第8話 お昼はカレー

 エンペラーボアを遥か遠くまで殴り飛ばしてしまった俺は今、エルガとルナによって睨まれていた。


「おぉい! エンペラーボアの肉、どうしてくれんだよぉ」

「お兄ちゃん、酷いよー」

「ご、ごめんって」


 超巨大イノシシの行進によって破壊しつくされた森を背にしながら、必死に二人に謝罪する。

 とはいえ、あれは不可抗力でもあったのだ。俺だって本当は、二人が美味しいと言うエンペラーボアを食べてみたかった。


 ギャグマンガじゃあるまいし、まさかパンチ一発であんなことになるとは誰が予想するというのか。


「はいはい、二人とも、ご飯出来たわよ。それくらいでアラタを許してあげなさい」

「良い匂い……お兄ちゃん、これに免じて許してあげる」

「……仕方ねぇなぁ」


 昼食の用意をしていたレイナがそう言うと、それまでのことはなんだったのかと思うほど簡単に許してくれた。


 彼らの行動原理が食事だというのであれば、食事で気を逸らしてあげればいいのだろうが、本当にベストタイミングだ。


 感謝の意味を込めてレイナを見ると、彼女は少し照れた様子を見せる。


「……先に助けてくれたのは、貴方じゃない」


 小さな声でそう呟くが、普通に聞こえてきた。きっとこれについて触れると彼女はまた照れてしまうので、聞かなかったことにする。


 そして四人で昼食を食べ始めることに。見た目はカレーのような料理だ。

 相変わらず多少時間のかかりそうな料理なのに、なぜこんなに短期間で出来るのか。


 不思議に思うなら料理中に近づけばいいのだが、彼女の包丁捌きや見る目が玄人の雰囲気過ぎて、料理中は近寄りがたいのだ。

 

 鍋の中のルーはレトルトカレーよりもややオレンジ寄りの色をしており、少しだけ甘い柑橘系の匂いがした。

 元日本人としては、出来れば米があればと思うのだが、さすがにそれは贅沢を言い過ぎだろう。

 一緒に用意されたナンのような形のパンを付けて食べてみる。


「うお!」


 想像していたスパイスはそこまでないが、その代わりほんのり香る柑橘の風味がカレーとマッチしていて、これまで食べたことのない味わいを出していた。

 さらにそれがナンに絡みついて、パン自体の甘味を引き立てるようになっており、非常に食べやすい。


「なんじゃこりゃー! うーまーす―ぎーるー!」

「おーいーしー!」


 どう食べればいいのか悩んで二人が俺の真似をして口に入れると、突然立ち上がって空に向かって叫びだした。相変わらずの良いリアクションを取る二人につい苦笑してしまう。


「まったく、大げさなんだから」


 そう言うレイナも、自分が作った料理を美味しく食べてくれることが嬉しいのか、言葉とは裏腹に声は明るい。


「いや、でもこれ本当に美味しいよ。俺の故郷でも似た料理はあるんだけど、なんて名前なの?」

「カーレだけど……アラタは本当に知らないの? 大陸ならどこでも作る家庭料理の一つなんだけど?」

「へ、へぇ……ちなみに俺の故郷だとカレーって呼び方だから、地方によってちょっと違うのかもね」


 なんとも返し辛い名前が出てきて逆に困る。これがまったく違う名前だったらまだわかるが、ここまで類似していると過去に転生者がいたのではないかと勘繰ってしまうくらいだ。

 とはいえ、転生させてくれた神様曰く、転生者は他にいないという話なので偶然だろう。


 それにしても、レイナは本当に料理上手だ。彼女の収納魔法にどれだけの食材が入っているのかは分からないが、これからの食事にも期待できる。


「……昔、師匠のところで散々料理はさせれたから、多少はね」


 多少というレベルではない気がするが、彼女の表情を見ると思い出させないで欲しいという雰囲気だったので、深く聞くのは止めておく。


「しかしこれだったら、やっぱりあのエンペラーボアをレイナが料理したらどうなったか、気になるね」

「あんな大きなイノシシ捌いたことないから、出来るかわからないけど……」


 あれだけ巨大であれば、二人で食べる分には数ヵ月は持ったはずだ。ここにいる二人を加えても、相当な日数を稼げただろう。


 それをみすみす逃してしまい、こうして彼女の持ってきた食材を再び使う羽目になったことが、申し訳なく思った。


「次見つけたら挑戦してみるから、とりあえず飛ばさないようにお願いね」

「絶対だよお兄ちゃん!」

「つーか、俺も見つけたら持ってくるから、そん時は頼むぜ」


 三者三様の言葉に思わず苦笑してしまう。ルナは食べる気満々だし、エルガに至っては今後色々な食材を持ってきそうな勢いだ。

 どうやら神獣族全体がどうかはともかく、彼らは自分たちのような異邦人を受け入れてくれたらしい。


 そうして四人でワイワイと話しながらの食事を終えると、レイナの片づけを手伝う。

 今朝と同じで、ルナとエルガは相変わらず食べたら腹を抑えながら満足げに寝転がっていた。


「さてっと、それじゃあ話の続きといくか。アラタはこの島に住みたいって話だったよな?」

「うん……でも駄目っぽいってさっき言ってたよね?」

「ありゃお前が人間だったらの話だ」


 どうやらいつの間にか俺は人間じゃないカテゴリーに入れられていたらしい。


「俺、人間だよ?」

「知ってるか? 人間はエンペラーボアの突撃を止められないし、パンチ一発でぶっ飛ばさせることも出来ねぇんだ」

「それはエルガが人間を知らないだけだよ。今時の人間はね、あれくらい出来るもんなんだ」


 この世界のことなどなにも知らないが、とりあえずそんなことを言ってみる。するとエルガは信じたらしく驚愕した表情をしていた。

 隣で聞いていたルナも、この島のこと以外は知らないのか、驚いたように口を開けている。


「おいマジか……いつの間に外の人間はそんな化物になったんだよ」

「人間って凄いんだねぇ。そういえば見たことなかったけど、エルガは人間を見たことある?」

「いや……そういえば、ねえな。そうか、たしかに俺も爺たちから聞いた話だけだったが、今の外界はそんなことになってたのか。やべぇな、人間舐めてたぜ」


 ガチのトーンでそんなことを言うエルガたちに、しまったと思う。どうやら完全に信じてしられてしまったようだ。


 これは今から嘘でしたと言ったら本気で怒られるかもしれない。

 困ったようにレイナを見ると、彼女は呆れた様子でこちらを見ていた。


 まだ出会って二日目だが、面倒見のいい彼女はこういう時、きっと助けてくれるに違いない。


「エルガ、ルナ、貴方たち騙されてるわよ」

「なんだと⁉」

「ええぇ!?」

「裏切られた⁉」

「人聞きが悪い。嘘吐くアラタが悪いんじゃない」


 ごもっともである。


 責める視線をこちらに向けてくるので素直に謝ると、二人とも許してくれた。彼らは外の世界のことを本当に知らないらしいので、今後は気を付けようと思う。


「レイナ、ちなみにだけど本当に俺以外にあれくらいできる人いない?」

「いない」

「そっか……」


 それを聞くと、本当に俺は人間を辞めているのかもしれない。


 まあ神様から貰った身体に不満はないし、人里から離れてこの島で生活するつもりな以上、人間に拘る必要もないから構わないのだが――。


「なあレイナ、こいつ本当に人間なのか?」

「多分、いちおう分類上はそうだと思うけど……」


 そんな風に言われるとちょっとどういう表情をすればいいのかわからなくなってしまうのは、何故だろうか。


「まあいいや。よく考えたら人間だろうとそうじゃなかろうと関係ねぇし。ところでアラタ」

「うん?」

「テメェが本当にこの島に住みたいってんだったら、とりあえずこの辺で生活したらいいぜ。この辺りは自然も多いから食い物に困ることもねえし、たまにあんな風にエンペラーボアみたいに美味い肉もやってくるしな」

「いいの?」

「おう、テメェもずいぶんと変わってて面白いし、ルナのやつも気に入ってるみたいだからな」


 そう言いながら快活な笑みを浮かべるエルガは、隣にいたルナの頭を乱暴に撫でる。


「お兄ちゃん、この辺りに住むの?」

「二人がいいって言うなら、そうしようかな」

「お姉ちゃんも?」

「そうね。とりあえず帰る手段もないし、一人でこの島を生きていける自信もないから、しばらくアラタと一緒にいるわよ」


 ルナは俺とレイナを交互に見たあと、その返事を聞いた瞬間、瞳を輝かせて勢いよく両手を上げる。


「やったー! そしたらこれからもたくさん遊べるね! あと美味しい物食べられる!」

「おいルナ、邪魔だけはすんなよ」

「しないもん! わーい! 嬉しいなー!」


 両耳と尻尾をピコピコ動かし全身で喜びを表現するルナを見ると、こちらまで嬉しくなってしまう。そして勢いよくレイナに抱き着く姿を見ると、微笑ましい良い光景だ。


 異世界生活二日目にして、なんとか落ち着いた拠点を作ることが出来そうでよかった。


「ところで、レイナ。あれなんだと思う?」

「え?」


 俺が指さした方向は、エンペラーボアを吹き飛ばした先の空。

 遥か遠くだというのに、巨大な翼をバサバサと動かしながら近づいてくる巨大な影。


「おいおい……あれもしかして……」

「ちょっと、あれって……」


 エルガがこれまでと違って、少し焦った表情をしていた。

 影の目的がここにあるらしく、どんどん近くにやってくる。そして肉眼でその正体がわかる頃には、相手側にもこちらの存在がきっちりと把握されている状態だ。


 全身が触れば肌が斬れてしまいそうなほど鋭い鱗に覆われ、背中には巨大な蝙蝠のような羽根。

 光沢のある黒い身体から伸びる長い尻尾は鋭く、その両足のカギヅメには吹き飛ばしたはずのエンペラーボアががっしり掴まれていた。


 その正体がなにかと言われれば、俺はこういうしかない。


「……ドラゴン?」


 どうやら、俺の異世界生活二日目は、まだまだ落ち着く様子を見せてはくれないらしかった。

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