気持ちを自覚した瞬間

 それからも俺は絃羽いとは武史たけしの二人と夏休みを満喫した。

 正直に言うと、当初の帆夏ほのかを仲間外れにして云々、という作戦などどうでもよくなっていた。俺も心のどこかで童心に戻って遊ぶ事に全力を尽くしたかったのだと思う。二十二歳で、来年でもう大学も卒業だというのに何をやっているのか。自分でも呆れている。

 でも、きっとこんな楽しみ方ができるのは今だけで。それが何となく察せてしまうから、こうして童心に帰ってバカになりたいのだと思う。

 純粋に童心に帰れる年齢には期限がある。年を重ねる毎に、純粋に夏を楽しめなくなるのだろう。だから、楽しめる時期に目一杯楽しみたかったのだ。

 絃羽と武史とは、バドミントン以外にも色々遊んだ。川遊びもしたし、虫捕りや水鉄砲で水の掛け合いなんかもした。絃羽は気付いていなかったようだけれど、服が水で透けていて、内心ドキドキしていたのはここだけの話だ。本当に、自分がいくつなんだと思ってしまう。童心に戻り過ぎだ。

 でも、絃羽が笑う顔があまりに綺麗で、可愛くて。だから、もっと笑わせてやりたいと思ってしまう。

 きっと──俺はもう彼女に恋をしているのだ。六つ程年下の高校生の彼女に。

 最初はただ放っておけなかっただけだと思う。いきなり岬から海に飛び込んでしまう彼女が心配で、両親がいなくなってしまった彼女が不憫で。だから、少しでもいいからその孤独を癒してやりたかった。


 ──いや、違うか。


 そう自分に言い聞かせていただけで、それらは絃羽を構う後付けの理由でしかなかった。多分俺は、あの岬で五年ぶりに彼女と再会したあの瞬間、彼女の事を好きになっていたのだ。帆夏や武史との関係を改善してやりたかったのも、もっと単純で不純なものだったと気付いてしまった。

 好きな女の子を喜ばせたい──俺の動機は、きっとこれだったのだ。

 それを証明するように、俺はこれまでより絃羽を構うようになっていたし、夕食もなるべく彼女と取るようにしていた。誰も来なければ美紀子さんと三人で食べ、もし人が集まっていれば、絃羽の部屋で食べる。話す内容がなくても一緒に漫画を読む口実で彼女の部屋を訪れていた。

 これらは、帆夏との仲を取り持つのに必要な事とは到底言い難い。でも、何となくそれが習慣化していた。いや、俺がそうしたくて、そうなるように自分から働きかけていたのだろうと思う。絃羽とより多くの時間を過ごしたかったのだ。

 だからといって、何か特別な事があるわけではない。一緒にご飯を食べて、漫画を読んで、たまに絃羽が宿題をしているのを横で見ている……そんな程度だ。最初は教えるつもりでいたけれど、彼女は優秀で問題もすらすらと解いていた。勉強面では何もしてやれる事がなかったのだ。

 今もそうだ。俺はただ絃羽の部屋で漫画を読んでいて、彼女はテーブルで予習だか復習だかをしている。

 こんな穏やかな日がずっと続けばいいのにな──そう思ってページをめくった時、絃羽が唐突に訊いてきた。


「悠真さんは、いつまでここにいるの?」


 漫画を読んでいた手が思わず止まる。

 もうここに来て、二週間程経っている。何となく毎日が満たされていたから自覚していなかったが、俺はいつまでここにいるのだろうか。

 美紀子さんには具体的に何日までいるとも言っていないし、親にもいつ帰るとは言っていない。でも、いつかはここを去らなければならない。今の俺は、ただの居候なのだから。


「……こうして漫画を読みにきたり、一緒に飯を食おうとする野郎が同じ屋根の下にいると落ち着かないってか?」


 何となく答え難くて、濁してしまった。すると、絃羽が眉根を寄せて、むっとした表情をする。


「違うよ。そういう意味じゃなくて……どれくらいで帰るのかなって」

「いなくなられたら寂しい、とか?」


 やっぱり答え難くて、ちょっと冗談っぽく訊き返してやった。

 というより、答えようがなかった。この旅の目的も、はっきりわかっていない。何ならこの先の事もわかっていない。絃羽や武史の前では偉そうに人生の先輩ぶっているが、今の俺はフリーターまっしぐらな大学生だ。旅の目的どころか、人生の目的も見失っていた。

 彼女はそんな俺の返答に呆れたのか、黙ったままノートに問題の答えを記していた。カリカリ、とシャーペンの音だけが部屋に響いている。

 寂しいわけないか、と思って漫画に視線を戻した時──


「……うん。寂しい」


 絃羽はとても小さな声で、そう言った。

 彼女の視線はノートに向けられているが、シャーペンを持つ手は止まっている。その長くて綺麗な銀髪が彼女の横顔を覆っていて、表情は窺い知れない。


「そっか……寂しい、か」

「うん」


 もう一度頷いてから、絃羽はまたシャーぺンを走らせた。

 部屋の中に響く筆音と、彼女の小さな呼吸。それが何ともこそばゆくて、彼女が寂しさを覚えていてくれた事が嬉しくて。

 こんな穏やかな日がずっと続けばいいのに──改めてそう思いながら、漫画のページをめくった。

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