第11話 初めての解体作業

 ティルテュとの誤解も解けたことでレイナの下に戻ると、すでに目が覚めていたらしくルナと一緒になにかを話し込んでいた。

 見たところお互い笑顔で、不安そうにしていたルナの心配も杞憂に終わってくれてホッとする。


「ただいま」

「あ、お兄ちゃん!」

「お帰りなさい、それにエルガも……」


 先ほどのこともあり、少し強張った様子を見せるレイナだが、今のエルガは魔力を抑えている状態のため影響は少なさそうだ。

 どうやら彼らが本気にならない限り、レイナに悪影響を与えることはないらしい。


「よお、さっきは悪かったな」

「ううん、いいのよ。貴方たちは普通に生きているだけで、未熟な私が悪いの」


 普通に生きているだけ、というならレイナだってそうだろうに、彼女はまったく相手が悪いとは言わない。

 悪態を吐かれるかと思ったのかエルガは拍子抜けした様子で目を丸くし、こちらを見る。


「アラタも大概だが、嬢ちゃんも強いな、いろんな意味で」

「格好いいよね」

「くくく。ああ、肝の据わったいい女だ」

「貴方たち、それって誉めてるつもりかしら?」


 もちろん褒めているつもりだ。


 エルガにしても、彼女のことをただの弱い人間という枠から、認めたような雰囲気を出していた。

 きっと彼も、レイナのことを一個人として認めたのだと思う。


「ところでアラタ、そっちの子は?」

「む? 我のことか?」


 レイナの視線の先にいるのはティルテュだ。彼女からしたら見覚えのない少女がいきなり現れたのだから、不思議に思っても仕方がないだろう。


 とりあえずティルテュに自己紹介するよう目配せをすると、彼女は自信ありげに薄い胸を張って前に出た。


「我が名はティルテュ! 神龍バハムートを祖にする、この島で最も偉大な古代龍である!」

「つまり?」

「さっきの黒いドラゴンが、この子」

「……なるほどね」


 この島にやってきてから二日間、レイナと一緒に行動しているが彼女は意外と順応性が高い。

 理論派な雰囲気があるし、実際そうなのだろうが、自分の常識外の出来事に関しては、疑問を挟まずあるがままを受け入れようとしている気がする。


「そして、旦那様の嫁である!」

「……つまり?」

「勘違い」

「た、たしかに勘違いから始まったが、我は旦那様の魔力にもうメロメロなのだぞ!」

「……へぇ」


 レイナの瞳が冷たい。


 別に悪いことはしてないのに、どうしてこんなにも申し訳ない気持ちになってしまうのだろうか。まるで浮気のバレた夫の心境だ。


「……とりあえず、一から全部説明させてください」

「ええ、そうして頂戴」


 レイナの誤解を解くため、彼女が倒れてからの話を再度繰り返す。

 ところどころエルガに確認を取るあたり、誰に聞けば正確な情報を集められるかをよく理解しているなと思った。


 全てを話し終えると、レイナは呆れたような表情をする。


「アラタって、悪戯神ロキの加護でも持ってるのかしら?」

「なにそれ?」

「望んでないのにトラブルが寄ってくる加護よ。もっとも、他の神様の加護と違って迷信の類だけどね」

「俺はのんびり生活出来たらそれでいいから、そんな加護いらないなぁ」


 ただ、自分を転生させたのがなんの神様かわからないが、トラブルは引き寄せそうだと思う。


「えっと、とりあえずティルテュ……様?」

「ティルテュで良いぞ! 我らは同じオスを好いてる者同士、対等でいようではないか!」

「え?」


 今このボチドラ、とんでもないことを言わなかっただろうか?


 思わずレイナを見ると、彼女は彼女で驚いた様子を見せながらも、必死に平静を装いながらティルテュの方を向く。


「いいティルテュ。私とアラタはまだ出会ってたった二日なの。人として好ましくは思っているけど、恋愛感情までは――」

「なんだ。それを言ったら我と旦那様はまだ出会って数時間程度だぞ? メスがオスを好くのに時間など関係あるまい。ましてやこれほど強いオスはおらんぞ? 強いオスに抱かれたいというのは、メスの本能だろうに」


 純粋な瞳でレイナを見つめるティルテュは本気でそう思っているのだろう。とはいえ、それと人間の価値観は違うと思う。

 事実、レイナもそれがわかっているのか、子どもに言い聞かせるように、色々と考えながら伝えようとしている。


「……人は時間をかけて相手の良い所も悪いところも知っていって、それで恋をするの。だから、えと、いきなり好きとかになるんじゃなくて、時間も大切ってことだから、そんな一時的な感情だけじゃ駄目なのよ」

「……人間は面倒だのぉ」

  

 ティルテュの感性は野生動物に近しい感じがするが、レイナの言う通り俺たちは出会ってまだ二日だ。

 もちろん俺も彼女のことは人間として好ましいと思うが、だからといって今すぐ男女の関係になりたいかと言われれば、もっとよく知ってから、と答えるだろう。


 そもそも、この島から出ていきたい彼女と、この島に住んでいたい俺では、根本的に共にあることは難しい。


「と、とにかく! 私とアラタは別に恋人とかじゃないから、勘違いしないように!」

「お姉ちゃんたち、恋人じゃなかったんだ。さっきも抱きしめ合ってたし、絶対に恋人同士だと思ってた」

「――っ⁉」


 まさかの外野からの発言にレイナが驚くが、俺としてはあまり触れないで欲しい話題だ。

 正直、レイナを容態を心配しての行為なのは間違いなかったが、そこに下心が全くなかったかと言われると言葉に詰まる。


 なにせ、実際に抱きしめた彼女の身体はとても柔らかく、今でもその感触が残っているのだから。


「おいお前ら、楽しそうなのもいいけどよ、いい加減エンペラーボアのとこに戻らねえと、他のやつらに奪われちまうぜ」

「あ……そうよね! せっかく美味しいって話なんだから、早く行かないと!」

「我の匂いが染み付いた餌を奪おうとするやつが早々いるとは思えんが……まあよいか」


 エルガの一声にレイナが森に向かって歩き出す。それについて行くようにティルテュ、そしてエルガが歩き出した。

 残された俺はというと、隣でこちらをジーと見てくるルナが気になって仕方がなかった。


「どうしたの?」

「お兄ちゃんは、レイナお姉ちゃんのこと好き?」

「……うーん。好きは好きだけど、多分恋愛感情じゃなくて人として、ってところかなぁ」

「そっかぁ……お似合いだと思うんだけどなぁ」


 たとえ異世界でも、たとえ異種族でも女性にとって恋愛話というのは共通で楽しいものなのだろう。

 だからか、俺の答えに少しつまらなそうな反応をしながら、ルナは前の三人を追いかけるように小走りで駆け出していった。



「いやしかし、今更だけどでっかいなぁ」


 エンペラーボアは地面からその頭頂部まで二十メートルはある、超巨大なイノシシだ。これをどうすれば捌けるのか、俺には見当も付かない。

 だがそう思っていたのは俺だけらしく、他の四人は手際よくエンペラーボアの解体作業に入っていた。


「じゃあお腹を切るのは私がやるから、そのあとの腸抜きは任せていいかしら?」

「おう、そいつは俺がやってやるよ」

「あ、アラタはそっちにいた方がいいわよ。じゃないと大変なことになるわ」


 レイナの指示に従い少し離れたところにルナと向かう。お腹を切る、と簡単に言うが、あれだけ巨大な魔物を相手に出来るのだろうか?


 そんな風に思っていると、黒龍に変身したティルテュがエンペラーボアを足で捕まえ、そのまま宙に浮かぶ。

 その際、エンペラーボアがピクピクと動くので、あれだけの一撃を喰らわせたというのに、まだ生きていたらしい。


 それを確認したレイナは、足元に緑色の魔法陣を浮かび上がらせる。


「この島に来てから格好悪いところばっかりアラタに見せちゃってるけど、七天大魔導として、ちゃんとしたところ見せないとね!」


 最初にこの島でオオカミに襲われたとき、彼女は不可視の風の刃を生み出した。今回はそのときとは比べ物にならないほど強力な魔力が込められている。


「さあ、いくわよ! 断罪の風刃ゼピュロス!」


 彼女から解き放たれた巨大な風の刃はそのまま勢いよくエンペラーボアの腹部を切り裂き、ゆっくりとその内部が開かれる。その瞬間、流れる大量の血の滝。


「うわぁ……」


 幻想的、というにはあまりに生々しいそれだが、不思議と嫌悪感はなかった。

 どうやらこの新しい身体はそういった精神的な耐性も含めて、健康な身体と定義づけているのかもしれない。


 少なくとも前世の俺であれば、これほどエグい光景を見たら吐いていたと思う。


 そして、レイナがこっちに来ないと大変だと言った意味がようやくわかった。

 いつまでも続くエンペラーボアの血の滝は、放っておけば血塗れどころかそのまま流されかねない勢いを持っている。


「良い切れ味じゃねえか。そんじゃま、俺もやるとするか」


 そうして空中を駆けるようにエンペラーボアに飛びついたエルガが、そのまま腸抜きを始める。さらに目に見えないほどの速度で動き回ると、次々と部位を切断、解体していった。


「おお、中々の手際じゃのぉ」


 ある程度の解体が済むとティルテュの役割も終わりになったのか、ドラゴンの姿から少女の姿になってこちらにやってくる。すでにエンペラーボアの原型は留めず、様々な部位になっていた。


「エルガはね、狩りと解体をさせたら神獣族一なんだよ!」

「うん、凄いね」


 そうして間もなく、身体中を血で濡らしたエルガが手を止めて、こちらにやって来る。

 その姿は獣らしいワイルドさと、男らしい格好良さが混ざり合って、男としても憧れる姿だった。


「ま、こんなもんだな。あとは綺麗に洗えばどこでも美味く食えるぜ」

「お疲れ様。ところで今更なんだけど、量が多すぎて食べきれないわね……」


 レイナが少し困ったように、巨大な肉塊を見ながら呟く。


「腐らすのが勿体ねえなら俺らが村に持って帰っても良いが……」

「駄目だよエルガ! これ倒したのお兄ちゃんなんだから、神獣族のみんなだって他の種族が狩ってきた獲物を持って帰ってきたなんて知ったら、怒っちゃうよ!」


 どうやら彼らは彼らなりのプライドなどがあるらしい。


 俺としては正直、今後のことも考えて譲渡しても良い気はするのだが、ルナがここまで言うのであれば、今はまだそういうことは止めておいた方がいいのかもしれない。


「魔法でどうにかできないの?」

「収納魔法なら、中の時間が止まってるから入れておけば腐らないけど、さすがに私の容量も限界だし……そもそも私の限界量より大きいから無理ね」

「あ、それなら俺の収納魔法ならちょっとは入るかも」

「……え?」


 昨日レイナの魔法を見て覚えた収納魔法。

 なんとなくこんな感じだろうと思ってやってみると、昨日同様空間が歪み始める。


 とりあえずこのエンペラーボアの肉を入れたいと思って念じてみると、目の前から『全ての肉』が消えてしまう。


 感覚的には、まだまだ全然余裕そうだ。


「おお、これは便利だね……ってレイナ?」

「……」


 振り返って見ると、レイナが唖然とした表情でこちらを見ていた。


 どうやら俺はまたなにかやってしまったらしい。気付くのはいつもなにかをやってからだ。

 とりあえず、謝る準備だけはしておこう。これでも謝罪は得意なのだから。

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