三人の食卓
「濡れた服は洗濯機に入れておいてね」
階段を降りると、居間の方から
その指示通りに洗濯機に入れてから、居間に入った。
そこには、やたらと気合いの入った料理とも言うべきか、ちょっと多すぎるのではないか、と思うほどのおかずが並んでいた。そして、俺の席となっていた場所のオムレツと思われるものに、ケチャップで『おかえり』と書かれていた。
「
「そうだったんですか……」
帆夏がそんなに楽しみにしてくれていたとは、意外だった。
俺が今更来たところで、誰も相手にしないと思っていたが……こんなにももてなされると思っていなかった。それを考えると、帆夏には可哀想な事をしてしまった。
「
旅立ちの岬……そうだ。確か、あの海岸にはそんな名前があった。
「またっていうと……過去にも?」
「ええ。これで四回目かしら。今まで怪我をしなかったのが不思議なくらいよ。波に呑まれて溺れる危険もあったし、岩に当たって怪我をする事も、水面に当たった衝撃で怪我をしたかもしれないのに……ほんと、毎回心臓に悪いわ」
美紀子さんが苦笑いをしたので、俺もつられて笑う。
確かに、あの光景を目の前で見ると心臓に悪い。
「絃羽には自殺願望でもあるんですか?」
「さあ……でも、自殺はしないんじゃないかしら? あの子は海には飛び込むけれど、自傷もしないし、建物の上からは飛び降りないから」
ふふっと美紀子さんが笑いながら言った。
冗談にならない事を平気で言うが、一緒に住んでいる美紀子さんは、そういった心配はないと安心しているからそう言えるのだろう。
ならば、どうして彼女は岬から飛び降りるのだろうか。
空を飛びたい、と彼女は言っていた。どうして彼女はそう言ったのだろうか。
「ただ、ほんとのところはわからないのよ。あの子は自分の事を何も話さなくなって、どんどん壁を作るようになって。あの子達とも、私とも……保護者失格よね」
「そうなんですか……」
絃羽の様子を見ていると、それも頷けた。
帆夏や武史達とも話さないのなら、きっと学校でもあの様子だろう。
「御飯も、あの子はいつも一人で食べてるの。自分の分だけ部屋に持って行って、食器も洗って……私が忙しい時は、代わりに作っておいてくれたりするのだけど」
そこまで徹底しているなら、なにか絃羽の中にそれ相応の理由があるのだろう。
「ほら、それに……悠真くんは知ってると思うけど、この家って昔から夕飯の時は色んな人が集まるじゃない? それもあって、余計に部屋から出てこなくて」
そういえばそうだったな、と思った。
今日は俺に気遣ってくれたのか、帆夏以外にはいないようだが、以前は夕食時になると毎回宴会騒ぎだった。
近所のおっさんおばさん達や、武史や帆夏、絃羽のご両親、そして、祖父母がいて、俺の両親もそこにはいた。ほぼ毎日来る人もいれば、たまにくる人もいて、様々だ。そういえば、二十歳を越えたら酒を飲もうと色んな人によく言われたっけ。
「それで、悠真くんにお願いがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「ちょっと明日から絃羽の学校の送り迎えだけ付き合ってやってくれないかしら? 悠真くんになら、あの子も心を開くかもしれないし。せっかくのお休みで早起きさせて申し訳ないけど」
「いえ! タダで居候させてもらってるし、それくらいなら全然構わないですよ。他にも何か出来る事があったら言って下さい」
俺の返事に、美紀子さんが「わかったわ」と笑って、御飯に手をつけ始めた。
俺も「いただきます」と手を併せた時、絃羽が風呂から上がって、脱衣所の扉が開いた。白銀の髪にはバスタオルが巻かれており、服装も制服から部屋着になっている。
「あっ……」
お風呂上がりな絃羽と目が合うと、彼女は声を小さく漏らし、顔を少し上気させた。
おもむろに頭に巻いていたバスタオルを取って、再び洗面台の方へとパタパタと駆けていった。それからすぐに、洗面台の方からドライヤーの音が聞こえてくる。
美紀子さんは、そんな絃羽を見てくすりと笑って言った。
「やっぱり、悠真くんに絃羽を任せるのは正解の様ね」
「はい?」
「恥ずかしかったのよ、頭にバスタオル巻いた状態の姿をあなたに見られて。きっと、うっかりと普段のまま出てきてしまったのね。あんな感情を出してる絃羽をみたの、久しぶりだわ」
そう言って、帆夏が作ったポテトサラダに手を伸ばした。
なんだか、そんな風に言われると少し恥ずかしい気持ちになってくる。
それから十分以上経って、俺達の食事も半分くらい終わりにさしかかろうかと言う時、ようやく絃羽が居間にきた。さっきの部屋着より少しお洒落な服に着替えている。
「よっ。すっきりした?」
飛び込みの件については何も触れず、自然に話しかけてみた。
「うん」
絃羽はおずおずと俺の横の席について座った。そして少しくんくんと鼻を鳴らす。
「どうした?」
「悠真さんは、ちょっと生臭いね……」
「誰の所為かわかってて言ってんだよな?」
ピキピキ、と拳が自然にグーとなる。
「ごめんなさいっ」
あまり反省した様子もなく笑って、彼女は両手で防御する仕草をした。こんなやりとりはさっき帰ってくるまでの道のりで何度かした。
そう、これが俺の知っている絃羽の姿だった。五年前と何も変わらない絃羽。美紀子さんはそんな彼女を見て、やはり少し意外そうな表情をしていた。
だが、やはりというべきか、彼女はトレイに自分の分の御飯とおかずを乗せ始めた。
「一緒に食わないの?」
わかってはいたが、俺は敢えて訊いてみた。
「あ、うん。私、普段一人で御飯食べてるから」
「ふーん……俺は絃羽と一緒に食べたいんだけど、嫌か?」
「い、嫌ってわけじゃないけど……」
ちらっと確認する様に絃羽は美紀子さんに視線を送った。
「一緒に食べればいいじゃない。帆夏もいないんだし」
美紀子さんが絃羽を見つめる視線は、まるで自分の娘を見る様な優しい眼差しだった。紀子さんにしてみれば、帆夏も絃羽も、変わらず可愛い娘っこなのだろう。
「えっと……う、うん。わかった。今日は……ここで食べる」
彼女は迷いながらも座布団に座り直し、お箸と小皿を取って一緒に食事を始めた。
後から美紀子さんに聞いたのだが、絃羽と一緒に御飯をたべたのは、彼女がここに住まう様になってから初めてだったという。普段は頑なに断り、一人で食べていたそうだ。
もしかしたら、普段は帆夏がいたから避けていたのかもしれない。ただ、こうして一緒に食事を取っている絃羽は……どこか嬉しそうだった。
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