それぞれの事情②

「……絃羽いとはが、無視され始めたんだよ」


 武史たけしが順序だてて説明してくれた。

 絃羽が桐谷家で暮らし始めてから、学校で彼女は無視されるようになった。その主導は、帆夏ほのかだ。帆夏はあの性格なので、中学校でも人気者だった。そんな帆夏が仲良くしている事もあって、絃羽は他の女子とも上手くやれていたのだという。

 しかし、帆夏が絃羽を無視し始めた事で、続いて周りも彼女を無視し始めた。男子が絃羽を助けようものなら、その男子も総スカンになる、という空気感だったそうだ。

 元々絃羽に憧れを抱いていた男子は多かったものの、特別仲の良かった男子もおらず、また火中の栗を拾いに行くような真似をする奴もいなかった。絃羽も絃羽で、自分から動いて問題を解決しようとする子ではない。しかも、相談できる家族もいなかった。

 結果、絃羽はまたぼっちへと舞い戻った。しかもそれは彼女自身がそう望んでいたようにも見えた、と武史は言う。


「俺や帆夏にとっても美紀子さんは第二の母ちゃん・姉ちゃんみたいな存在だったからさ。親の帰りが遅い帆夏からすれば、美紀子さんもユウ兄も、全部絃羽に取られたって思ったんじゃないかな」


 いくら帆夏が優しいといっても、未成熟な中学生の頃だ。そういった気持ちを抱いてしまうのも理解はできた。俺が取られた、というのはいまいち理解できないけれど、俺が絃羽を構い過ぎていた事が原因だったのだろうか。


「絃羽にしても、それがわかってたから負い目があったんだろうな。俺達が美紀子さんとこに行った時は絶対に顔を出さなかったよ」

「なるほどな……」


 それで、『私がいると、迷惑だから』か。何となく絃羽を取り巻く事情がわかってきた。

 絃羽は、親代わりである美紀子さんに対して甘えられなかったのだ。美紀子さんは武史や帆夏にとっても大切な存在で、だからこそ美紀子さんに甘えないように距離を置いているのだろう。


 ──じゃあ、お前が甘えられるのは、誰なんだよ。


 絃羽の周りには誰もいなかった。友達も、親も、保護者も。彼女は孤独だったのだ。


『空に飛び立って、雲の彼方……地平線の向こうまで飛んでいけたら、きっと今住んでる世界ももっと良い世界に思えたりするのかなって』


 絃羽と再会した時の事を思い出す。

 最初は、両親に会いたいからなのかとも思っていた。でも、そうじゃない。彼女が空を飛びたがるのは……きっと、どこにも居場所がないからだ。心の拠り所がないのである。寂しい、という言葉すら吐けないぐらいに。


 ──俺が居場所になってやる、ってのは烏滸がましいよな。


 頭の中で浮かんだ言葉に、自嘲の笑みが漏れた。

 絃羽のこの状況は、半分は俺が生み出したようなものだ。俺が彼女を連れてこなければ、彼女を仲間に入れてやって欲しいと頼まなければ、そして俺が絃羽を構い過ぎなければ、もっと状況は異なっていたかもしれない。


「なあ、武史」

「あん?」


 シャトルを武史に打ち返しながら言った。


「俺はお前らの仲を戻したいって思うんだけど……難しいかな?」


 ぶん、と今度は武史のラケットが空を切った。


「ユウ兄、それマジで言ってんの?」

「マジだよ」


 彼が大きな溜め息を吐きながらシャトルを拾い、「難易度高ぇなぁ」とぼやいた。


「ユウ兄の前では出してないけど、ユウ兄が絃羽を送り迎えしてるって知ってブチ切れてたんだぜ、帆夏。薙刀部の連中から『あんたの彼氏があの白髪と浮気してたよ』ってからかわれたのもあるらしくて」

「マジか……」


 しかも白髪って。絃羽はそんな風に言われているのか。白銀で綺麗な髪をしているのに。


「ただでさえユウ兄が来るってなって『あの女が間違いを犯さない様にあたしも一緒に桐谷の家で寝泊まりする!』って騒いでたからな。二時間も愚痴聞かせられた俺の身になってくれよ」

「それは……悪い事をした」


 何だか、俺の存在の所為で絃羽の立場がどんどん悪くなっている気がする。


「まあ、それとは別でさ。あいつもちょっとは絃羽に対して悪いと思ってるとこはあるんじゃないかなって思うんだけどな」


 砂浜に正の字を書き足してから、武史はシャトルを打ってゲームを再開させた。


「なんか言ってたのか?」

「いや、勘。勘だけど、多分当たってる」

「幼馴染の以心伝心ってやつ?」

「まあ、そんなもんかな。あと、単純にあいつ、絃羽の事ほんとは嫌いじゃないって思うんだよな。羨ましいってだけで」


 意外な言葉が出てきた。

 これまでの話を聞く限り、そして俺自身も見ている限り、帆夏は絃羽の事を嫌っていると思っていたからだ。


「じゃなきゃ、ユウ兄がいないところで仲良くしないだろ。ユウ兄や美紀子さんが絡んでくると嫉妬はするけど、嫌いじゃなかったんだと思う。小学生の頃は結構仲良かったんだぜ、あの二人」

「そうなのか……」


 それを聞くと、少し希望を持ててくる。

 もし、絃羽に友達ができて孤独じゃないと思えたのなら、もう空を飛ぶ必要もなくなる。それはきっと……絃羽にとって良い事だと思うのだ。


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