第7話


 課題を提出し、修辞学、そして算術の講義を終えると、レイモンは即座に教室から抜け出した。



 (あー、結局受けちったな……まあ、午後に抜ければいいか)



 庭園にいることにして、午後の授業を抜けることにしよう。

 そう考えながらレイモンは校舎を出て、近道である校舎と校舎の間を歩いていた。



 (なんだ? 誰かいるな……)



 奥に誰かが立っている。こっちへ向かって歩いてくるようだ。

 背の高い男だ。深緑色の髪をしている。見たことがある。彼は殿下の側によくいる男だ。



 (今日は王子の側にいないのか? 確かあの王子の護衛って聞いたんだけどな……)



 彼はレイモンの前までくると、そこで立ち止まった。



「レイモン・アスディアと見受ける。殿下がお呼びだ。私と一緒に来てもらう」

「なっ……」


 (「殿下がお呼び」? なんだって一体……。昨日のことか? いや、そもそも第二王子か? 第一王子か?) 



 レイモンは驚いて目を見開いた。だが一度ゆっくり目を閉じて、もう一度開くと、今の状況を頭の中で考え始めえた。

 「殿下」というのであれば呼び出した王子は、第二王子だろう。レイモン・アスディアと、どこにでもいる、しかも地方出身の商人の名前をわざわざ口に出してくる以上、間違いなく人違いもしていないだろう。

 面倒そうな匂いがする。

 まったくもって、行きたくない。なんとか行かなくて済むようにならないだろうか。



「あ、あの……お、俺なんかが、な、なにかのま、間違いじゃないですかね……」

「間違いではない」

「で、ですが……あの、お、俺、黒髪だし、目立った特徴、とかないので……似ている人とかいっぱいいますし……そ、その……」



 誰かと間違っていませんか?

 暗にそう問いかける。だが、深緑色の男ははっきりと首を横に振った。



「もう一度言おう。殿下がお望みだ。来てもらう」



 そう言って、まっすぐ歩き出してしまった。こうなればついていく他ない。ため息をはきたくなるのをぐっとこらえ、後を追いかけた。

 校舎からしばらく離れて第二庭園にたどり着いた。休憩時間ということもあり、庭園には生徒がちらほらと集まっていた。ベンチに座っていたり、花を見ていたり、散策さんさくをしていたり。皆、思い思いに楽しんでいるようだ。



 (こっちは華やかな花が多いな……)



 上流階級や特別階級を想定そうていしてつくられた庭園は、アネモネやラナンキュラスなど比較的はなやかな花ばかりだ。

 美しい花を見ていると、なにやら多数の視線を感じた。花から視線を上げて、周りを見れば、何人もの生徒がこっちを見ながらなにかを言い合っているようだった。



 (なんだ……?)



 意識して、耳をかたむける。



「ランス様だ……」

「殿下とともに戻ってきたそうで」

「庭園にいらっしゃるとは珍しい」

「隣国でもランス様の剣技けんぎは認められたそうだ」

「ランス様は本当に騎士の鏡だな」



 なるほど。

 ランス、という名の彼はただの護衛ではなく、有名な人物らしい。

 第二王子以外はあまり気を配っていなかったが、もう少し注意しておけばよかったかもしれない。



「それにしても、一緒にいるあの、地味な男はなんだ?」



 考えてる途中、誰かが言った声にハッとする。

 うっかりしていた。

 ゆっくり顔を下げ、目立たないようにランスから距離を少しずつとる。



 (目立つなんて冗談じゃねぇ……)



 レイモンがそっと距離をとったのがわかったようで、ランスはちらりとレイモンを見た。だが、なにも言わないままだった。

 そのまま奥の方まで歩いていくと、次第に学園の生徒は減っていき、木々に囲まれた温室おんしつが見えてきた。どうやらこの中にいるらしい。ランスが開けてくれた扉から中に入る。ガラス張りの温室の中は、中だというのに木々が植えられ、美しい花が咲いていた。咲いている花の中には夏の花もいくつか咲いていた。



 (すげぇな……)


「こちらです」



 ぼうっと見ていると、いつの間にか前にきていたランスが案内を続け始めた。彼の後を追って、白いタイルの上を歩く。



「殿下、お連れいたしました」

「そうか」



 艶のある声が響く。

 腰かけていた椅子から立ち上がり、甘やかな香りとともにジークハルトが近づいてきた。前にいたランスはすでに後ろに下がっており、彼とレイモンをさえぎるものはなにもなかった。



「昨日ぶりだな、レイモン・アスディア」


 (やっぱりコイツか……面倒なことに呼び出しやがって……)



「……は、はい。レ、レイモン・アスディアにございます。で、殿下にご挨拶申し上げます……あ、あの。お、お呼びとあり、ま、まいりました……」



 挨拶をして、礼をとる。顔を下に向けながらも顔を盗みみれば、彼はこちらを見定みさだめるかのように見ていた。



「紅茶を用意した」

「紅茶、ですか……」


 (は? なんだって茶を……)



 テーブルの方を見れば、ティーセットと菓子が置かれたいた。座るよう、指示されたのでおとなしく白い椅子に腰かける。



「昨日の礼だ。お前がいなければ見知らぬ男が部屋に入ってきていたかもしれないからな」

「い、いえ。そんな……お、お気になさらず……」



 うつむいていた顔を上げ、両手を小さく振って気にしないように伝える。



 (魔王からの命令だしな)



 手持ち無沙汰だったので、カップに茶を注ごうとティーポットに手を伸ばした。だがジークハルトがそれを止めた。



「私がしよう」



 彼はティーポットからカップに紅茶をそそぐと、それをレイモンの方に置いた。そしてもう片方のカップを自分の方へと置いた。

 そそがれた液体は、美しい赤橙あかだいだい色をしている。カップからジークハルトへと視線を移せば、彼うっすら微笑みながらこっちをじっと見つめていた。

 飲め、ということだろう。



「お、俺なんかに、その、あ、ありがとうございます」



 カップを持ちながら、ふと疑問に思った。

 なぜ彼の方のカップには、既に紅茶が注がれているのだろうか。

 先に来ていたのは彼だが、置かれたカップは使われた痕跡こんせきもなく、菓子も手をつけていないようだった。なら、同じタイミングで紅茶を注げばよかったはずだが。

 考えすぎだろうか。



 (……ま、人間の使う薬なんて、俺たち魔族にはほとんど効かねぇけどな……)


「い、いただきます……」



 赤橙あかだいだい色の液体をくだす。少し、苦味があるものの、そこまで不審ふしんな点はない。やはり考えすぎだったのだろう。



「どうだ?」

「あ、あの、お、美味しいです……」

「そうか」



 レイモンが紅茶を飲み干すと、ジークハルトが再びティーポットを手にした。それを見てカップを彼の方に置けば、案の定二杯目を注いできた。それを受け取って、また口に持っていく。



「ところで、レイモン・アスディア。お前に聞きたいことがあるのだが」

 


 (やっぱりただの茶会ってことはねぇか……)

 


 カップを戻してジークハルトと向き直る。


 

「お前の生家はどこにあるんだ?」

「ち、地方です。み、南の方の、ラズエルという所です……」

「ラズエルか。お前には教養があるようだからてっきり都市部だと思ったが」


 (教養? 「普通」にしたはずなんだが。そんなに違うのか? ……まあ商家ってことでつなげるか)


「あ、えっと、……お、俺の家が商家で……お、お貴族さまにの家に、伺うこともあって……それで、失礼がない、ようにと……」

「そうか。そのときに身につけたのか?」

「は、はい……」

「そんなに貴族と取り引きが多かったのか?」

「あ、え、と……ラ、ラズエルはエメラルド、が採れます、ので……それで、お貴族さまたちが……」

「なるほどな。では宝石を中心に取り扱っていたのか?」

「ほ、宝石も、ですが……に、日用品とかを主にして、いました……」 

「そうか」



 ジークハルトはゆっくり紅茶に口つけた。手にしているカップを置けば、そのタイミングで後ろに控えていたランスがジークハルトの側に近づき、なにやら耳打ちした。



「急用ができた。残念だが今日はこれで閉じることにしよう」

「は、はい。それでは、し、失礼いたします……ア、アスランに繁栄はんえいがありますように……」



 即座に立ち上がって、礼をとる。ジークハルトが頷いたのを確認して、レイモンは温室を退出した。

 王子に誘われてしまったからには、このまま授業に戻るべきだろう。どこで誰が見ているかわからない。結局午後も授業を受けなくてはいけないことを少しだけ残念に思いながら、温室おんしつを一度振り返った。



 (俺の情報の確認、てとこだろうな……)



 すんなり退出できたということは、ひとまず彼らにとって、気にかかるようなことは言わずに済んだようだ。

 レイモンはにやりと笑って、講義室へと向かった。



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