五年前と変わった事
食後、
食器洗いは俺と
俺が洗った食器を美紀子さんが布巾で拭き、食器立てに並べていく。
「なぁ、美紀子さん」
「ん?」
食器を洗い終えたので、俺は美紀子さんに先程から疑問に思っていた事を口に出した。
「
俺の記憶によれば、絃羽の家は桐谷家のすぐ近くだった筈だ。わざわざこの家に引っ越してくる理由がない。
それにも関わらず、ここに住んでいるなら、それには何か理由があるはずだ。そして、隣の部屋である以上、俺もそれについては知っておきたい。
美紀子さんは食器を拭く手を止めて、少し沈黙した。
「あの子……絃羽の親ね。海外で失踪したの。いわゆる行方不明ね」
「え⁉」
ふと、絃羽の両親が頭に思い浮かんだ。優しそうなお父さんと、絃羽とよく似た東欧系の綺麗な顔立ちをしたお母さんが今でも思い返せる。
美紀子さんによると、仕事で西アジアのどこかに行ったきり連絡が取れなくなったそうだ。
絃羽の両親は学者夫婦だった。正確に言うと父親が学者で母親はその補佐という関係性だったようだが、二人とも博士だった。ここから車で一時間と少しほどにある大学の研究室で授業をしながら研究をしていたらしい。また、学者という仕事柄、よく海外に出張していた。その出張の際に何かトラブルに巻き込まれたのではないか、と考えられている。
西アジアの治安は良くない。うっかりと平和ボケした邦人が観光気分で乗り込めば被害に遭うことも少なくないと聞いた事がある。日本で当たり前のことは世界では当たり前ではないのだ。
絃羽のご両親の生死はもちろん不明。もう三年以上も経っているそうだ。
法律上、失踪してから七年経ち、家庭裁判所に失踪宣告を申し立てれば、法律上死んだ扱いになる。まだ死んだと確定したわけではないが、西アジアという地で行方をくらませて三年も音沙汰がないとなると、おそらく生存の可能性は低いだろう。
「だから、私があの子を預かることにしたの。あの子を引き取る血縁者もいなかったしね」
私も独り身だし、と美紀子さんは冗談っぽく付け加えた。
絃羽がとても大変な状況下にある事はわかった。しかし、それならどうして帆夏達はそんな彼女を支えてやらないのだろうか。家族同然に暮らしてきた間柄なのに。
「まあ……多感な時期だから、色々難しい事もあるんだろうね。私も色々話してみてるけど、難しいみたいで」
美紀子さんが腰を伸ばして言った。俺の疑問を読み取ったのだろう。彼女は俺が訊きたかった事を答えてくれた。
ずっと彼等と一緒にいた彼女だからこそ、彼等の気持ちが解るのかもしれない。五年間も会っていなかった俺には解る筈もないし、口を出すべきではないだろう。
「やっぱり……親になった事がない人間がいきなり人様の面倒を見る、なんて無理があるのかしらね」
美紀子さんは自嘲的な笑みを浮かべて、皿拭きを再開させた。
彼女は旦那さんとの間の子を流産してしまい、以降子宝に恵まれなかった。そして、それから数年後に旦那さんも病死。絃羽を引き取ったのは、そんな経緯があるのかもしれない。
食器を片付けると、美紀子さんは畑に行ってくる、と裏口から外へ出ていってしまった。
途端に家に一人きりになった俺は、やることもないので、自室へと戻ってごろりと畳の上に寝転がった。
外からはミンミン蝉の鳴き声がやかましく聞こえてくるので、窓を閉めて早速クーラーをつけてやった。
──絃羽、どんな感じになってるのかな。
五年前の絃羽から、今の絃羽を想像してみる。
彼女は母方の血が濃く出たらしく、髪は白銀で、浅葱色の瞳をしていた。顔立ちも整っていて、お人形さんみたいだったのをよく覚えている。容姿で言うなら神に愛された少女というべきかもしれない。
そんな目立つ容姿とは裏腹に、性格は控え目で、いつも帆夏や武史の後ろにこっそりと付いている、といった印象だった。消極的で、いつも帆夏や武史が決めた事に従っていた。
だからか、俺はいつも彼女を気にかけて話しかけるようにしていた。話し掛けると、恥ずかしそうに、でも笑顔で応えてくれる。そんな女の子だった。
思えば、あの時から既にあの三人は、絃羽がいなくても成り立り関係だったのかもしれない。それはとても寂しい事だった。
──五年、か。そりゃ色々変わるよな。
俺が彼らと最後に会ったのは五年前、即ち小学校五年生の時だ。多感な小学校高学年、中学生の間に変わってしまう事も多いのに加えて、絃羽は両親が失踪している。彼女達の人格・人間関係に変化があってもおかしくはなかった。
俺が見ていない五年間で、今絃羽はどんな風になっているだろうか?
大人になった絃羽の空想に浸っていると、早朝からの電車移動の疲れか、一気に眠気が襲ってきた。
俺はそのまま睡魔に意識を刈り取られる様に、眠りに落ちたのだった。
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