最低な言葉
俺の願いは届かず、穏やかな時間はそう長くは続かなかった。
それもそのはずで、これは本来〝
だが、武史の予想は外れた。帆夏も俺達が一緒に遊んでいる旨を見聞きして察したのか、昼食どころか夕食も桐谷家には来なくなったのだ。武史も部活がないから学校には行っておらず、帆夏とは会っていないらしい。
予想に反して、帆夏の方から離れていったのだ。あまりに音沙汰がなく、ただ俺達は遊んでいるだけになってしまった。しかも、それがまた楽しいので、つい帆夏の事を忘れてしまっていたのだ。
そう……本当の意味で、彼女を仲間外れにしてしまっていたのである。
その意図はもちろんない。童心に戻って遊ぶのが単純に楽しくて、
帆夏にしても、学校には部活仲間がいるし、友達も多いそうだ。今更武史や俺が絃羽と楽しそうに遊んでいるからといって、何とも思わなかったのかもしれない。
それならそれでよかった。もし、絃羽が武史と話す事が〝普通〟になれば、学校でも普通に話せる。武史も野球部の一年生レギュラーで、学校では友達も多いそうだ。彼経由で新しい友達もできるかもしれない。
例え帆夏との仲が改善できなくても、絃羽がこの町の中で新しく友達ができて、居場所ができたなら、それはそれで良い。もうどこかへ飛んで行きたいと言って、岬から飛び込むような真似さえしなければ良いのだから。もしその過程で彼氏ができたら俺としては素直に喜べないけれど……でも、それで絃羽が幸せに暮らせるなら、現状に絶望しなくていいのなら、俺は何も言うまい。
帆夏が俺達から距離を置いてからそう考えを改め始めていた時、嵐は唐突に訪れた。
いつもの様に三人で遊んで、夕食前に家に帰ろうとしていた時である。俺達三人の前に、一人の女の子が立ちはだかっていた。
「帆夏……」
帆夏だった。まだ制服のままで、部活が終わってからずっと俺達が帰ってくるのを待ち伏せしていたようだ。
彼女は憎々しげに絃羽を睨んでから、続けて武史を睨む。いつもの明るく可愛らしい帆夏の姿はそこにはなかった。
武史はごくりと息を飲み、絃羽は半歩下がっていた。
「へえー? 絃羽、学校以外はずっと引きこもりだったのに、最近は毎日こんな遅くまで遊んでるんだ?」
帆夏は絃羽に声を掛けるが、絃羽は気まずそうに俯くだけで、何も返さなかった。
「シカト? じゃあ武史。前から思ってたけどさ、何のつもり? ほんの数日だけかなって思ってたら毎日毎日さ……すっごい気分悪いんだけど」
これまでに聞いた事がないような低い声で、帆夏は言葉を発した。
絡み方が少し面倒臭いな──咄嗟に俺はそう感じていた。
俺とて大学の四年間でそれなりに女の子と接してきた。その中には面倒だな、と思わされる女の子も何人かいて、今の帆夏からも、そういったある種の〝面倒臭さ〟を感じていた。
これも彼女が思春期を迎えると共に変わってしまった事なのだろうか。武史が帆夏と揉めるのは面倒だ、と感じた理由が何となくわかった。
「野球部が活動停止になった翌日から、あたしの目につくところでお兄ちゃん達と遊んでさ。あんた何がしたいの?」
「待て、帆夏。俺が誘ったんだよ。部活ができなくなってこいつが凹んでたのはお前も知ってるだろ」
帆夏が武史に詰め寄ろうとしたので、慌てて間に入る。
なるほど、武史の言っていた通り、仲間外れ作戦は思った以上に効果を発揮していたようだ。
音沙汰がなかったから気にしていないと思っていたが、むしろ逆だったのだろう。距離を置く事で自分を保とうとしていたが、遂に堪忍袋の緒が切れたと言ったところだろうか。
「ねえ、お兄ちゃんも何? あたしがそんなに嫌いなの? それとも、そんなにそいつを構ってあげたいの?」
キッと帆夏が俺を睨んでくる。その目尻にはうっすら涙が溜まっていた。
確かに帆夏はちょっと面倒だ。だが、それは俺がそれだけ彼女を傷つけてしまっていたからでもある。
ふと初日に、俺を見掛けて嬉しそうに『お兄ちゃん』と呼んでくれた帆夏を思い出す。彼女は久しぶりの再会を喜んでくれていたのに、以降ずっと傷つけてしまっていたのだ。
この帆夏を見て、ちょっと作戦が浅はか過ぎたかな、と後悔した。
だが、今更悔やんでももう遅い。何より、話を持ち掛けたのは俺で、武史はそれに対して提案しただけである。絃羽に関して言えば、何も知らずに遊んでいただけだ。彼らが責められる事などあってはならない。
「別にそういうわけじゃない。お前には部活があって、こいつらにはなかったから……それで、時間を持て余していたから一緒に遊んでただけだよ。誘ったのは俺だ」
これは帆夏が何か言ってきた時に用意していた台詞だった。
だが、ちょっと想定していた事態とは温度差がある。もっと可愛らしく拗ねた感じで怒ってくると予想していたが、ここまで本気だとも考えていなかった。これも、俺が帆夏を見誤っていた事に起因している。
五年の月日は大きい。性格や考え方にも大きく影響を与えてしまう程に。
「そんなの、声くらい掛けてくれたっていいじゃん! あたしだけ除け者にしてさ……酷いよ、お兄ちゃん」
絃羽や武史が変わった様に、帆夏も昔とは違う。それをこの言葉で確信した。この〝あたしだけ除け者にして〟という言葉──これだけはどうしても聞き逃せなかった。
確かに帆夏は今回、嫌な想いをした被害者なのだろう。加害者はもちろん俺である。でも、それを言って良い人間と、言ってはいけない人間がいる。少なくともこの場に於いては、帆夏は言ってはいけない。なぜなら──
「それは……お前がこれまで絃羽にしてきた事だったんじゃないのか?」
俺がそう言うと、帆夏はハッとして顔を上げた。そして、言ったのか、と言わんばかりに武史を睨んでいる。彼は気まずそうにスッと目を逸らしていた。
「お前が絃羽を仲間外れにして、こいつが誰とも話せないようにしたんじゃないのか? 自分はたくさん仲間を囲んでて、それで自分は数日遊びに誘われなかったから、被害者だ? さすがにそれは筋が通ってないんじゃないか、帆夏」
俺は思ったより彼女に腹を立てていた。ここで被害者面をするのは、あまりに狡い。そして、これまでずっと寂しい思いをさせられてきた絃羽が、あまりに可哀想だと思えた。
帆夏は何も言い返せないのか、唇を噛んで俯いてしまった。武史と絃羽も黙っている。否定しないという事は、彼らも同じ事を感じていたのだろう。
きっとこれは、武史や絃羽では言えない言葉だったのだと思う。武史の話を聞いていた限りでは、帆夏は学校内では結構な権力を持っている。周りにいる人間の数が多いのだ。
高校生程度では、数の力がモノを言う。現に、武史だって絃羽に好意を抱いていながらも、何もできなかった。そこで踏み止まらせてしまうだけのものが、帆夏にはあったのだろう。
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