第42話 暴走

 夜になるとルナたちは帰っていき、今は家のあるゼロスたちも帰ってしまう。


 そうなると家の中には俺とレイナの二人だけ。


「お昼はあんなに騒がしかったのに、夜になると静かなものね」

「まあね、最初のころは結構夜も魔物の声とか聞こえてたけど、最近はこの辺り一帯には近づかないから」

「アラタのせい……おかげね」

「せいは酷くない?」


 そんな取り留めのないやり取りが心地いい。


 レイナとはこの島に転生してから出会ったため、まだそんなに長い付き合いというわけでもないが、会話のテンポや雰囲気が合っていて、彼女の傍にいるのが俺は好きだった。


「そういえば最近ティルテュを見ないけど、どうしたんだろ?」

「あ、そういえばそうね。それに……一時は毎晩のようにやってきてはちょっかいをかけて来るヴィルヘルミナさんも」

「……」

「……」


 口にすると、どうにも嫌な予感が過って仕方がない。どうやらレイナも同じ様子で、少し顔が強張っていた。


 ティルテュはまだいい。ヴィーさんが来ないとどうにも不吉だ。絶対裏でなにか嫌らしいことを考えてるに違いないのだから。


「もしかして二人でなにか……」

「ま、まあでも大丈夫だよレイナ。ティルテュとヴィーさんってたしか面識なかったはずだから」

「あ、そっか。そうよね」


 ヴィーさんは夜の女王。そしてティルテュは空の王。


 バハムートは古代龍の中でも特に強い力を持つだけあって、その子孫であるティルテュも始祖たちに負けない力を秘めているという。


 お互いこの島において最強種の一角だが、それでも二人が交わることはないはずだ。なぜなら――。


「ティルテュは夜、遅くまで起きてられないからね」

「そうよね。だいたい日が暮れるころにはいつも眠たそうにしてるし、ヴィルヘルミナさんが来る前には寝ちゃってるもんね」

「うん、だから大丈夫のはず……」


 俺たちはお互いで言葉を重ねることで、感じていた不安を払拭しようとするのであった。


 そして、そんな俺たちの努力をあざ笑うかのように、翌日ヴィーさんはやってきた。


 いつもと違い、真昼間の時間に――。




「やあやあご両人、今日もいい天気だな!」

「……ねえアラタ。とりあえず思い切り遠くに投げ飛ばしてくれない?」

「……多分、何事もないように戻ってくるよ」

「そっか……面倒な人ね」


 困った様子でため息を吐くレイナは、本当にヴィーさんのことが苦手なのだろう。


 そしてヴィーさんはというと、そんな態度のレイナをからかうことが大好きなのだ。今もちょっと悪い顔してこっちに近づてくる。


「おいおい聞こえてるぞ。せっかく人がお前たちで遊ぼうと思ってきたのに酷くないか?」

「その言葉がすでに酷いってことを自覚してください」


 お前たちと、ではなくお前たち『で』だから、決して間違って言ったわけではないだろう。なにせ瞳がすでに笑っていた。


「なんだその目は。そもそもお前が前に言ったんだろうが。今度はお昼に来てくださいって」

「たしかに言いましたけど……」

「だから約束通り来てやったんだぞ」


 そもそも、俺が昼に来てくださいって言ったとき、即答で断ったんだから約束もなにもないだろうに、天邪鬼にもほどがある。


「今日は多分ルナたち来ませんよ?」

「知ってるさ。だから来たんだ」

「……なんで?」


 いや、本当になんで? 


 だって別にヴィーさんとルナの仲は悪くないはずだ。エルガがかなり嫌っているが、それでもリビアさんは恩を感じていると前に聞いたことがある。


「いやなに、これからすることはちょっとお子様には刺激が強いと思ってな」

「……」


 そう言った瞬間、空から凄まじい気配を感じた。これは……

 

「えっと、アラタ? なんで私を抱えて――」

「レイナ! 一端ここから離れるから、舌嚙まないようにね!」

「え? ちょ――」

 

 レイナの膝下と背中を支えながら、出来る限り彼女に衝撃を与えないようにしながら駆け出した。


『グオォォォォォォ』


 それと同時に背後から迫る咆哮。


「あ、アラタ……あれってティルテュじゃ⁉」

「うん、見てないけど気配でわかる。だけど、ちょっと正気じゃないっぽい」


 そうして家からだいぶ離れたところでいったん止まり、レイナを地面に降ろして振り向く。


 すると黒龍の状態のティルテュが空を駆けながら近づいてきていた。


「どう思う?」

「絶対にヴィルヘルミナさんがなんかしたと思うの!」

「だね」


 ヴィーさんからしたら遊び半分なのかもしれないが、あのティルテュはどう考えても理性を失っている。いったいなにをしたらあんなことに……。


「とりあえず俺が止めるから、レイナは離れてて」

「ええ……アラタなら心配ないと思うけど、それでも怪我しないようにね」

「うん。俺もこの身体がどうすれば怪我するのかわからないけど、とりあえず善処するよ」


 そうしてレイナが離れると同時にティルテュが勢いよく下降してきた。凄い勢いに周囲の木々が暴風に晒されて揺れている。


 巨大な生物に突撃されるというのはこの島にやってきたからよくあることだった。


 最初のころは少し怖いと思う部分もあるにはあったが、最近はもう慣れてしまって恐怖を感じない。


『グォォォォォォォォ』

「ほらティルテュ、なにがあったのか分からないけど、とりあえず一回落ち着こうか」


 ティルテュが近づいて来る。それに対して俺が両手を広げて彼女を迎え入れるように立つと、漆黒の身体がキラキラと輝き、いつものように小さな少女のティルテュが飛び込んできた。


「グォォォォ」

「うん、よしよし」


 ちょっと理性は無くしてるっぽいが、ティルテュにはこちらに危害を加える意思は感じられない。


 実はそれに関しては最初から分かっていたので、驚かない。


 ただ、あの状態の彼女だと翼を羽ばたかせるだけで家とかに被害が出そうだったので、とりあえず離れただけだ。


「グオオオオ」

「うーん、理性は失ってるけどやってることはいつもと変わらないんだよなぁ……」


 必死に親から離れたがらない子どものように、頭をグリグリと押し付けてくるのはいつも通りだ。


 違うのは、旦那様ーって嬉しそうな声を上げないところくらい。


 いったいなにをすればこんなことになるのだろうか?


 そう思いながら俺はティルテュの頭を撫で続けると、だいぶ大人しくなってきた。


 こうなったら、大型犬に甘えられているような感じで可愛いものだ。


「アラタ、大丈夫?」

「うん、俺は全然。ただティルテュがいつもと違うから、事情も聞けないんだよね」

「ヴィルヘルミナさんよね?」

「間違いなく、あの人だと思う」


 先ほどと同じような会話をしながら、確信をもってお互い頷く。


 とりあえず、いつまでもこの状態にしておくわけにはいかないと思って一度ティルテュの両脇を抱えて見ると、彼女はだいぶ満足したように笑っていた。


「うーん、ヴィーさんに説明してもらわないとなぁ」

「でもなんだか無邪気で、ちょっと可愛いわね」

「ティルテュはいつも可愛いよ?」

「可愛さのジャンルの違いよ。この見た目であの尊大な口調もたしかに可愛いけど、今のこのいかにも甘えてる感じもいいなって」


 意外とレイナは可愛いもの好きだと思う。

 普段のティルテュにそんなことはあまり言わないのは恥ずかしいからだろうか?


「とりあえず、いつまでもこのままにしておくわけにはいかないし、あっち戻ろっか」

「そうね……ねえアラタ、ちょっと触ってもいい?」

「グォ」


 レイナが手を伸ばすと、プイっと首を反らしてしまう。


「……駄目っぽいね」

「残念だわ」


 まあ変なことにはなったけど、深刻な事態というわけでもなさそうなので良かったと思う。


 あとヴィーさんには事情を説明してもらって、あんまりひどい内容だったらたまには怒ろう。どうせ聞く耳なんてもたないだろうけど。


 そんな、いつもと違う少し変わった一日は、こんな風に始まったのだった。

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