第32話 アユの山椒バターソテー

「はぐはぐはぐ!」

「ル、ルナのお魚が……ま、負けないよ!」

「はぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐ!」


 アールヴの少女は必死にアユの塩焼きを食べては、次のアユを手に取って口の中に入れていく。


 もはやそこに言葉などという物は不要と言わんばかりに、一心不乱な姿はこれが自然のあるべき姿なのではないかと思ってしまう。


「凄い勢いね。焼いても焼いてもキリがないわ……」

「ルナも負けないように食べているけど、全然スピードが追い付いてないね」


 大量に釣ってきたはずのアユが、どんどんと消化されていく。

 元々俺とレイナ、それにエルガの分もあったはずなのだが、このままではなくなってしまうだろう。


 とはいえ、あそこに混じって食い始めるのはちょっと大人げないと思い今は遠慮しているところだ。

 

「それで、あの子……カティマだっけ?」

「うん、ここよりちょっと北にある山に住む、アールヴ族なんだって」

「なんで山の住んでる子が、川に流れてきてるのよ?」

「それが――」


 カティマが起きたあと、俺はお腹を空かして涙目になっている彼女からとりあえず簡単な事情を聞いてみた。


 川に流れてきた理由は簡単で、お腹が空いたから川の魚を取ろう潜ると、そのまま足をつってしまったらしい。


「……ドジなの?」

「準備運動は大切だよね」


 たとえ内心で頷いても、あえて俺はレイナの言葉に同意はしなかった。

 

 カティマはそれから自分の名前を名乗り、今はこうしてご飯を食べているところだ。


 最初はさん付けで呼んでいたのだが、カティマはカティマだからそう呼べばいいと言われたので、呼び捨てすることになった。


「つーか、そろそろルナが釣ってきたアユ全部なくなりそうな勢いだけど、お前らはいいのかよ?」

「まあ、今日は仕方ないわ」

「だね……あんな姿を見せられたら、分けてもらおうと思う気持ちもわかないかな」


 凄まじいスピードでアユの塩焼きにかぶりつくカティマとルナを見ていると、こちらが満腹になる勢いだ。


「ふぃ……美味しかった」


 しばらくして、アユを全て食べきったカティマはお腹を撫でながら寝転がった。起きた時からあまり動かないその表情は、どこか満足げだ。


 そんなカティマの真似をするように、ルナもそのまま寝転がる。


「こら、ご飯食べてすぐ寝転がるなんて行儀悪いわよ二人とも」

「うー……」

「あー……」


 そしてすぐにレイナによって身体を起こされて、やや気怠い感じの声を上げる。

 その様子はどこか姉妹を見ているようで、少し面白かった。


 二人は身体を起こすも、眠たそうに眼を擦る。


「カティマはお腹いっぱいになって、眠くなった」

「ルナもー……」

「そっか、それなら仕方ないね。とりあえず、もう遅いしカティマは泊っていきなよ。ルナは……」

「ルナも泊まるー……」


 もはや半分寝ているような声でそう言うものだから、俺はエルガを見る。

 彼は肩を竦めるだけでなにも言わないが、問題はないらしい。


「それじゃあ、テントに行こっか」

「……うん」


 ルナの手を引くと、素直立ち上がりフラフラしながら動き出す。

 と、軽く服が引っ張られたのでそちらを見ると、カティマが寝ぼけ眼で服の裾を掴んできた。


「カティマも……寝る」

「そっか」


 どうやらほとんど意識がないらしく、立ちながらフラフラしているが大丈夫だろうか?


 カティマはご飯を食べるまでに散々気絶していたはずだが、川で溺れたせいか体力を消耗しているのかもしれない。


「ふふふ、大人気ねお父さん」

「それ言ったら、普段のレイナはお母さんだよ?」

「……」

「……」


 からかってきたレイナに対して言い返すと、彼女は少し頬を染めて目を逸らす。

 冗談のつもりで言ったのだが、そんな態度を取られると、俺としても少し意識してしまって言葉が出なくなってしまった。


「お前らよぉ、夫婦漫才するのは良いが、こいつらその場で倒れそうだぞ?」

「あっ⁉」


 エルガの突っ込みに慌てて下を見ると、ルナもカティマもほぼ寝ている状態だった。

 慌てて倒れそうな二人を両腕に抱えこみ、仕方ないのでそのままテントまで運ぶ。


 そしてテントに並べて横たわらせて毛布を被せると、ルナたちはそのままぐっすり夢の中に行ってしまう。


「……自由だなぁ」


 だが、こういうのがいいのだとも思う。よく動き、よく遊び、よく食べて、よく寝る。


 人としての在り方としてそれが正しいかは別として、俺はそんな生活をするためにこの島に転生させてもらったのだ。


 俺がテントから出てレイナたちのところに戻ると、彼女は改めて夕食の準備をしていた。

 フライパンに火を通して、香ばしいバターの香りが風に乗って鼻孔をくすぐる。


「本当はアユのバターソテーでもしようと思ったんだけど、あの子らの勢い見てたら作る暇がなかったわ」

「あれ? でもアユは全部食べられたんじゃ……」

「ふ、こんなこともあろうかとな。ほれ」


 そう思っていると、エルガがニヤリと笑って自分のバケツを取り出した。

 どうやらエルガはルナたちに食べられる前に、アユを隠していたらしい。


 カティマたちが食べた分と比べるとだいぶ少ないが、それでも三人が食べるには十分な量だ。


「というわけで、私たちはちょっと大人の食べ方を」

「おおー」

「アユの山椒バターソテー、ハーブを添えて……なんてね」


 さっとバター醤油で焼いたアユは、ただ塩で焼いただけとは違う香りを漂わせている。


 お皿の上に並ぶそれらがとても食指を動かさせ、しかも添えられているハーブがまた見た目を彩っていた。


「ゴク……こいつぁ、匂いの暴力だぜ」

「あ、エルガ。今回は叫ぶの禁止よ? もう夜も遅いし、あの子たちも寝てるから」

「……我慢できっかな?」


 エルガはレイナの忠告に対して不安げな様子を見せるので、俺は肩を叩いてサムズアップをする。


「大丈夫、いざってときは俺が抑え込むか遠くまで投げるから」

「……死ぬ気で我慢するぜ」


 席に着き、改めてアユのバターソテーを見る。そういえばこの島に来てから今日まで、ほとんど肉料理がメインだった。


 こうして久しぶりに魚料理を目にすると、日本人としての本能が刺激されるのかどうしても目を離せなくなる。

 もっとも、この身体は日本人ではないが。


「……ワインが欲しくなるね」

「もう、仕方ないわね」

「え?」

「なんだと……?」


 俺の自然に零れた呟きに、レイナは呆れたように収納魔法から白ワインを取り出す。それを俺とエルガは驚いたように見ていた。


 これまでレイナがアルコール類を取り出したことはない。

 てっきり持ってきていないのかと思っていたが、どうやら今日までずっと隠し持っていたらしい。


「隠し持ってたとは人聞きが悪いわね。そんなに量もないから、いざって時まで温存してただけよ」


 レイナはワイングラスを三つ取り出すと、それぞれのグラスに白ワインを注ぎ始める。

 コポコポと久しぶりに聞いた音に感動しているうちに、準備は整った。


「さて、それじゃあ今日は特別に大人だけのパーティーってことで、乾杯」


 レイナの音頭に合わせて、俺たちは軽くグラスを当てて、甲高い音を一瞬だけ鳴らした。


 俺はさっそくワインを喉に流す。すっきりとした味わいと、喉に絡まずにすっと入るこれが高級品だということはすぐに分かった。


 レイナを見れば空中で軽くグラスを回してワインに空気を入れている。

 その姿はとても様になっていて格好良く、俺も真似しようと思って回すが上手くいかない。


「意外と難しい……」

「ふふふ、下手ねアラタ。慣れないうちは、テーブルに底を付けて回せばいいわ。エルガみたいにね」


 レイナがそう言う前からエルガはテーブルにグラスの底を付けて回していた。

 そのおかげか安定してワインがグラスの中で回転し、しっかりと空気を含む。


 ドヤ顔でこっちを見てくるので、対抗意識が湧いてきた。


「あ、出来た」

「そうそうそんな感じ。あと、ワインを飲む前に一度軽く香りを嗅いでみて、その後に空気を入れたときとの違いを感じるのも楽しみ方の一つよ」

「そうなんだ。そういえば俺、ワインはほとんど飲んだことなかった」


 前世ではもっぱらビールと焼酎だったが、こんなに美味しいならもっと早く飲んでおけばよかった。

 そんなことを思いながら、アユに手を付ける。


 山椒のピリっとした刺激が、事前の味付けでされている醤油バターと絡み合って口の中を蹂躙し始める。


 アユのほろほろした淡白な身が、しっかり味付けされることで、これがまた白ワインと絶妙な相性となっていた。


「はぁ……美味しい」

「こいつは……ルナたちには勿体ないぜ」


 エルガの身体がプルプル震えているのは、叫ぶのを我慢しているからだろうか?


 正直、俺も彼らみたいに叫びたい衝動に駆られているので、その気持ちはよくわかる。


「肝の部分は苦味が結構強いし、軽めの赤ワインとも合いそうね。今度試してみようかしら?」

「「――⁉」」


 ――まだこれ以上美味しくなるだって⁉


 そんな心の叫びが俺とエルガの中で揃った。


「はぁ……でも、やっぱりこのワインも正解だったわ」


 アルコールが入ったレイナは、いつもと違う妖艶な雰囲気で軽く息を吐いた。

 そんな彼女の仕草に一瞬ドキっとしてしまい、俺は視線を逸らしてアユとワインに舌鼓を打つ。


 光魔法で照らされた幻想的な夜の森の中で、友人たちとゆっくり味わう白ワインとアユのバターソテー。


 これほどの贅沢な時間は他にないのではないかと思いつつ、俺たちはいつも少し違う雰囲気を楽しむのであった。

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