永遠の脇役である酒田君について

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永遠の脇役である酒田君について

 酒屋君は一応大学生である。文学部の二回生で、大学からは徒歩三分、最寄り駅から徒歩三十分の、建っていられるのが不思議な程のオンボロアパートに住んでいる。大家さんと焼き芋に興じている最中に聞いた話によると、この御老人アパート、築五十年はとうに過ぎているんだそうである。巨大鯰が欠伸でもしてぐらぐらとやってきたら最後、御老人は真横にべしゃりと倒れてしまうのではないかと酒屋君は度々心配になるのだが、御老人も戦後や高度経済成長期にバブルを乗り越えてきたのだなと思うと妙に尊敬と愛着が沸いてしまい、それでもう三年ここに住んでいる。金が無いというのもある。このアパートは他と比べて家賃がべらぼうに安いのだ。


 酒屋君は酒屋と言っても実家は酒屋ではなく総菜屋である。名物はコロッケで、これだけはよく売れる。これで黒字を稼いでいると言っても過言ではない。他の商品が全くといっていい程売れないからかもしれない。酒屋君自身としては母親が珍メニューに挑戦しすぎるからだと思っている。みかんの味噌炒めだか醤油炒めだか知らないが一体誰が食べるのだろうか、全く味音痴が料理をするものでない――と思っていたら母親は売れなかった商品をクール宅急便で送ってきた。財布の中は小銭ばかりで常に食に困っている酒屋君でも、流石にこのゲテモノは半分捨ててしまった。これは食物ではなく生ゴミか、そうでなければ人間以外若しくは味音痴の食するものである、とそういう云う訳である。残りの半分は腐れ縁の友人に押し付けたらその後一週間友人は大学に来ていないばかりか連絡もとれない。酒屋君はそろそろいい墓石でも探してやろうと思っている。


 酒屋君は実家に帰ると必ず電話番に指名される。惣菜注文の電話ではない、酒の注文の電話である。これが頻繁に来る。毎日来る。彼はその度にオリジナリティ溢れる東北弁で「おらの家ぁ、酒ぁ売っでねえべ。ずまねえなあ。どごろで、にいぢゃんの褌だぁ何色だべ?」と聞いて相手が切るのを期待する。大抵はそこで怒るか切る。それでもふんばる輩には「おらの褌とごうがんじねがー」と聞くとほぼ切られる。酒屋君自体にはそういった趣味はないので、真にそんな性癖の方々に電話でかち合ってしまった時、つまり褌の交換を了承されてしまった時にはすぐこちらから電話を切ることにしている。酒屋君の訛りレパートリーは他にアレンジの効いた鹿児島弁と酒屋訛りとしか言いようのない関西弁があり、最近は沖縄弁と名古屋弁をマスターするべく目下練習中である。


 酒屋君は何故かモテる。人畜無害そうな外見がそうさせるのかもしれない。靴箱に白い封筒青い封筒桃色の封筒が入っていたことも実は数知れずである。しかし彼自身はと云うと女性と付き合ったことは無い。彼の好みの女性が平安時代風の女性だからである。だから酒屋君は女性に告白されたらまず顔の下半分を見る。下ぶくれでないとアウトである。もし下ぶくれであったとしても眉を剃り丸く書いていないとアウトであり、髪が1m以上ありかつ美しくないと幾ら現代風に可愛くても振ってしまう。つまり酒屋君が断った回数も数知れずなのだ。それなら相当の恨みを買っていそうなものだが、酒屋君の理想の女性と現実の女性の間に余りにギャップがありすぎるため、恨みでなく呆れしか生まないらしい。得な性分である。いっそ紫の上を育てたほうが早いと思ったことがあるのだが、敢え無く法律に引っかかり挫折した。


 さて、今迄酒屋君の話を延々としてきた。何故こんなつまらない奴のパーソナルデータなどを知らなければならないのだろうと考えていた人も多いに違いない。何故つまらないのかといえば、それは酒屋君が脇役だからに他ならない。


 酒屋君は現代において運命の人に出会うことはないだろうし、特筆すべき能力や特性、過去はない。つまりはドラマチックでない。せいぜいが『主人公の親友』ポジションにしかなれない脇役なのだ。その理由は彼の雰囲気かもしれないし、運命か言動か、それは全くの第三者である私達の知るに及ぶことではない。酒屋君は脇役にしかなれないし、主人公は酒屋君よりもっと冴えない誰かかもしれない。酒屋君はそのような微妙なことは知らないが、自分が主人公には成り得ないことだけはよく知っている。どうして千年以上昔に生まれてこなかったのかと悩む主人公が何処に居るというのか。葵の上や夕顔など源氏物語の挿絵を見るだけで鼓動が早くなり恥ずかしくなって目を背けてしまう主人公が何処に居るというのか。「お前は主人公である」という宇佐神宮の信託が下ったら少しは考えるかもしれないが、目下下る様子はないので、酒屋君は自分は一生脇役で行くと信じている。勿論道鏡のように改竄する勇気は無い。

 つまり酒屋君は主人公ではないのである。ではこの噺の主人公は一体誰なのか。

 それは酒屋君の隣に住んでいる冴えない大学生なのだが、まだ大学生は自分が主人公であることに気付いてはいないし、酒屋君は彼の脇役になる程親しくは無い。物語は主人公が自覚することから始まるのである。


 よって物語はまだ始まらない。


 物語は明日、隣の大学生が「宇佐神宮よ、俺に金と彼女をくれ!」と叫ぶことから始まる。

 そのことはまだ誰も、宇佐神宮さえも知らない。


 大家さんは知っているかもしれない。

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