第5話


 レイモンは顔をそむけた。上を向かせていた指に力は込められておらず、動かすことができた。その際、意図せずもう一度首もとを指がでた。



「なぜ顔をそむける?」


 (ふざけんな。いつまでも掴んでんじゃねぇ)



 そうは思うものの、ここでの最適な答えはソレではない。



「……あ、あの……し、心臓が持ちませんので……ど、どうかお許しください……」

「そうか」



 ジークハルトは琥珀色の瞳を楽しげにらしながら、そっと手を離した。だけど奥は冷たいままだ。

 押さえつけられていた壁から距離をとって、改めてジークハルトの前に向き直る。



「……で、殿下。お、俺なんかに、お声をかけていただいて。お、御礼の申し上げようもございません……」



 ここからていよく去るにはどうしたらいいだろうか。ひとまずはここから退出させてもらうことが一番だが、できれば寮まで入ったことをゆるしてもらい、かつ今後の接点も潰しておきたい。



「あ、あの……本当に、勝手に入ってしまって、申し訳、ありませんでした……」



 すまなそうな声を出して、頭を下げる。顔を下げているため、視線の先には赤い絨毯カーペットしか映らない。だが、ジークハルトがこちらをじっと見つめているような視線を感じた。



「よい。顔を上げろ。今夜のことはゆるそう」



 言われて顔を上げる。レイモンは心の中でひっそり笑った。



「あ、ありがとうございます……! か、寛大かんだいなご配慮を……!」



 ゆるしの言葉を無事にもらえることができた。ついで、今後の接点も潰せれば、上出来である。



「……お、俺、今夜のことは忘れません……お、御礼をも、申し上げます……」



 もう一度頭を下げる。



「あ、あの……俺、失礼い、」

「レイモン・アスディア」


 (ちっ……)



 「失礼いたします」といって、去ろうとしたとき、高圧的な制止の声がかかった。かけたのはもちろん、目の前に立つジークハルトだ。



「……はい」



 呼びかけをされた以上、しぶしぶ返事を出す。



「レイモン・アスディア。お前に興味が出た」

「それ、どういう……」



 思わず本音がれた。眉を寄せて考えを巡らせ始めたレイモンを、ジークハルトは楽しげな笑みを浮かべた。



「そのままだ。レイモン・アスディア。お前に興味が出た。それと、もう戻っていいぞ」



 非礼を赦してもらえ、退出の許可ももらうことができた。だけれど、今後の接点は潰すことができなかった。それどころか、興味を持たれてしまった。



「はい……失礼いたします」



 礼をとって階段の方へ向かいながら、レイモンは心底やっかいなことになったと思った。

 早急に報告をして、対処を考えなくてはいけない。

 一階まで降りて、先ほどジークハルトに伝えた裏口を通って寮を出た。



「とっとと魔界に帰りてえ……」



 レイモンはぽつりと言葉をこぼして、遠回りをして寮へと向かった。

 






 去っていくレイモンを窓から見下ろして、ジークハルトは冷めた目をしたまま口角を上げた。



「ランス」

「はい」



 ジークハルトが呼びかけると、それに応じて一人の男が出てきた。平均の背丈せたけより高いジークハルトと同じ程度の身長で、深緑色の髪を持った男だ。



「そっちはどうなった?」

「それが大変申し訳ありません。取り逃がしました」



 ランスがそう答えると、ジークハルトは僅かに目を見開いて驚いた表情をした。だがすぐに戻る。



「お前がか? 珍しいな」

「申し訳ありません……」

刺客しかくか夜這いか。どちらかだとは思っていたが、お前が捕まえられないとなると、刺客しかくだろうな」



 手を当てて愉快ゆかいそうに呟いた。



「はい。それから剣の帯刀をお許しください」



 そういうと、途端にひやりとした空気をまとい始めた。



「魔の者か?」

「わかりません。ですが、その可能性もあるかもしれません」

「そうか。だが魔剣まけんを持つことは、それ相応の理由がないと難しいだろう」

「ですが殿下の安全には変えられません」

「そうは言っても、条約があるからな。確証が持てるまでしばらくは守りを固めるより他ないだろう」

「すぐに人員を増やさせます」



 そのまま礼をとって退出しようとする真面目な騎士を、ジークハルトが止めた。



「レイモン・アスディアについて調べろ」

「……先ほどの者ですね。既に警戒対象としました」

「警戒対象か」



 くく、とジークハルトは笑った。



「ランス、明日の昼に連れてこい」

「レイモン・アスディアを、ですか?」



 小柄な見かけに油断したとはいえ、騎士の家系に生まれ、鍛錬たんれんをしてきたランスから逃げ去った男。そして、その男を捕まえていた人物。

 詳細はまだわかっていないが、レイモン・アスディアという男も危険人物には変わりない。そんな男を呼ぶのか。

 そう思って、ランスは眉をよせて咎めるような目でジークハルトを見た。



「ああ。アレは面白そうだ」

「面白い、ですか……」

「お前が逃した男を捉えていたのもそうだが、言葉遣いが妙だ」

「言葉遣い、ですか?」

「一見、必死に丁寧語を使っているようだったが、貴人きじんに向けて使う言葉をいくつか使っていた。ただの平民ならあそこまで的確に使えないだろう」

「貴人に使う言葉を……」



 言葉を反芻はんすうするジークハルトの眉は、ますますシワが深くなった。



「それからな、私を慕っていると言い、態度は明らかに好意を持つ者と同じだった。だが、脈拍は少しも乱れていなかった」

「でしたら明日連れてくるのは、ますます危険なのでは。ここでは護衛も限られますし」



 難色を示した騎士に、ジークハルトはからりと笑った。



「確かにな。だが、頭が回るようで面白い。探るついでに退屈しのぎとしてすぶってやろうと思ってな」



 ランスは聞き終えると、明日のことを考えてひっそりため息をはいた。ジークハルトが面白がることは、大抵ろくなことにならない。そして部屋から退出すると、呼び出す手筈てはずを考えながら廊下を歩き出した。



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