法衣のような服を来た少女が、大きな宝玉の付いた杖を地面に落として泣き崩れる。
「ああ……ごめんなさい」
「え、っと……なにが?」
見れば涙で表情が崩れているものの、凄い美少女だ。隣の金髪の青年も見たことないくらい美形だし、もう一人の魔法使いっぽい黒髪ツインテールも美少女。
なんというか、あまりにもいろんな意味で偏差値の高そうなメンバーだと思った。
「私はこの絶望的な地獄に、貴方を巻き込んでしまいました。神の秘術、異界の扉を開いて最強の神獣を召喚する魔法は……失敗です」
「セレス! 君は聖女でありながらなんてことを⁉」
「ごめんなさい! でも、こうするしかこの終末のドラゴン『ワルプルギス』を倒す方法が思いつかなくて……」
「くそ! 勇者である僕にもっと力があれば、こんなことには……」
「ちょっとアーク! それにセレス! 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 私だって……もっと強い力があれば……くっ、なにが破滅の魔女よ!」
この会話で俺はすべてを理解した。
まずこの金髪の青年は勇者だ。間違いない。
それで蒼銀色の美少女は聖女で、もう一人の黒髪は破滅の魔女と言っていたから、この勇者と共に魔王かなにかを倒す使命を持った勇者パーティーの一員なのだ。
『グギャァァァァァァ! グギャァァァァ! グ、グ……グギャァァァァァ⁉』
そしてさっきから俺を見ながら威嚇するよう何度も叫んでいるのが終末のドラゴン。
心なしか一歩後ろに下がっている気がするが、多分強いドラゴンだから気のせいだろう。
周りを見ると、たくさんの人が倒れている。中には死んでしまっている人もいるのかと思うと、少しやるせない気持ちになった。
「そういえば、この世界に来てから誰かが死んでるのを見るのは初めてだな」
前世でも誰かの死になどほとんど触れてこなかったが、思ったよりメンタル的には大丈夫のようだ。
こういう経験をするたびに、自分が普通じゃなくなっているんだろうなと思う。
「さて……」
状況は理解した。俺がこの場にいる理由もわかった。問題は、ここにいる俺はちゃんとあの神島アルカディアに帰れるのかどうか……。
『ギャッ⁉ ギャァァァァァ! ギャァァァァァァ!』
俺の前には必死に叫ぶドラゴン。
「くっ⁉ ワルプルギスのやつ! なんて威圧感なんだ⁉」
「こ、これが終末のドラゴン……教会の歴史書に名を残す、世界を破滅に導く大災厄⁉」
「はぁ……まったく、これじゃあ破滅の魔女なんて二度と名乗れないわね。まあ、二度と生きて帰られないから関係ないか……ただ、命に懸けてもこいつだけはっ!」
そして俺の後ろには、なんだか決死の覚悟を持ってドラゴンと対峙する勇者パーティー。
間に挟まれた俺。
なんだかアニメやゲームのラストバトルに紛れ込んでしまった一般人感が半端なかった。
「……」
すごく気まずい。
「神よ……私のせいで巻き込んでしまったこの方だけは、なんとか助けてあげてください」
「君、俺たちの後ろに下がって、そのあとは全力で走るんだ。たとえ、俺たちの声を聞いても振り向いてもいけないよ」
「まったく、アンタが何者かわからないけど災難だったわね。時間くらいは稼いであげるから、だから……生きて」
この三人はすごく善人だと思う。
どうやら俺は最終決戦に向けた切り札、もしくは奇跡を起こすために呼ばれたらしいのに、普通の人間が出てきたのだ。
めちゃくちゃ課金したのに目的のキャラが出なかったくらい罵倒されても仕方がないはずだが、どうやらそういう性格ではないらしい。
「……まあ、後のことはあとで考えるか」
とりあえず俺はそんな彼らに背を向けて、前に進む。
――ワルプルギスの方に向かって。
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