第36話 夜にくる真祖

 ヴィルヘルミナ・ヴァーミリオン・ヴォーハイムがどんな人かと問われれば、俺はちょっと面倒くさい人だと答えるだろう。

 

 空を浮かびながらこちらを見下ろす威風堂々とした姿は、幼い容姿でありながら歴戦の猛者の雰囲気を感じさせる。


「なあアラタ、なんでお前は私と風呂場の間に立つんだ?」

「また風呂場の柵を壊されたらたまらないから」

「……ちっ」


 真祖である彼女は、普通の吸血鬼と違って昼間の太陽が昇っている時間でも問題なく活動できる。

 何度か昼に来てよと言っても、眠いとか色々理由を付けて彼女はこの時間に来る。


 どうやらヴィーさんのお気に入りはレイナらしく、彼女の風呂時を狙って俺とラブコメを発生させようとしているらしい。


 今のところ初日以外は防衛戦に勝利している俺たちだが、最近はあの手この手で手段を変えてくるので中々厄介だ。


「いつも言ってますけど、駄目ですからね」

 

 本人曰く、長く生きた化物は退屈を紛らわせることに命を賭けるという。


 これは神獣であるスザクさんも似たようなことを言っていたので、おそらくそういう習性なのだろう。


 俺が本気でガード体勢に入ったことで、彼女も隙を探そうと視線を動かすが、やがて諦めたように地上に降りてくる。


「ふん、まあいい。今日はいつもと違って新人もいるようだしな」

「ぁ……」


 ヴィーさんがそちらに向くと、蛇に睨まれたカエルのようにゼロスは固まってしまう。どうやらこれまで以上に彼我の力の差を感じてしまっているらしい。


「なあアラタ、せっかくだから紹介してくれよ」

「いいけど、虐めないようにね」

「それは知らん」


 相変わらず俺のお願いは即答で返してくる人だと思いながら、とりあえずゼロスのことを紹介する。


「こっちはゼロス・グラインダ―。前に知らない気配を感じたって言ってましたよね? そのときにこの島にやってきた人の一人ですよ」

「ああ、そういえばなんかあったなそんなこと」


 結構最近の話なのに、まるで覚えていない様子を見せる。その仕草に俺はある意味ホッとした。

 というのも、彼女に最初この話をした時、こう呟いたのだ。


 ――ふむふむ……それは中々使えそうだな。


 俺はそれを聞いたとき、間違いなくややこしい事態にしようとしている確信した。

 だからヴィーさんがそのことを忘れていたことに安心したのだ。


「さてお前」

「っ――⁉」


 気軽に声をかけただけなのに、ゼロスは身体を硬直させたまま怯えた様子を見せる。


 それを見たヴィーさんはというと、とても満足げな良い笑顔をしていた。

 

 ……いじめっ子の典型みたいな人だな本当に。


「なあ見たかアラタ? これだ。これだぞ本来の人の子の態度というのは。だというのにまったく、お前と来たら……」

「そんなこと言われても、別に俺はヴィーさんのこと怖いと思わないし」


 正直な話、ちょっと面倒だけど気軽に話せる友人だとは思っている。


 そのことを素直に伝えてみると、彼女は呆気に取られたような表情をしてから、呆れた様子で俺から視線を逸らす。


「……まあ、そういうやつが一人はいてもいいかもな」

「もしかして、ちょっと照れてる?」

「……調子に載るな!」


 八つ当たりのように小さな炎の魔法を放ってくるので、とりあえず叩き落とす。

 弱弱しい火の玉に当たってもどうにかなるとは思えないが、こういうのは反射的なモノだ。


「お……おいアラタ。お前大丈夫なのかよ?」

「え? あ、うん」


 ゼロスが心配そうにこちらに声をかけてくれる。とはいえ、俺からすればあの程度どうってことない。

 ヴィーさんも本気ではなかったし、軽いじゃれ合いみたいなものだ。


「いつものことだから大丈夫だよ」

「大丈夫なはずないくらいには魔力込めてるんだがなぁ……」

「あの魔法が、いつものこと? あんなに圧縮された炎なんて見たことねぇってのに……」


 ゼロスは信じられないといった風にこちらを見てくるが、さすがにそれは心配し過ぎだと思う。


 ヴィーさんが放ってきたのは、指先程度の大きな火の玉だ。

 あの程度なら多分、前世のときでもちょっと熱いくらいで済むと思う。


「まあ、こいつの化物っぷりは今に始まったことじゃないか」

「ちょっとヴィーさん、失礼じゃない?」

「失礼じゃない」


 また即答だ。酷い話である。


「しかしお前はともかく、こっちの男はまともな感性をしてるな。これは中々面白くなりそうだ」

「また変なこと考えてる」

「考えてない」


 絶対に考えてる。だってゼロスの方見て悪い顔しているし。


「なあお前」

「っ――⁉ な、なんだよ……」

「せっかくだから改めてちゃんと自己紹介をしようじゃないか。私の名はヴィルヘルミナ・ヴァーミリオン・ヴォーハイム。夜そのものである、真祖の吸血鬼だ」

「お、俺はゼロス・グラインダー……大陸の七天大魔導『第六位』だ」


 ゼロスは俺と話すときよりも弱弱しい声だが、どうにか絞り出した。


 見たところヴィーさんが威圧をしている感じはないので、単純にその力の差に怯えているだけなので、ヴィーさんを責められないな。


 ゼロスの自己紹介を聞いたヴィーさんは、うんうんと頷きながら両手を広げる。


「それじゃあゼロス、このなにもない島にようこそ。私はお前たち異邦人を歓迎するぞ。とはいえ、今日はただ暇つぶしに来ただけだから、大した手土産などは用意していないのだが……」


 そうして彼女はなにもない空間から一つのキノコを取り出して――。


「これはこの島で取れるものすごく美味しいキノコだ。もちろん生でも食べられるからこれをゼロス、お前にやろ――」

「ストォォォォップ!」


 俺は悪い顔で近づいていく、この小さな悪魔の手から、キノコを奪い取った。


「おいアラタ……なに邪魔してくれてるんだ?」

「あ、アラタ……?」


 不満げにこちらを睨んでくるヴィーさんだが、俺はこのキノコの正体を知っているのだから、止めるのは当然だ。


 ゼロスは俺が奪ったキノコをマジマジと見て不安そうにしている。おそらく俺の勢いに毒を想定したのだろう。


「いちおう言っておくが、そのキノコは毒など入ってないからな。美味しいうえに栄養満点で元気になるキノコだ。だから歓迎の意味も兼ねてこの男に善意でやろうと思っただけなんだから、返せ!」

「これ、『ヤリタクナルダケ』でしょ!」

「……」


 俺のセリフを聞いた瞬間、ヴィーさんは顔を背ける。


「……ちっ、なんで知ってるんだ」

「ほらやっぱり! 前にエルガに注意されたんですからね!」


 これだけは気を付けろ、と本気の顔で説明されたのは記憶に新しい。

 これまでエルガは基本的にご飯時以外は、頼れるアニキという雰囲気だが、このキノコの説明のときは人が変わった様な勢いだった。


「あいつか……まったく、誰のおかげで幸せな家庭を築けたと思ってるんだあの恩知らずめ」

「ヴィーさんのせいで幸せになるはずの過程をすっ飛ばされたから怒ってるんじゃないですか?」

「……中々上手いこと言うなお前」

「それはどうも」


 結果的に今が幸せであってもその過程は大切だ。


 別にエルガが後悔をしている風ではないが、彼も男だから大切なことはきちんと手順を踏んでからしたかったと言っていた。


 その気持ちはよくわかる。俺だって、色々な手順をすべて飛ばしてしまえばきっと後悔するだろう。


「たしかにリビアさんの好意にいつまでも気付かず応えなかった鈍感なエルガにも問題がないとはいわないけどさ!」

「……お前、よくそんなこと真顔で言えるなぁ」

「うん? なんの話?」

「そりゃお前、レイナのことに決まっ――」


 その言葉を途中まで言った瞬間、ヴィーさんの身体が無数の風によって切り刻まれて、闇に溶けていく。


「っ――⁉」


 ゼロスが驚いたように目を見開くが、俺からしたらだいたいいつも通りなので、魔法が放たれた方に振り向く。


 そこにはお風呂上がりのレイナが、湯あたりしたように顔を紅くしていた。


「もう、なんで毎回毎回この時間に来て変なこと言おうとするのよ!」

『そりゃお前が恥ずかしがる姿が、最高に美味しいからさ!』

「そんなものより美味しいものなら食べさせてあげるから、今度からは止めてよね!」

『お前の料理はたしかに美味そうだが……それより今はこっちの方が美味しそうだから止められん!』


 少しずつ遠ざかっていくヴィーさんの声に、レイナが悔しそうな顔をして夜空を睨む。

 そこには満点の星空が広がっていた。


『じゃあ、また夜が来たら遊びに来るから、楽しみにしておけよ。はーはっはっは!』


 そんなヴィーさんの高笑いが周辺一帯に響き渡り、完全に消え去っていく。


「なあアラタ……この島にいたら、あんなんばっかり現れんのか?」

「どうだろ。ヴィーさんは特別枠っぽいけど、同格は結構いるみたいなこと前言ってたかな」

「そうか……俺、お前から離れたら生きてける自信ねぇわ」


 あまり男に言われても嬉しくない告白だが、あんな出来事のあとでは仕方がないのかもしれない。

 とりあえず、レイナたちがお風呂から出たので、俺とゼロスも一緒に風呂場に行くことになる。 

 

 こうして、いつも通りと言えばいつも通りの夜が過ぎていくのであった。


―――――――――――――

【後書き】

この話の投稿日、カクヨム様の総合『月間1位』になりました!

いつも読んでくださっている読者の皆様方、本当にありがとうございます!

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