第15話 真祖の吸血鬼

 満天の空を背景に浮かび上がる少女は、見たところルナよりもさらに幼い容姿をしてる。

 恐らく十歳前後。だがその見た目と中身が伴っているかと言われると、違うだろうということはすぐにわかった。


 少女がこちらを見る瞳は、明らかに捕食者のそれだ。きっと彼女はエルガやティルテュたちと同じように、この島における生態系の頂点に立つ存在。


「ほう……強いだけで戦も知らない優男かと思ったが、意外と警戒心も持つか」

「そりゃあ俺は喧嘩の仕方も知らない素人だけどさ。いきなりこっちを見下しながら笑っている相手には、それなりに警戒するさ」


 この身体はたしかに強靭だが、だからと言ってどこまで無敵かなどわかりはしない。

 極端な話、どこかの山が噴火して溶岩にでも埋もれてしまえば、死んでしまうかもしれないのだ。


「……いや、でもティルテュの炎でも大丈夫だったし、案外溶岩の中でもいけるか?」

「なんだ貴様? 溶岩で泳いでみたいのか? おかしなやつだな……」


 俺の言葉を拾った少女は、少し呆れた様子でゆっくりと地上に降りてきた。


 浮遊魔法、とでも言うのだろうか。

 レイナが使っているところは見たことがなかったが、とても便利そうだ。早速コピーさせてもらおうと、彼女の方をしっかりと見る。


 彼女は地面からおおよそ五十センチほど浮いた状態で止まって、腕を組んで不遜に笑った。

 俺の身長がおおよそ百八十センチなので、丁度お互いの視線の高さを合わせる形だ。


「さて、これで見下すような形ではなくなった」

「微妙に君の方が高い気がする」

「む、細かいことを気にする男だな」


 微調整も可能らしく、ほんのわずかに彼女の高度が低くなる。

 そうして向き合うと、遠目からでもわかっていたが彼女の幼さに少し驚きを隠せなかった。


「とりあえず自己紹介といこうか異邦人。我が名はヴィルヘルミナ・ヴァーミリオン・ヴォーハイム。この島に古くから住む真祖の吸血鬼だ」

「俺はアラタ。気付いたらこの島にいた、ただの人間だよ」

「くふっ!」


 ただ自己紹介をしただけなのに、ヴィルヘルミナと名乗った少女は心底おかしそうに笑い出した。


「なんで笑うのさ?」

「く、くくく……貴様がただの人間なら、こんな島はいらないではないか」

「そんなこと言われても、俺は人間以外の何者でもないし……」


 笑うと年相応の愛嬌があるが、どこか怖い感じもする。彼女は己を真祖の吸血鬼と名乗ったが、それは他とどう違うのだろうか?


「ふ、まあいい。長らく変わらなかったこの島で、久しぶりに面白いことが起きそうだ。それに――」


 そんな風に思っていると、ヴィルヘルミナはニマニマと悪戯をする前の子どものように笑いながら視線を俺から逸らし、そしてレイナがいる風呂場に向く。


「さっきからとても、とても美味しそうな良い匂いをさせている」


 彼女の狙いが俺から外れた。そう思うと同時に、ヴィルヘルミナは指をそちらに向けると、いきなり彼女の上空に氷柱つららが生み出される。


「それっ」

「――っ⁉ なにを!」

「……は?」


 急いで解き放たれる氷柱とお風呂場の間に入り、叩き落とす。そして文句を言うべくヴィルヘルミナを睨むと、彼女は驚いた表情をしていた。


「いきなりなにするんだ⁉」

「いや……速過ぎだろ貴様。私の方が先に魔法を放ったのに、なんで回り込めるんだ?」

「これでも身体能力には自信がある」

「……そういうレベルじゃなかったが……まあいい」


 ヴィルヘルミナは掌を上空に上げると、無数の氷柱が生み出される。その数は先ほどとは比較にならず、数えることすら億劫になりそうな量だ。


「ふふふ、たとえ貴様がどれほどの動きを見せようと、これだけの数を捌くことは出来んだろ⁉」

「ちょ――⁉」

「行け、アイスニードル!」


 俺の背後にあるお風呂場。そこにはレイナがいる。今の無防備な彼女では、もしこれが着弾したら無事では済まないだろう。


 俺は出来る限りのそれを止めるべく、全力で迎え撃つ。

 一つ落とす度に、月明りに照らされた氷の欠片がキラキラと輝き幻想的だ。だがしかし、それに見とれている暇はない。

 大切なのはここを通さないこと。それだけに集中して、飛んでくる氷柱の嵐を叩き落としていく。


「甘い甘い」

「くっ!」


 だがしかし、そもそも数が違い過ぎた。


 すべてが俺に向かって飛んでくるならともかく、不規則な動きであらゆる角度から迫るそれを止めるには、身体が足りなさすぎた。


 大木を並べて出来た壁に氷柱がぶつかり、小さな爆発音を立てる。


 一つ、二つとどんどん氷柱の攻撃範囲は広がりをみせ、そのままその壁を打ち砕いてしまった。

 そのせいで砂埃が発生し、レイナの影だけがそこに映る。


 このまま氷柱が彼女に向かっては、今度こそヤバイ。そう思って彼女を守るべく一気に距離を詰めた。


「レイナ! 逃げ――」

「ちょっと待ってアラタ! 今こっちに来られたら――!」

「……あ」


 土埃は風に飛ばされてなくなり、そして現れるのは一糸も纏わぬレイナの姿。


 お風呂上りだったために濡れた緋色の髪の毛には艶があり、星の輝きを反射させていて美しい。

 そしてそんな紅を映えさせるような、白い肌。前世でテレビで見た見た女優のような細い身体に、一部分だけ女性らしいふくらみがはっきりと強調されている。

 視線を下に落とせば、普段はスカートの中に隠れている部分まではっきりと剥き出しになっており、きっと触れれば壊れてしまうほどに細い足が伸びていた。


 まるで圧倒的な主張をしている芸術品を見ているがごとく、上から下まで目が離せない。


「ぁ……アラタ……」


 そんな俺に対して、彼女は顔を真っ赤に染めながら少し涙目になっていた。己の身体を守るように両手で胸を抱え込み、足は太ももを合わせて少し横を向く。


「その、み……見ないで……」

「っ――! ごめん!」


 これまで聞いたことのない弱弱しいか細い声でそう言うレイナに正気に戻り、慌てて背中を向けて彼女を視界から消す。


 とはいえ、脳裏に映る先ほどの光景までは消せず、まるで写真が目の前に張り付けられたかのように鮮明に思い出せてしまう状態だ。


「くくく……いいなぁ! 最高に良いぞお前たち! その羞恥心、最高に美味い!」


 そんな俺たちの様子を、ヴィルヘルミナは堪える様子もなく笑いながら見ていた。


 気付けば彼女の頭上にあった氷柱は完全消えてしまい、攻撃をする気配もない。ただただ、まるで酒に酔ったようにテンション高く笑っているだけだ。


「……な、なんなのよあれ」

「なんか真祖の吸血鬼、らしいんだけど……」

「し、真祖⁉」


 レイナが驚いた声を上げるが、俺としてはどう反応して良いのか分からない状態だ。


 たしかレイナ曰くお伽噺に出てくる類らしいが、この島の現状を見る限りそんな存在がいるのはわかっている話。

 ただ、そんな凄い存在と目の前の金髪少女をイコールで結ぶことが出来るかと言えば、中々難しい。


 そんな風に困っていると、ヴィルヘルミナは散々笑った後、瞳に涙を浮かべながらゆっくりと降りてきた。


「ふ、さあそこのバカップルども。もっとイチャイチャするといい。私はそれを肴に笑わせてもらうからな」

「……ちょっとなに言ってるのかわからないんだけど?」

「なに、普通の吸血鬼は血を吸うが、真祖になるとそんな吸血衝動も、弱点である太陽も克服してな。その代わり相手の感情の起伏を食事として楽しむようになるのだ」


 感情の起伏? と俺が首を捻っていると、彼女は頷いた。


「退屈は不死を殺す、ということだよ。まあ簡単に言えば。私は今そこの女が持っている羞恥心という感情を楽しませてもらったわけだ。ああ、実に美味しいラブコメをありがとう」

「ラブコメなんて言葉知ってるんだ」

「突っ込むところはそこか? まあこれでも長く生きているからな。大抵のことは知っているさ」


 それにしても、これで合点がいった。そもそもヴィルヘルミナが最初に攻撃をしてきた時から違和感はあった。


 俺を傷つけようと思ったら、弱い魔法では意味がない。いや、俺に効くくらい強い魔法があるのかは分からないが、少なくともあの氷柱程度ではどれだけ当たっても傷一つ付かないのだ。

 

 レイナを狙うにしても、もっと範囲的な攻撃をすれば簡単だったのに、ああして弱い魔法で攻めたのは、最初から傷つける気などなかったからだろう。


「若い女の羞恥心はいい。恥ずかしいところを見られた瞬間の感情の起伏はとてもとても……それが懸想している男にであれば――おっと」


 突然俺の背後から飛んできた風の刃を、ヴィルヘルミナは指先一つで弾く。だがそれで彼女の言葉は途切れることになった。


「……さない」

「れ、レイナ……?」


 俺が恐る恐る振り向くと、彼女はすでに湯浴み着に着替えて、これまで見たことのないような昏い顔をしていた。


「絶対に許さないんだからー!」


 そしてそんな叫びと共に真空の刃を大量に生み出すと、一気にヴィルヘルミナに放った。


「今度は怒り――に見せかけたやはり羞恥心か。ちなみにそれも私の大好物だ!」


 そんな言葉を発すると同時に、レイナの放った真空の刃によって、その小さな全身を切り裂かれた。

 ヴィルヘルミナは四肢が分かれ、首と胴体も離れた状態で地面に落ちる。


「え……? 嘘? もしかして……倒しちゃった?」


 まさか自分の攻撃があれほど容易く通じると思わなかったのだろう。レイナから呆気に取られた声がこぼれる。


 それは俺も同じ思いだった。

 

 これまでこの島で出会ってきた存在たちはみな、超常の者。

 ゆえに人であるレイナの手に届く相手ではなく、今回のこれもせめて一矢報いることが出来れば、という思いだったに違いない。


 だが蓋を開けてみると、一撃必殺。この状態で生きていることなど、出来はしないだろう。


 そう思ったその瞬間、離れ離れになったヴィルヘルミナの身体が無数の黒い蝙蝠に変わり、そしてそれらが集まると元の身体に戻り始める。


「「なっ⁉」」

「ふふふ、不死の吸血鬼がこの程度で倒されるわけがないだろう? とはいえ、その驚愕の感情もデザートに丁度いい。二人とも、ナイスリアクションだ!」


 グッ、と親指を立てて笑う少女に、俺も少しイラっとしてしまう。

 背後に立つレイナなど、殺気がこぼれだしていた。


 正直言って……前の真祖より後ろのレイナの方が怖い。


「さてさて、異邦人から美味しいご飯を頂いたところで、今日はそろそろお暇するとしようかな。楽しかったぞ若人よ!」


 そう言いながら登場した時のように、月を背景にどんどん高度を上げていく。

 その間にレイナが何度も魔法で攻撃しているが、ヴィルヘルミナがなにかを呟く度に霧散していった。


「次はもっとイチャイチャ甘々してもいいのだぞー! その味もまた、私の好物だからなー! ハーハッハッハ!」


 俺たちが月と満点の星空に消えていくヴィルヘルミナを見送るしか出来ない中、彼女は最後の最後まで余計なことを言うのであった。


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