第7話 超巨大イノシシ襲来

 エルガはフェンリルを祖とする神獣族と言っていた。

 フェンリルといえば、北欧神話で主神オーディンを食い殺した最強の化物だが、この世界ではどういった立ち位置なのだろうか?


 先ほど名乗った際にレイナはフェンリルという単語に関しては特に反応はなかったので、もしかしたらあまり知られていないのかもしれない。


 俺は別に神話に詳しくないわけではないが、だいたいゲームのボスキャラとして登場してくる氷属性の狼といったイメージの方が強い。

 実際、見たところ白い体毛で覆われていて、オオカミっぽい耳や尻尾を生やしているのだから、そう違いはない気はする。


 食器を洗ってから戻ってくると、すでにエルガが地図の用意をしてくれていた。

 レイナはまだエルガの威圧感に慣れないのか、あまり近づけないのでルナと一緒に遠くからこちらを見る形だ。


「とりあえず、これがこの神島アルカディアの地図だ」

「……おお。だいぶ広いね」


 腹いっぱいまで食べたエルガは機嫌良く地図を広げてくれる。

 どうやらここは島というよりは、島国と呼んだ方がいいくらいには広い場所らしい。形は東西に長い楕円形をしているので正確には測り辛いが、総面積は北海道くらいはありそうだ。


 エルガは今いる位置を指さし、その後に大陸南部あたり、神獣族の住む場所を指さした。


「だいたいここからこの辺りまでが俺ら神獣族の縄張り。んで、この東の辺りに古代龍族と鬼神族が住んでる。こいつらはあんまり仲良くないが、お互い喧嘩をしたらただじゃ済まないのもわかってるから、たまにしか喧嘩しねぇ」

「たまには喧嘩するんだ」

「まあ、百年に一回程度だな。だいたい理由はどっちかの若いやつらが血気盛んに喧嘩を売る形で始まるから、大人たちはある程度見守った後に叱りつける感じで収束する」


 たまに、の規模が百年単位なのは人間とは違う感覚で生きてるからだろう。

 聞けば、縄張りに入って怒りそうなのは『若いやつら』だけらしく、大人たちは意外と理知的な存在らしい。


「んで、こっちの西の方にはハイエルフたちの住処。こいつらはあんまり自分たちの縄張りから出てこねえが、神獣族とはそれなりに交流があるって感じだ」

「もしかして、この島に住んでる人たちって結構仲良い?」

「いんや。ただお互い喰い合わねえと生きてけねえわけでもないし、長生きしすぎて争いとか興味ねえだけだよ。この島にも新しい物もねえしな」


 どうやらこちらが想像している以上に、長寿の種族というのは落ち着いた存在らしい。

 最初はヤバ過ぎる怪物たちが住む島かもしれないと少しビビっていたが、これならなんとか住んでいけそうだ。


「ねえエルガ。俺はこの島で生活したいんだけど、どこかいい場所ないかな?」

「はぁ? お前正気か?」

「うん。元々いた場所から離れて人のいない場所に住みたいって思ってたらこの島に辿り着いてさ。これは天啓だと思ってここに住みたいんだ」


 俺の言葉に呆れた様子をするエルガだが、こちらの本気度は伝わったらしい。地図を見下ろしながら、真剣に考えてくれる。


「人間がこの島に来たってのも初めてだからなぁ……俺ら神獣族のとこでも種族によっては外敵は排除って考えのやつもいるから難しいし、ハイエルフのやつらも多分嫌がる」

「いや、別にどこかの種族に混ぜて欲しいってわけじゃないんだ。一人でいいから、適当に住みやすい場所だけ教えてくれれば」

「弱っちい人間族が住める場所なんてそうそうあるわけねえだろうが。てめぇが持ってきた食料だって有限だろ? ここはお前が狩れるような弱い魔物だってそんなに多くはねえし、逆に餌になっていまうのがオチだぜ」


 言い方は少し荒いが、エルガが俺を心配してくれているのはよくわかった。それと同時に、彼が少し勘違いをしていることも。


 この神様によって生み出された身体の性能はきっと、この島での生活にも耐えられるはずだ。そうでなければ、そもそもこんな島に転生させた神様はうっかりではなく、ただのポンコツになってしまう。


 とはいえ、それを証明させるのも中々骨が折れる。まさかエルガを殴りつけるわけにもいかず、どうするかを悩んでいると、遠くから大地を揺らす音が聞こえてきた。


「なに、この音?」

「こいつは……エンペラーボアの足音だ!」

「エンペラーボア⁉ やったー! ご馳走だー!」


 エルガが少し嬉しそうに声を上げ、少し離れたところでレイナと遊んでいたルナも喜んで近づいてくる


「ねえエルガ、エンペラーボアって……」

「ああ、早い話でっかい肉だ!」

「しかもすっごく美味しいんだよー! 大きい癖に普段は地面の中で眠ってるから見つからなくて、あんまり手に入らないんだー!」


 エルガとルナはすでに涎を垂らしながら音の方を見て、今にも飛び出しそうだ。


「なるほど。レイナ、分かった?」

「あんまり考えたくないんだけど、大陸にはグレイトボアっていう大きなイノシシみたいな魔物がいてね。その上にキングボアっていうのもいるの。ちなみに、キングボアはワイバーンなんかを主食にするくらい大きくて、もし現れたら騎士団を総動員するくらい危険な魔物で……」


 レイナの言葉をそこで途切れる。なぜなら、彼女が言わなくてもその先は理解出来たからだ。

 木々が折れる音、そしてその巨大な足音がどんどんと近づてくる。その音のする方を見てみると……。


「いや、ちょっとでか過ぎじゃない?」

「……」


 遠目からでもわかるほど巨大な猪がこちらに目掛けて走ってくる。

 周囲にある木々もそれなりに大きいはずだが、簡単に踏み潰されて進む姿を見て、自分の中の常識が壊されてしまう感じだ。


 やってきたエンペラーボアの大きさは、地面から一番上まで二十メートルはある。

 レイナなどもはやその巨大さに放心しきった状態で見上げていた。


「へへへ、地面から出たばっかでだいぶ腹を空かせてる感じだな。おいルナ、テメエはまだガキだから大人しくしとけ!」

「やだ! そう言っていっつも大人は美味しいところを自分たちだけで食べるんだもん! ルナも美味しいところ食べたい!」


 そんな状態でさえ、二人は楽しそうにじゃれ合っている。

 神獣族であるルナたちにとって、あの超巨大イノシシはただの餌でしかないのかもしれない。


「へっ! この世は弱肉強食! 美味いとこ食べたきゃ俺より先に仕留めてみせな!」

「よーし! 負けないよー!」


 そう言って二人はこちらに突撃してくるイノシシに向かって飛び出した。


 それはいいのだが、あの二人がエンペラーボアの突進を止められるのだろうか?

 自信満々だから狩ることは出来るのだろうが、止められないとこっちが危険なんだが……。


「って、やっぱり全然止まってない! むしろ二人が張り付いて暴れ方が激しくなってる⁉」

「ちょ、さすがに私もあれをどうにかしようと思ったら、詠唱の時間が――⁉」


 こちらのテントに向かって突撃してくるエンペラーボア。逃げようにもあれほどの巨躯が相手では、俺はともかくレイナが危険だ。


「くっ……こうなったら!」

「え、ちょっとアラタ⁉ なにしてるの逃げるわよ!」

「レイナは下がってて!」


 俺は信じる。この世界に転生させてくれた、神様の力を。

 そもそも、この程度の突発的な危険にも立ち向かえなければ、これから先この島で生きてなどいけないだろう。


 突撃してくるエンペラーボアの勢いは、それこそトラックなど比にならない。これを受け止めるのは隕石を受け止めるようなものだ。だがしかし、不思議と恐怖はなかった。


「アラタ――⁉」

「大丈夫!」


 出来る。そう確信した状態で両手を広げて、突撃してくる超巨大イノシシと衝突する。

 一瞬だけ感じた衝撃は、しかし俺の身体を後ろに押し込むことが出来ずにそのまま止めきった。


『ブギィ⁉』

「どうだぁぁ!」

「……うっそぉ」


 三者三様の様子で、一瞬時が止まる。


 エンペラーボアの身体に張り付いて攻撃を繰り返していたエルガとルナも、その手を止めて驚いた様子でこちらを見ていた。


「お兄ちゃん凄い!」

「おいおい……お前人間じゃなかったのかよ!?」

「さぁて、俺が仕留めたら、この肉は俺のものだよね」


 早い者勝ちだと言ったのはエルガだ。


 ここから先、レイナを元の大陸まで戻すのに、どれだけの時間がかかるかわからない。そうなった場合、彼女と一緒に生活をするにしても、食材は必要だ。


「この世は弱肉強食。悪いけど、俺らの糧になってね!」


 必死にこちらを押し込もうとしているエンペラーボアに対して、思い切り拳を握りこんだ。


 この世界に転生をしたときに、神様から貰った『病気と怪我をしない強い身体』。その一撃は、先日のオオカミですでに実証されている。


「エンペラーボア、打ち取ったり!」


 そうして凄まじい衝撃音が神島に響き渡らせながら、俺はエンペラーボアと呼ばれる超巨大なイノシシを退治したのであった。


 ただし、手加減なしの一撃はオオカミのときと同じくエンペラーボアをはるか東の方へと吹き飛ばしてしまい、食材狙いだった俺たちは声を上げてしまう。


「俺の肉ぅぅぅ!」

「ルナのがぁぁぁ!」

「あ……しまったぁぁぁ!」

「……私の中の常識が、全部壊される光景だわ」


 飛んで行ったイノシシを叫びながら見送ることしか出来なかった俺たちと、ただ一人常識的な感性を持ったレイナが遠い目をしながら、騒がしい日常の『一つ』が終わるのであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る