第6話


「なるほどね。レイモンったら一匹逃しちゃった上に、王子さまに名前まで教えちゃったのね」

「だーかーらー! 俺はちゃんと捕まえたんだって! けど、あの王子サマがこっちに来るから!」



 部屋に戻ると、連絡のための魔獣である『カラス』に文を持たせた後、レイモンは特別警備部隊にも連絡を入れた。魔王に送った内容と同じように、取り逃がした金髪のことを報告し、ついでに見たら捕まえるよう指示をした。

 見られているかもしれないと考え、念の為に一度寮に戻ってから再び護衛に向かった。朝日が登ってくるまでの残りの時間は、他に魔族も襲って来ず、ゆったりとした時間だった。ようやく空が明るくなり始めると、ようやく帰路についた。


 傷んだフローリングに、硬いベッド。古いテーブル、椅子、洋服ダンス。そしてひびの入ったランプ。お金を上乗うわのせして払うことで、入れる個人部屋の寮。顔を隠すようにおおっているメガネを外して、制服を脱ぐ。そして仮眠をとろうと思っていたとき、突如としてやってきたのが警備部隊のシェハルだった。

 レイモンが固まっていると、彼はフードを下ろして金色の美しい髪を晒し、短く挨拶をして一つしかない椅子に腰けた。そしてレイモンから直接、事情を聞き始めたのだった。



「でも最終的には逃しちゃったんでしょ? そもそも侵入も許しちゃったみたいだし」

「……チッ」



 事情がどうであれ、結果的に逃したことには変わりない。やり場のない怒りに対してレイモンは盛大に舌打ちした。そして椅子と向かい側のベッドにドサリと腰をかけると、今度は大きくため息をはいた。それを見て、シェハルはなぐさめるように声をかけた。



「まあ確かにここ、一人でやってるわけだしね……」



 どの街でも警備には一人以上で当たる。護衛対象は第二王子一人だが、彼をねらった襲撃者の多さは普通ではない。今回レイモンは逃してしまったが、一人で護衛するには十分すぎるほどだった。



「つうかいい加減、休みてぇ……」


 レイモンが疲れ切った声で言った。それに対して、シェハルは意外そうにレイモンを見た。

 レイモンがここにきて2ヶ月がたった。確かに一人ではあるものの、街での警護も休みがほとんどないような状況だった。だが、その間彼は一度も「休みたい」と言ったことはなかった。



「どうして? ここにくる前もほとんど休みなしみたいなものだったじゃない」

「こっちだと合間にしか休めねえんだよ……」



 シェハルはますます疑問を深めた。



「護衛が終わったら休めるでしょ? 朝も昼も下級魔族だとかなり魔力が減るから手を出してこないし、第一だいいち人目があるから襲撃する者なんていないでしょ」

「あ? 平日は授業があんだよ」

「は? アナタ、まさか授業受けてるの?」

「当たり前だろが。ここは学園だぞ」



 シェハルはぽかんと口を開けてレイモンを見た。

 確かに学園の生徒に在籍している以上、授業には参加しないといけないだろう。だが、毎日参加する必要もないだろう。学んだところで、魔界に行けば無価値なものになるはずだ。それにもかかわらず、授業を受けているとは。



「……レイモンて、ほんと真面目よね。腐るほどに……」

「腐ってねぇ」

「はいはい。でもそれだといつ休んでるわけ? 学園の授業って午後まであるんでしょ?」

「だから休みがねぇんだって。合間にしか休めねぇんだっつーの。つうかこれから休むとこだったんだよ!」



 そこまで聞くと、本当にどうしてレイモンが襲撃者の侵入を許してしまったのかわかった。2ヶ月間、休みなしで護衛をしていたら疲れが溜まって隙もできてしまうものである。



「……なるほどね。逃しちゃった理由がよくわかったわ。貴重な休憩時間に来ちゃったのは謝るけど。明日からは全部じゃなくてもいいから授業に行かないで、休むべきね」



 額に手を当てて、たしなめるように言った。困った子どもを見るような目をされて、レイモンは居心地悪くなって視線をらした。



「にしても、力負けしたとかじゃなくてよかったわ」


 

 そういうと、シェハルは肩を上下させた。なんとなく、彼が言いたいことがわかってレイモンは黙ったままでいた。



「だって、龍神りゅうしん族のアナタが力負けしたなら、アタシたちの手には負えない魔族だもの」

「……お前だって十分強いだろうがよ」



 シェハルはそれにはかすかに微笑んだだけだった。



「に、しても。殿下に名前を聞かれるって、なにかしたの?」

「……いや、特別なことはなんもしてねえよ」

「あら、そうなの? でもよかったじゃない。容姿端麗で眉目秀麗。身分を気にせず、誰にでも分け隔てなく接する。留学先のお話が2ヶ月でここまで届いているみたいで、街でもすごく人気があるのよ」



 それを聞いて、レイモンは顔を歪めた。

 容姿端麗たんれい眉目びもく秀麗。身分を気にせず、誰にでも分けへだてなく接する。

 実際に殿下は噂と違わない。学校でもその噂の通りの人物で、まさに理想的な王子さまだ。レイモンも心からそれに同意しただろう。数時間前までであったら。

 琥珀色をした、冷たい目。

 あの温度を見るまで、ゆるされたと思った。だけど、ゆるしたフリをされただけだ。

 彼は確かに噂の通りの人物だが、それだけではないはずだ。

 


 (今度からはますます気が抜けねえな……)


「そろそろアタシは街の方に戻るわ」

「ん? そうか」



 固い表情をして黙りこんだレイモンを見て、シェハルは街の方へ戻ることにした。レイモンが襲撃者を取り逃がしたと聞いたときは彼以上に強い魔族の可能性が出て特別警備部隊の中で動揺どうようが生じた。だが取り逃がした理由が理由なので、伝えれば特別警備部隊の隊員たちも落ち着くことだろう。



「金髪に黒目のやつ。見つけたらとっ捕まえろよ」

「もちろん街の方でも探すわ。でもこっちに来る可能性の方が高いんじゃないかしら。それも一度失敗したからには前より慎重になって、ね」

「……確かにな」

「いい? 今度はちゃんと捕まえられるよう、授業は適当に休んでちゃんと体を休めるのよ」

「……わかったよ」



 レイモンがそう返事をすると、シェハルは満足げに微笑んだ。



「あ、そうだわ。相当疲れているみたいだから、コレあげるわ」



 そう言うと、彼は小瓶を投げてよこした。受け取ってみれば、薄っすら桃色の液体が入っている。



「あ? なんだこれ」

「こっちでの精力剤」

「なっ……!」



 レイモンは動揺して、思わず小瓶を落としそうになった。それを見てシェハルがクスクスと笑った。



「せ、精力剤って……なんでそんなもん……」

「あら、元気になれるじゃない?」

「使ってるのか……」


 胡乱うろんな目で見ると、シェハルは楽しげに笑いながらも首を左右に振った。



「アタシじゃなくって、向こうにに飲ませるのよ。じゃないとアタシたちは楽しめないもの」

「お前なあ……まあ、ほどほどにしておけよな……」

「もちろんわかってるわよ。それじゃあね」



 転移で消えていくシェハルを見送って時刻を確認すると、いつもなら部屋を出て学校へ向かう時間になっていた。だが、レイモンは部屋のカーテンをひき、ベッドに近づいた。



 (シェハルに言われた通り、今日からは少し授業を欠席して体を休めることにするか)



 そう考えて、ベッドに横になった。今日の午前中の講義は修辞学と算術だが、午前中は欠席することにして午後から講義に参加しよう。レイモンはそう予定をたて、目を瞑った。



 (まあ修辞学と算術なら大丈夫だろう……)



 修辞学と、算術なら大丈夫。

 修辞学と、算術なら……。

 なにか引っかかる。

 なにかあった気がする。

 頭の中で二つが回り出して、前回の授業が流れてくる。



「しまった! 修辞学の課題提出が今日だった!」



 急いでベッドから離れ、制服を身につける。そしてテーブルの上に置いた課題を掴む。だがそのとき、ちょうどさっき置いた小瓶がガラガラと転がった。それが落ちて砕ける前に掴むと、ぱっとポケットに入れて部屋を出た。



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