第4話

 

 ジークハルトは掴んだ手を引き寄せ、レイモンを体ごと振り向かせた。思わず顔を上げれば、こちらを探るように見つめる目とぶつかった。



「お前は昼間の……」



 少し驚いたように眉をあげるも、即座に警戒するような表情をした。



「なぜここにいる」



 昼間に二回生のもの達に向けたのと、いな、それ以上に鋭く高圧的な声でいった。部屋にいるものだと思い、まったく気を配らなかったことを歯嚙はがみしながらすばやく言い訳を考える。



「……お、俺、あ、あの……さっき、あ怪しい人が、寮に入って行くのが見えて……そ、それで、その……」



 そう言って、さっきの襲撃者が走り出した方を見るも、すでに消えていた。恐らくすでに転移して逃げ去ってしまっただろう。逃してしまったことをいますぐ報告したいところだが、まずはここから抜け出すより他ないだろう。



「それで?」

「そ、それで……あの、あ後を、追いかけて……」

「見張りの騎士がいただろう」

「み、見張りの騎士さまたちは……その、さっきの男が見ていない隙に、裏口から入ってて……そ、それを追いかけて……き、騎士さまたちは、気づいてない、みたいで。その、思わず騎士さまたちには、告げずに……」



 流石に転移してきたとは言えないので、それっぽく言った。

 レイモンは、何度も夜に護衛をしている。魔族にとっては活性化する時間帯であっても、人間にはそうでもない。護衛をしながらも欠伸あくびを噛み殺していたり、眠たげにしている護衛を何人も見た。もちろん、今日もいた。

 そして、夜になると裏口には人があまり立たないことも知っていた。



「そうか。だがお前は、なぜここにいた? 見たところ、この寮生ではないようだが」

「そ、それは……」



 当然といえば、当然の疑問である。バッチを持たないレイモンは平民である。この寮へと易々やすやすと近ける存在ではない。

 どう言い訳すべきか。



(友人がいて、だと実際に交友関係を確認されたら困るな。そもそも名前を覚えてるヤツもいない。迷ってしまった、ももう2ヶ月経過しているから変だしな……)



 ならば今日の接点を理由とするか。



「……き、今日のお、お礼が言いたくて……お俺みたいなのが、近づくのはおかしいと思ったのですが。……で、でも、途中でさっきの男がいて、それで気になってここまで……」



 ジークハルトはなにも言わない。黙ってこちらを見たまま、なにやら考えているようだ。



「そうか。だがなぜそこまでした?」



 レイモンは内心で舌打ちをした。



(やっぱお礼をしたかった、だけじゃ逃してくんねえか……)



 なぜここまでしたか。いくら怪しい人物がいたとしても、許可なく中まで侵入するのはひどく盲目的な行為である。ここまで愚かな行為をするにいたった動機。返答次第では、当然さらに警戒けいかいされてしまうだろう。

 王子殿下だから、では権威に媚を売るようにみえるだろう。

 実力主義の殿下に認めてもらうため、ではさっきまでの話とは不自然な形になってしまう。

 あくまでジークハルトを想っての行動。そのためにここまで盲目的に動いた理由。ぴったりな理由。

 考えて、ああ、と思った。



「……あ、あの俺、殿下をお慕い、しているんです……だから、だから……」



 震えるように言って、あえて下を向いて、照れたフリをする。ここで頬のひとつでも染められればいいのだけれど、生憎あいにくレイモンにはそこまで器用なことはできない。

 お互いに黙ったまま、沈黙が流れた。

 一瞬だったか、一分だったか。間を置いて、ジークハルトが口を開いた。



「そうか。多少難はあったものの、それが私を想っての行動だというのはわかった」

「で、殿下……」



 さっと顔をまたあげて、嬉しそうに、感動したように。そんな風に言った。



(通ったか?)



 ジークハルトはゆっくり掴んでいた手を離した。走り出そうとしたところを掴まれた手は、かすかに赤くなっていた。



「痛むか?」

「い、いえ……」



 それを見られたようで、ジークハルトがそう聞いてきた。だがレイモンの肌が白く、多少大げさに見えるだけで痛くはなかった。

 先ほどまであった威圧は静かになっていた。手を離してくれたところを見ても、ひとまずは信じてもらえたようだ。



「念のために明日からは護衛を増やそう。そして裏口にも配置する」



 それに相槌を打ちながらも、それだけだと足りないだろうなと思う。低級の魔族に対して、数は有効だが、今日みたいに転移ができるものだったらそれは無駄になる。そもそも、ここにいるより、特別階級の寮に行った方が安全なんじゃないかと思う。向こうには騎士見習いや、魔術師見習いがいるからだ。

 だが、立場や身分、そして慣習というものがそれを許さないのだろう。ここも面倒な場所だ。



「それで、お前、名はなんという?」

「……え」


 (まずいな)



 名前を言って調べられるのは厄介だ。一応地方のそこそこの商家の息子になっているが、リスクはあまり増やしたくない。だから名前を覚えられる、というのは面倒だ。



「…………その、あの、すみません。俺が勝手にしたことです。だから家はどうか……」

「なにもしない。その勇敢な心に敬意を、と思ってな」


(敬意?)



 そんなものは別にいらない。 



「……その、お言葉だけで、十分です……」

「なんだ? 名は名乗れないと?」



 途端、ひんやり空気が重くなった。じわじわと冷気が広がるようにして、空気が冷たくなっていく。

 これは名乗るしかない。内心でまた舌打ちをする。

 諦めてレイモンは腹を括ることにした。後で王子殿下に名前が知られてしまったと報告しないといけない。



「……い、いえ、まさか。レイモン・アスディアと申します」

「レイモン・アスディア、か」



 また冷気はじわじわと収まり、「はい」と答えようとした。

 だが、突然また手を掴まれた。ぐっと壁に押し付けられ、被れるようにして体重をかけてくる。見上げれば、ジークハルトが余裕たっぷりに見下ろしてきた。



「先ほどはこんな風に捉えていたな?」

「は……」



 先ほど、とはあの襲撃者を捉えていたところだろう。だけど一体なぜ。終わったのではないのか。

 頭が回らず呆けたまま見つめた。



「少々驚いたぞ。昼間に見たときとは印象がだいぶ違っていた」



 硬い指で、ぐっと顔を持ちあげられる。俯いていた顔を、強制的に上げされる。あごに触れていない残りの指が、さらりと首もとをかすめた。



「お前は存外やわらかな肌をしているな」



 甘やかな声が響いた。いままでとは打って変わって、優しげで、甘い声。

 手が頬を優しく撫でた。触れられた場所が、ぶわりと熱をもったように熱くなる。



「っなにを……」



 琥珀色の瞳とぶつかる。その瞳の奥にある色をみて、ハッとした。



(……疑われている)



 瞳は温かな色をしているはずが、その実どこまでもひやりとした冷気をもっている。優しい言葉は形だけで、内実ないじつはどこまでも疑っているのだ、この男は。



(当たり前か……)



 レイモン・アスディアという男を信用しないのであれば、それはそれでいい。もとより、ここでの存在自体が虚構きょこうなのだから。正体さえバレなければ、それでいい。



(絶対にバレないよう、嘘をつき通してやる)



 どこまでも嘘をついて逃げ延びてやるだけだ。



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