第43話 怪しい料理

 俺たちが家に帰ると、ヴィーさんはどこから用意したのかテーブルと椅子をセッティングしているところだった。


「お、意外と早かったな」

「……なにしてるんですか?」

「なに、いつも私を楽しませてくれているお前たちに、たまには私がもてなしてやろうと思ってな」


 ヴィーさんの言葉にレイナがとても胡散臭そうな顔をしていた。

 これまで散々、嫌がらせをされてきた彼女はヴィーさんのことをこの島の誰よりも信用していない。


 ちなみに俺はというと、悪い人ではないけど面倒臭い人ではあると思っていた。


「グォォ」

「ああもう、よしよし」


 どうやらティルテュは理性を失っていても、ヴィーさんになにかされたのは分かっているらしく、威嚇するように声を上げる。

 だがそれも、俺が撫でてあげるとすぐ機嫌がよくなり嬉しそうに声を上げる。


「ふふふ、なんだ随分と手なずけているじゃないか。あのバハムートがこうなったら可愛いものだな」

「誰のせいですか誰の?」

「知らん」


 ヴィーさんは俺の言葉を一蹴し、そのままテキパキとなにかを準備し続ける。

 ……相変わらず都合の悪いことは聞かない人だ。


「……ヴィルヘルミナさん、さっきからなにしてるの?」

「言っただろう? お前たちには散々楽しませてもらってるから、もてなしてやると」


 そうして再びどこから持ってきたのかわからない鍋を、テーブルの上に置く。

 瞬間、芳醇な香りが辺り一帯に漂い、お腹が空いているわけでもないのに、食欲が一気に湧いてきた。


「私特性の鍋だ。身体に悪いものは入ってないから心配するな」

「……」

「……」

「……グォ」

「なんだお前たち、その疑いの眼差しは。私は基本的に、嘘は吐かないぞ?」


 嘘は吐かなくても、言葉巧みに余計なことをしようとしているんですよね?


 それは言葉にしなかったが、とりあえず怪しい鍋を見る。間違いなく美味しそうで、食欲をかきたてるというのに危険な雰囲気がビンビンしていた。


「とりあえず、それなんですけど……」

「まさか、私が用意した料理を食べないなんて言う気じゃないだろうな?」


 にっこりと笑うヴィーさんは、こちらに有無を言わせる気などないらしい。


「とりあえず、ティルテュになにをしたのかを教えてからにしてくれません」

「別に大したことはしてないさ。ただちょっと暗示をかけて、素直にしただけだ」

「暗示?」

「ああ、この魔眼でな」


 ヴィーさんがそう言った瞬間、彼女の瞳が黄金色に輝く。それを直視した俺は、一瞬だけ心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受けて、しかし――。


「……あれ?」

「ふん、相変わらず詰まらんやつだ」


 なにも起きない俺に、ヴィーさんは呆れたような表情をしている。どうやら、その魔眼とやらを俺にかけようとして、効かなかったらしい。


「魔眼にも色々種類はあるが、今お前にかけようとしたのは本能を刺激する、まあ遊びみたいなものさ」

「遊びって……」


 それでティルテュはこんな風になっているのだから反省して欲しい。だがもちろん、彼女は悪びれることなどないのだろう。


「遊びだよ。たとえばレイナにこの魔眼をかけたとして、ちょっと素直になる程度なものだ。正直、ここまで野生に帰るなんて私だって予想外だったくらいだぞ?」


 少し呆れた様子でティルテュを見るヴィーさんの言葉には嘘はなさそうだ。


「グァ」

「ああ、よしよし」


 どうやら自分をのけ者にして話をしているせいか、もっと構えを言わんばかりに腕の中でもぞもぞ動く。別に重くないからいいのだが、どうにも対応に困ってしまう。


「……やっぱりちょっと可愛いわね」

「レイナ、少し楽しんでない?」

「そんなことないわよ。それでヴィルヘルミナさん? これいつになったら治るの?」

「さあ?」


 本当にこの人は……。

 そんな思いで俺とレイナの思考は一致していた。


 ヴィーさんは俺たちの視線を受けてなお飄々と鍋を混ぜながら、なにかいいことを思いついたと笑顔を見せる。


「ああそうだ。これを食べさせたら治るかもしれないぞ?」

「「嘘だ!」」


 嘘は吐かないと言った先からすぐにそういうことを言う吸血鬼の少女に、俺とレイナは同時に突っ込んだ。




 俺たちの言葉など聞いていないと言わんばかりに次々と鍋の中身を器に入れていくヴィーさん。


 とりあえず、このままでは埒が明かないと思い、俺たちはテーブルにつく。

 その際にティルテュを降ろそうとしたのだが、全然降りる気がないらしく仕方ないのでこのまま抱いた状態だ。


「ねえティルテュ、いい加減降りてくれない?」

「グァ」

「こんなところ、ルナに見られたら恥ずかしいよ?」

「グァ」


 プイっと首を背けて全然言うことを聞いてくれない。その様子がおかしいのか、ヴィーさんはニヤニヤと嫌らしい笑いを見せていた。


「くくく、良い感じじゃないか」

「本当に人の嫌がる姿が好きなんですね」

「そう褒めるな」


 褒めてない。皮肉を言ってるのだ。


 もっとも、それが通じるならこれまでいちいち面倒なことをされていないので、あえて言わないが。


「まあそうカリカリせずに、これでも食べて、な?」

「絶対怪しいやつを食べると思いますか?」

「お前が食べないなら、レイナに無理やり食べさせる」

「……ちょっとなりふり構わなくなってません?」

「そんなことはない」


 とりあえず渡された鍋を見る。野菜がたっぷり入っていて、どことなく昔のみそ汁を思い出させるようなスープだ。

 香りも良く、おそらく美味しい。


 だが、それと同じくらい危険である。


「とりあえず、レイナは少し離れててくれる?」

「わ、わかったわ……あのねアラタ、気を付けて……」


 気を付けるもなにも、選択肢がないのだから気を付けようがないのだが。


 とりあえず腕の中のティルテュをレイナに預ける。

 最初は俺から離れるのを嫌がっていたが、しっかり瞳を合わせて真剣に説得すると、彼女はしぶしぶレイナに抱き着いた。


「……よし」


 俺は気合を入れて危険物Xを見る。おわん型の器に入ったそれは、どこまでこちらの食指を刺激してきた。

 まるで外からは美しく、そして近づいた獲物を食い殺すような人喰い花のようだ。


「ここまで警戒されるとさすがにちょっとショックだぞ?」

「警戒されるようなことばかりしているから悪いんじゃないですか」


 ゆっくりとお椀を口に付ける。その瞬間、舌を刺激する少し塩っけと香草の味。自然の味そのものだというのに、どこか懐かしく、暖かい……。


 俺は思わず一気に口の中にかきこみ、思わずホッと一息を付いてしまった。


「ふ、どうやらその顔を見る限り満足のいく出来だったらしいな」

「……美味しかったです」

「この私が作ったんだから当然だ」

「あと、なんにもなさそうです」

「それは何度も言っただろう……」


 本当に、怪しい感じは少しもない。ただ身体がポカポカとして、暖かい感じになるだけだ。


「……アラタ、大丈夫?」

「うん……信じれないけど、本当になんにもなさそうだ」

「そっか……」


 それでも胡散臭そうにヴィーさんを見るレイナだが、しかし俺がなんともないため隣に座る。それと同時にティルテュが俺の膝の上に潜り込んできた。


「……食べる?」

「そうね……せっかく作ってくれた料理だし、ヴィルヘルミナさんが変な物を入れてないって言うなら信じてみてもいい……かしら?」

「だから何度も言っているが、今日はいつも私を楽しませてくれているお前たちに感謝を込めて、料理を振舞ってやろうと思っただけだ」


 それがどうしても本当だとは思えないのだが、しかし実際俺はなんともなかった。それに毒らしいものが入っていれば、さすがに気付くと思う。


「それじゃあ……食べるわ」

「グァ」


 そして、レイナとティルテュもヴィーさんの作った鍋の中身をお椀に入れて、そのまま口に含んだ。


「……ほぅ」

「……グァ」


 二人とも、瞳を細めて少しホッとしたような、懐かしいような表情をする。その気持ちはよくわかった。

 なんとなく、故郷を思い出させるような、そんな味なのだ。


「よしよし、ようやく食べたか。まあ、お代わりはあるから、いくらでも食べるといい」

「ヴィーさんは食べないの?」

「私はもう十分食べたからな。それに、デザートの分はしっかり残しておかないと……」

「……?」

「気にするな。こっちの話だ」


 そんな少し怪しい言葉を言い放つヴィーさんを横目に、俺たちはお代わりを食べる。


 ヴィーさんの瞳が怪しく笑っていることに気付かないまま――。

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