それぞれの事情

 ──暑い。


 だらだらと流れる汗を拭く事を諦め、心中そんな愚痴を漏らした。

 俺と武史たけしは、この糞暑いさ中、浜辺でバドミントンをしていた。武史の家の納屋で遊び道具を探していた時、何となく気楽にやれそうだなと思って選んだのがバドミントンだった。

 ただ打ち返すだけでいいし楽なもんだ──と思っていたのは最初だけだった。途中からは俺も武史もただ打ち返す事に必死だ。海風があって、打ち返しても届かなかったり、大きく変化がついて追いつかない事が多いのだ。しかも、足場の悪い砂浜である。

 案外、運動部とのフィジカル差を気にする事なく、ゲームを楽しめた。


「だぁっ! 畜生!」

「はっはー! 見たか、大学生の実力を!」


 俺の打った海風付スマッシュで見事空ぶりを取ってやった。武史はそのまま体勢を崩して砂浜に突っ込んでいる。


「今の、実力っつーか風じゃんか! あんなの打ち返せるわけがねえ!」

「風も実力のうちだ」


 俺は得意げな顔をしながら、砂浜に正の字を書いていく。ポイントは俺の方が微妙に優勢だ。ほとんど海風頼りだが、これはこれでやり甲斐がある。浜辺を指定してよかった。

 浜辺を指定した理由は、単純に絃羽いとはを迎えに行くのに都合が良かったからだ。それに、ハーゲムダッツが売っているコンビニもすぐそこにある。それがこうも功を奏するとは思ってもいなかった。


「この浜辺、全然人いないんだな」


 ちらりと浜辺に目をやってから訊いた。

 浜辺には殆ど人はおらず、海面に数人だけサーファーがいる程度だ。屋台も出ていないし、海水浴客もいない。


「遊泳禁止だからなー。遠方から来てるサーファーも九十九里浜の方に行くし、際立った観光地もないから、このへんはずっとこんな感じだよ。長閑のどかでいいけどな」


 武史がシャトルを軽く打ってきたので、それに対して軽く返してやる。

 それから何度かラリーが続いた。勝負というよりは、ただ会話の繋ぎとしてバドミントンをやっているという感じだ。風も収まってきているので、ちょうど良い感じにラリーが出来ている。

 そこから彼は、色々と五年間にあった話をしてくれた。

 中学から野球を始めた事や、初めてヒットを打った時の事、帆夏ほのかが中学に上がって上級生に告白されて付き合ったものの、三日で別れていた事など……誰にでも起こりうるけど、誰にとっても大切な青春がそこにあった。それは俺が無くしてしまったものでもある。


 ──羨ましいな。


 シャトルを打ち返しながら、そんな感想が思い浮かぶ。

 もう大学生となって、しかも卒業一歩手前。そんな青春は、味わおうと思っても味わえない。きっと歳を重ねていくにつれて、青い経験はどんどんできなくなるのだろう。何となくそんな事を思った。


「にしてもさー、ユウ兄」

「あん?」


 シャトルを打ち返しながら、武史が話し出した。


美紀子みきこさんの家で生活してるって事は、絃羽いとはと暮らしてんだよな、今」

「まあ、そうだな」

「あいつ、どんな感じ? 家で」

「んー……あんまり部屋から出てこないからわかんないな。漫画読ませてもらうくらいかな」


 俺がそう言うと、彼は少し驚いた顔をしていた。


「へえ、あいつ漫画好きなのか」

「みたいだぞ。でかい本棚にギッシリ詰まってた」


 絃羽が漫画好きな事は、武史も知らなかったらしい。

 いや、それだけ皆、絃羽についての情報を持っていないのだろう。それだけ彼女は、人との関係を遮断しているのだ。


「学校では絃羽ってどんな感じなの? 大体予想つくけど」

「うーん……基本、ずっと一人かな。誰かに話し掛けられても逃げる様に会話終わらせてるから、誰も話し掛けなくなったよ」


 男子から人気あるんだけどな、と武史は付け加えた。

 高校に入った当初、絃羽は男子からよくアプローチを掛けられていたそうだ。ただ、あまりの塩対応っぷりに告白するところまで辿り着けずに心を折られる事が多いのだとか。そのせいで女子からも嫉妬を買って『お高くとまっている』と言われ、高校でも孤立する事になったのだそうだ。


 ──中学の時は元々孤立していた様な口ぶりだな。


 てっきり、中学でも高校でも同じ様な流れで孤立していたと思っていたので、少し意外だった。そこについてちょっと突っ込んでみようか。


「お前らとは? 小学生の頃はずっと一緒だっただろ」

「……中学上がる前くらいまでは、な」


 武史の歯切れが悪くなった。やはり、俺が来なくなってから絃羽と何かあった様だ。


「それに、小学校の頃からずっと一緒だったわけじゃねえよ。もともとあいつ、転校してきて、結構ぼっちの時期長かったんだぜ」


 武史によると、絃羽は小学一年生の冬にここ零賀町に引っ越してきたそうだ。観光客も滅多に来ない田舎町では、彼女の珍しい髪色や瞳は浮く。加えて、引っ込み思案な性格も災いして、クラスに溶け込むのは完全に失敗。以降、それから暫く彼女は仲間外れにされていたそうだ。


「へえ……じゃあ、お前と帆夏ほのかが仲間に入れてやったのか。良い奴じゃん」


 俺がそう言うと、武史がズッコケるようにしてラケットを空振りさせて、シャトルが地面に落ちた。ちなみに今のは、風の所為ではない。


「おいおい……覚えてねえのかよ」


 武史が呆れながら砂浜に正の字を書き足して、もう一度シャトルを下から打った。取ったポイントを正の字で書き足しているのだ。


「何がだよ」


 またラリーをしながら、訊き返す。


「絃羽を連れてきたの、ユウ兄じゃん」


 今度は俺のラケットが盛大に空を切った。全く予期していなかった。


「え? マジ?」

「マジだっつーの」


 ラケットで正の字を書き足しつつ、呆れ果てた様に言う。

 彼らが小二の夏休み、一人で寂しそうにしている絃羽を見つけてきて、一緒に遊ぼうと誘った事が切っ掛けだそうだ。武史と帆夏は物心つく前から一緒に育っていて、俺は絃羽をその輪の中にいきなり突っ込んでしまっていたのだ。


 ──ああ、じゃあ、前に見たのは夢じゃなかったのか。


 以前見た小さな絃羽の夢を思い出す。やたらと鮮明な夢だと思っていたが、夢ではなく絃羽と初めて出会った時の記憶だったのだ。

 当時中学生くらいだった俺は、神社で一人寂しげにしている絃羽を何故か放っておけなくて、話し掛けて、そして武史達に紹介した。だとすると、今の絃羽の孤独を作ってしまったのは、俺なのではないだろうか。


「あれ、最初は結構大変だったんだぜ? 帆夏もユウ兄が他の女の子連れてきて結構複雑そうだったし」

「いや、そうだよな……」


 彼らからすれば、いきなり部外者、しかも学校でも仲間外れにされていた絃羽をいきなり仲間に入れてやれと要求されたのだ。武史と帆夏も最初は迷ったようだが、俺に頼まれて拒めなかったそうだ。

 それから幼馴染同士の中に、絃羽という異物が入ってくる事となった。もちろん、俺が帰ってからも、彼らの関係は続いていく。

 最初はどう接していいかわからなかったそうだが、絃羽のご両親が桐谷家の家族間交流に参加し始めた事で、その問題は改善された。この辺りは、絃羽を上手く馴染ませる為に美紀子さんが裏で画策していたそうだ。あの人は昔から子供達を気にかけていたんだな、と改めて感心させられる。

 以降、帆夏と武史と絃羽は、桐谷家(美紀子さん)を中心に関係性が構築されるようになった。それからは学校でも絃羽は帆夏や武史といる事が多くなったので、ぼっち問題も解消されたそうだ。

 ただ、これらの事情を聞けば、記憶の中で絃羽がいつも彼らから一歩引いていたのも頷ける。自分はこの二人の関係には入り込めない、と思っていたのだろう。

 しかし、そうして取り繕っていった関係にも、徐々にヒビが入っていった。その原因が──


「ユウ兄だよ」


 武史が断言する様に言い、シャトルを打つ。


「え、俺?」


 予想しなかった言葉に、ぶん、とまた空振ってしまった。


「全部ってわけではないけどな」


 武史が付け足しつつ、正の字を書き加える。まずい、知らない間に追いつかれている。

 その後もラリーを続けながら、色々話してくれた。

 彼によると、帆夏の初恋相手は俺だったのだと言う(ここでまた空振った)。その俺が、いつも絃羽を気にかけていたのが帆夏は気に入らなかったそうだ。

 確かに、俺はいつも一歩後ろで遠慮している絃羽を常に気にかけていた。どうしてか、昔から俺は彼女を放っておけなかったのだ。しかし、絃羽は俺が連れてきた子だ。彼女を仲間外れにすると俺から嫌われると帆夏が考えてもおかしくない。

 そんな中、祖父母が亡くなった事を契機に、俺がここに来なくなった。俺が来ないなら、絃羽と無理に仲良くする必要もない。

 加えて、その翌年に絃羽のご両親が行方不明になり、絃羽は桐谷家、即ち美紀子さんの家に住む事になった。そこから、関係性は一気に悪化して行ったのだと言う。

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