第29話 新しい……肉!

 昨夜のことは誠心誠意、正直に話したところレイナは許してくれた。

 ただ一度だけ、しかも一瞬だけとはいえ、お風呂場の気配を辿って彼女の裸を想像してしまったことは事実なのだ。


 男女二人で生活している中かつ、この閉鎖的な空間において、そういった行為は非常に不味い。


 特に俺は自分の力が他者を圧倒しているし、する気がなくともレイナを力づくで抑えることが出来る。

 彼女が怖いと思っても仕方がないだろう。


「というわけで、俺は俺のテントで生活するべきだと思うんだ」

「そこまでしなくても良いわよ別に。アラタのことは信頼してるし、そんなことが起きるならとっくに起きてるじゃない」


 と、俺の言い分はあっさり却下されてしまう。


 信頼してくれるのは嬉しいことだが、レイナはもっと自分の身を大切にした方がいい。

 この間だって、妙に薄着でお風呂に入っていったし、羞恥心が薄いのではないだろうか?


 さすがに裸を見たときは恥ずかしがって顔を真っ赤にしていたが――。


「煩悩退散!」

「ちょ⁉ いきなり自分の顔面殴るなんて、なに考えてるの⁉」

「……驚かせてごめんね。大丈夫、俺は怪我とかしないから」


 俺が全力で殴れば超巨大イノシシであるエンペラーボアですら空の彼方まで飛ばすことが出来るが、そもそも俺の身体は無敵なので怪我はなし。


 しかしその代わり、凄まじい衝撃で煩悩だけはぶっ飛ばすことに成功できた。


「まったく、いきなりビックリするじゃない。それで、別のテントにって話だけどそれは却下だからね。そもそももうテントないし」

「……うん」


 先日ゼロスとマーリンさんに渡したテント。レイナが持っているのはそれが最後だったらしい。

 彼らはお互いが一緒のテントで寝るのは勘弁ということで二つとも持っていったが、俺がゼロスさんのところに厄介になれば当面は過ごせるはずだ。


 だがレイナはそれを許してくれず、俺に同じテントで寝ろという。


「これを言うとちょっと情けないんだけど……」


 レイナは少し顔を赤らめて、照れた様子で口を開く。


「アラタが一緒じゃないとこの島で私、生きていける自信ないのよ。いちおう夜は結界を張ってるけど、多分この島の強い魔獣とかにはほとんど効果ないし、そしたらずっと安眠出来ないじゃない」

「あ……」

「アラタがいてくれれば魔物たちも近づかないし、だから、その……」


 彼女の言葉に、ようやく俺は腑に落ちた。

 要するに、彼女にとって俺は蚊取り線香の扱いなのだ。


 たしかにこの島の魔物たちは、最初のころと違い俺には近づいて来ない。

 どうやらこの島にとんでもない化物が現れたこと、そしてその匂いらしきものは魔物たちの中で共通化されてしまったらしい。


 そのせいで狩りをしに行ってもすぐに気付かれ、逃げられる。

 もっとも俺より速く動ける魔物もそうはいないので、視界に入った時点で詰みのようなものだが。

 

 とりあえず、俺がテントにいることで彼女の安眠に繋がるというのなら、喜んで蚊取り線香役を請け負おう。


「そういうことなら、俺としてもこれまでレイナにはお世話になっているし、もちろん大丈夫だよ」

「……うん。そう言ってもらえて良かったわ」


 嬉しそうな、それでいてホッとした様子を見せるレイナに俺も良かったと思う。

 昨夜のことで嫌われてしまったかもしれないと思っていたんだ。


「とりあえず、これからもよろしくレイナ」

「ええ。よろしくね、アラタ」




 そんな朝の出来事も終わり昼過ぎ。

 俺はテントの周辺を警戒するため森の中を歩きまわる。こうすることでこの島の魔物たちにここは俺の縄張りだから近づくな、というアピールをしているのだ。


「あ、そういえばゼロスさんとマーリンさんはどうしてるだろ?」


 ふと、昨日この島にやって来た二人のことを思い出して、ついでと川に方まで足を運ぶ。


 そこには俺たちが使っているような軍用テントほどは大きくないが、一人が住むには十分すぎるテントが二つ。

 そして――川の水を一気にまき上げて巨大な龍を作り出したマーリンさんと、鬼気迫る勢いで戦闘態勢を取るゼロスさんがいた。


「ちょ⁉」


 いったいなにが起きているのかと思い慌てて森から飛び出すと、そこにいたのはエルガとルナだった。


「おうアラタ」

「あ、お兄ちゃん! 遊びに来たよー」

「あ、うん……今日も元気いっぱいだねルナ。ところで……」


 俺は二人を睨みながらいつでも戦える状態を作っているマーリンさんたちを見る。その表情は、もう勘弁してくれと言わんばかりに憔悴していた。


「これどういう状況?」


 とりあえず一番状況を冷静に見ていて、落ち着いているエルガにそう尋ねると、彼はガシガシと頭をかきながら、どう説明して良いもんか、と呟いてから説明してくれる。


「いや、俺らとしてはまあいつも通りお前らのとこに行こうとしたんだが、どうにも感じたことのない匂いに気付いてな。ルナのやつがいきなり走り出してこの状況だ」

「なるほど……」


 とりあえずルナを見ると、彼女はキョトンとした様子でまったく状況を理解していないことがわかった。

 となると、あちらの二人を説得すれば状況は解決するだろうと思い二人を見る。


 どちらも鬼気迫る様子だ。そして明らかに恐怖している。


「うーん……どうしよう」


 どうやら俺には気づいている様子だが、警戒心を解いてくれる気配はない。

 昨日は解いてくれたのになんでだろうと思うが、本能的なものなのかもしれない。


「ゼロスさん! マーリンさん! 大丈夫です、この二人は危険なんてないですから!」

「っ――⁉」

「そんだけ化物みたいな魔力垂れ流しといて、危険がねえとか嘘だろ絶対!」


 少し離れているので大きく声を張り上げながら、両手を上げて無害を主張する。だが彼らは聞く耳持ってくれない状況だ。


 そこで、彼らの視線が俺じゃなくてルナの方にあることに気が付いた。


「ねえ、なんか二人ともルナのことを警戒してるっぽいけど、なんかした?」

「えー、ルナなんにもしてないよ?」

「そっか……聞きました⁉ この子はなにもしてないらしいですよー!」

「だから、今にもなにかしそうな雰囲気があるから危ねぇんだろうが!」


 困った。まったく警戒を解いてくれない。


 ゼロスさんはその雰囲気も相まって気性が荒そうだが、マーリンさんは話を聞いてくれるタイプだと思っていた。

 だがしかし、川の水で渦巻く水龍を作り出している彼女は、一切警戒心を解いていない、


「うーん。参ったなぁ」


 とりあえず彼らが警戒しているのがルナだということは分かったので、彼女を遠ざければ多分自体は解決する。

 とはいえ、何もしていないルナを追い出すような行為も憚れる。


「あ……」

「お?」

「ん?」


 上から順に、ルナ、エルガ、そして俺だ。

 俺たちが同時に気付いたのは、空からやってきた強襲者の存在。


 大きな翼を広げてこちらを見下ろしてくるのは、まるで巨大なニワトリのような化物。

 この島に来てから今まで一度も見たことのない魔物だが、その大きさは翼を広げれば軽く十メートルはある。


「あれは?」

「シャンタク鳥だ! やったー」


 俺の疑問にルナが嬉しそうに答えてくれる。その声には喜びが込められているので、多分美味しい肉なのだろう。


 そして俺たちが見上げていることに気付いて、ゼロスさんたちも見上げると、その巨大な鳥の魔物を見て目玉をひん剥きそうになるくらい驚く。


「……な、なんじゃありゃぁぁぁぁー⁉」

「ちょ、ちょ、ちょ⁉ 冗談でしょ⁉ なんで次から次へと獄炎龍よりも凶悪そうな魔物が現れるのよぉぉぉぉぉ!」


 二人の声に恐怖が混ざっているのがわかったからだろう。空を翔るシャンタク鳥は、一目散に二人に向かって突撃し始めた。


 どうやら、この場における『餌』が誰なのかわかったらしい。

 

「く……七天大魔導『第五位』、水聖のマーリン・マリーンを舐めんじゃないわよぉぉぉぉ!」

「うおおおおお! 俺は七天大魔導『第六位』滅炎のゼロス・グラインダーだ! 化物だろうと全部、燃やし尽くしてやるぜぇぇぇ!」


 ……あの名乗りは七天大魔導の中では必須なのだろうか?

 そういえばレイナも初めて魔物と遭遇したとき、一度名乗っていた気がする。


 二人揃って同時に魔力を解き放つと、水龍と強大な炎の嵐がシャンタク鳥に襲い掛かる。

 だがやつは華麗に身体を捻ってその魔法を躱すと、そのまま彼らに襲い掛かった。


「そんな⁉」

「なんつー動きだ!」


 動揺する二人に接近するシャンタク鳥を見ながら、ふと我に返る。


「って、見てる場合じゃない!」


 俺は大抵の攻撃では傷付かない身体のせいか危機感が薄くなっているが、普通の人間ならあんな大質量の攻撃を受けて、無事なはずがないのだ。


 だが、慌てて駆け出そうとする俺よりも早く、腰あたりから飛び出した一つの影。


「……にぃぃぃぃくぅぅぅぅぅーーー!」

『グギャァァァァァァ⁉』


 一瞬で距離を詰めたルナが、そのままシャンタク鳥に飛びつくと、なにをしているのかわからないが相手は苦しそうな声を上げる。


 ときおり鈍い音が聞こえるのはおそらく殴っているのだと思うのだが、それ以外にもシャンタク鳥が時折苦しそうな声を上げるものだから、なにかをしているのだ。


 とはいえ、その質量差によってルナの姿は完全に見えなくなり、ただただ暴れている魔物がそこにいるだけだ。


 そして――少ししてからシャンタク鳥は力を失ったように地面に落ち、そのまま絶命してしまう。


「これでルナのお肉だよー!」


 満面の笑みで褒めて欲しそうにしているルナ。

 そしてその様子を唖然とした顔で見ているゼロスさんとマーリンさん。ただ、その顔に恐怖はなさそうだ。


「うん。なにはともあれ、結果オーライかな?」

「そうか?」


 俺の言葉にエルガが首を傾げているが、きっと世の中こんなもんだと、無理やりそう思うことにした。

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