第4話 時間

いつもの帰り道を僕達はさらに歩いていくと

シャンは口を開いた。


「ノボル、テストが終わった後、いよいよ帰国ね」


「うん、会社に戻らないとならないからね」


「そうね。あなたは社会人だものね」


「うん」


「私もこのコースが終わり次第、通常コースに戻って、

今年の終わりには自国の大学に戻る予定よ」


「そうか。僕が帰国してその数カ月後には君も帰国になるのか」


「そう。何だか寂しいね」


「そうだな。この何カ月でも、

もう何年もここにいるくらい濃い日常を過ごしていると思う。

会社員をして、また学生に戻るというのもとても新鮮だ」


「ノボルは、日本に彼女はいるの?」


僕はシャンが急にこのような質問をしてきて驚いた。


「急にどうしたの?」


「嫌、別に……。でもそう言えばいつも仕事や行事、

勉強の話ばかりで、恋愛の話とかしたこと無かったなって思って……」


確かに、と僕も思った。


今後の目標とか、勉強、仕事とかは話していたけれど

恋などこういった類の会話はした事が無かった。


「僕は、結婚しているよ」


「え?」


「嘘!嘘! していないよ! 彼女もいないよ!」


「ねぇ、驚かせないでよ。心臓が止まるかと思った」


「ごめん、ごめん。そういう君は?」


「私は、自国に彼がいるわ。もう三年になるの」


「え? そうなの?」


「嘘よ」


「おい」


「おかえしよ」


「あら、どうも」


僕はこの一瞬焦った気持ちに気づいていた。

そして、ほっとした気持ちにも。


この留学生活は短い。


だから、シャンに出会って、音楽をして、学校行事や勉強、

ランチや夕食を共にしても

絶対にそういった深入りは駄目と自分に言い聞かせてきた。


そう。


『僕は帰国しなければならないんだから』


帰国すればまたいつも満員電車に揺られ、

終電まで働く毎日、

何気ない日常、

現実が戻ってくる。


この夢の時間は半年だけ。


そして、それも残り一カ月。

僕は会社の期待に応えるのみ。


「ねぇ、でも私に彼がいたらどう思った?」


「どうって?」


「うん。びっくりとか何かそんな感情はないの?」


僕は戸惑った。


本心を言うべきかウソを言うべきか。

頭の中で思考を巡らせた。


でも、ここで嘘をついてしまったら

一生後悔すると思って僕は素直な気持ちを口にした。


「びっくりしたと思うけど、でも君はとても素敵な人だから、

いてもおかしくないし……」


「あら! 素敵な人だなんて……照れちゃうわ!」


「何だよ。もう!」


「私、さっきノボルに奥さんがいるって聞いて、とてもびっくりしたわ。

だって奥さんがいたら私……嫌、なんでもない」


僕はいつもと少し違うシャンに戸惑いながら


「何だよ……気になるじゃんか」


「だって、もうそうなったら私、どうすることも出来ないじゃない。努力も」


「え?」


「ねぇ、若い子にその後まで言わせるわけ?」


「ご、ごめん。でも……」


「もう! 日本の男性はみんなそうなの?」


「嫌、違う。うん? きっと違うと思う」


ここでそうだなんていったら日本人の全男性から

『俺達はそんなに鈍感ではない!』と

ひんしゅくを買うかも知れないと思った。


「もう!」


「ごめん」


しばらく沈黙が続いた後、

僕たちが同時に同じ言葉を言った


「時間」


そうなのだ。


僕たちには一カ月しか時間が無い。


ここで燃えるような恋をして二人とも傷ついてしまうのではないか。

愛さないことが将来の幸せに繋がるのではないか。


「そうよね。残りの時間……。

でもあの日、キャンプの日、二人で夜空を見ながら話したこと

思い出してみて欲しいの」


「うん」


「ノボル覚えている?」


「覚えているよ」


「私も」


僕はあの時、確かにシャンに言った。


——別の時期に生まれて、別の国で生まれて、別の国で出会って、

同じ時に同じ勉強をして、同じ食事をして、同じことを考えて、同じ音楽を奏でて。

それは本当に奇跡だと。

この地球で、いや、この宇宙でこんな奇跡の出会い、

本当に本当に宝物だ、


それと、同じ誕生日だなんて——


それから、僕たちはその後の言葉を紡ぐことが出来ずにいたが、

僕は必死に言葉を絞り出して言った。


「残りの日々、一日、一日を君と輝かせたいと思っているよ」


「私もよ。ノボル。残り僅かだけれど、一日、一日を大切に過ごしましょう。

それと、あの時、背中を押してくれてありがとう。

私が自国の大学で前に進むかどうかとても悩んでいた時、

あなたが背中を押してくれたから前に進もうと思えた」


「うん、君なら絶対に、絶対に大丈夫だよ」



それから、僕たちは時間があれば色々な所にいった。

バスで旅行をしたり、映画館に行ったり。


そうだ。シャンと芸術に触れると良く話していたことがあった。


それは、


——何故、人は感動するのか——


映画を観たり、小説を読んだり、音楽を聴いたり、絵を見たり、花火を見たりして

人は何故感動し涙を流すのか。


僕達は芸術が好きだったから何度も何度も話し合った。


僕達が考えた結論は愛があるからだという結論だった。


愛は恋愛の愛だけを指しているしている訳ではなく、

もう少し広い意味での愛だ。


例えば、子どもへの愛や仲間などへの愛だ。


人は生まれてから色々な人に守られて、支えられて生きていく。

他の動物と比較しても未熟な状態で人間は生まれてくる。


子供を守るには、子供を育てるには、あれだけ大変なことは

やはり強い愛が無ければ出来ない。


そして、子供に関わらず、

昔から人間がこの過酷な自然で生き抜く為には

一人ではなく仲間と共に協力していきていく必要があった。


そこには愛が必要だった。


絆を深め互いに助け合ってきたからこそ、

我々の先祖は生き延びることが出来た。


他者を思い、共感する力があるからこそ成しえた。

誰か他人のことでも自分のことのように考えることが出来るから。


だから、人は今もなお感動することが出来る。


感動出来る感性があるから、人と人は強く繋がることが出来る。


生きるとは感動することだと思う。


きっと、これからもずっと。


僕達はたくさんの作品に触れてこのような話をして度々盛り上がった。

とても、充実した日々だった。


それと、僕とシャンは一度だけ大喧嘩をしたことがあった。


それはバスで隣の国に旅行に行く時だった。


バスの出発時刻ギリギリになってもシャンは訪れず、

危うくバスを逃しそうになった。


シャンはそれまでも遅刻が多くて

僕はその度にイライラしていたけれど、

この時はさすがに怒ってしまって、移動中も口を聞かなかった。


でも、このままではいけないと思って、

シャンに聞いてみたんだ。


「君は何故いつも遅刻するの? 何故ギリギリなの?

 人の時間を何だと思ってるの?」


「ノボル、ごめんね。日本人のあなたを驚かせてしまっているのは分かった。

でも、これは私の国の文化でね……とてもゆったりしているのよ……

でも、あなたの国の文化を尊重する!

遅刻は良くないもの……。

何度も何度も本当にごめんなさい」


「いや、こちらこそ、ごめん。

留学しているのにそういった事を僕も理解出来ていなくて……

つい、日本だけの視点で考えてしまって……」


恐らく多くの日本人は僕と同じ感覚だと思う。


遅刻したら大抵怒ると思う。

でも、地球は広くて、全部が日本のようにはいかない。


文化の違いがあるのだから。

国よって正解が異なることもある。


でもシャンは、日本人である僕を理解しようとしてくれた、

僕はそれが嬉しかったし、

僕ももっと、もっとシャンを理解しようと思った。


互いに歩み寄り、互いの価値観を尊重し、

互いを理解し絆を深めることがとても、とても大切なんだ。


色々な事があり、色々な話をしたけれど、

僕たちは心の中にある『お互いの気持ち』はあえて言葉では伝えていなかった。


言葉にしてしまうのがどこか怖かった。


言葉にしてから、手に入れるその関係を失うのが怖かった。


僕達はただ“大切な人”と大切な時間を過ごすことに必死だった。

残り僅かだけど、後悔が無いようにと。


しかし、

まだ一カ月あると思うようにしていたけれど、

一日、一日別れが近づいてくるのが分かると言葉に表せない、

やるせない感情を抱いた。


——シャンがいない日常——


受け入れがたい事実を受け止めきれなくて自然と涙した夜もあった。


泣き叫んでも現実は変わらない。

変える事が出来ない。


こうならない為に気持ちを抑え込んできた部分もあったけれど、

彼女を前にすると僕はどうすることも出来なかった。

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