第2話


 秘密裏に、バレないように。王子殿下を他の魔族たちから守る。

 魔王のとんでも命令で学園に入学して早二ヶ月。

 条約によって、不用意にアスラン国の人間に力を使うことは禁じられている。が、「人命救助だから止むを得ない。仕方ない。人命救助だから」と言いきった魔王によって、レイモンは怪しまれることなく一回生として入学を果たした。そして順調に学園生活に慣れつつあった。レイモンは努力に努力を重ね、偉大なる地位を手にいれることにも成功していた。



「ー今日の講義は以上とする」



 修辞学の講義が終わると、午前の授業は終了である。レイモンは学んだ内容は反芻しながら席から立ち上がって、講義室の外へ向けて歩き出した。

 廊下へ向かう途中、ぱさりと一枚のハンカチが落ちてきた。折りたたまれたチェック柄のものだ。

 それをかがんで拾うと、持ち主を探すべく周囲を確認した。すると少し先にいた男子生徒が振り返って、レイモンの手にのったものを見て近寄ってきた。



「あ! 悪い、それ俺の! 拾ってくれてありが、……とう」



 そしてお礼を言おうとレイモンの顔を見たとき、驚いたような顔をした。

 お礼にゆっくり首をふって、また下を向いた。



「あー、えーと。俺たち、これから昼食べに行くけど、よかったらえっと、さんも、一緒に行く?」



 ハンカチの持ち主は、「一応誘ってみた」というのがわかりやすすぎるお誘いをした。



「……い、いや。お、俺はこの後行くとこあ、あるから……」



 小さな声でおどおどしながら告げる。そして軽く頭をさげて、講義室を出た。



「おい、断ったからいいけど、なんで『根暗』なんて誘うんだよ」

「いやハンカチ拾ってもらったし。なんとなく」

「なんとなくで誘うなよな」



 後ろから聞こえてくる声に、レイモンは思わずにやりと口角を上げた。彼がこの2ヶ月間、努力を重ねて築きあげた地位。秘密裏に行う護衛に、ぴったりな存在。

 ボサボサの地味な黒髪に、ここでは非凡ひぼんな翡翠色の瞳を隠す大きな瓶ぞこ眼鏡。無口で、教室の隅っこに生息し、いるのかいないのかわからないほど影が薄い。話しかけられたても常におどおどし、自信なさげにうつむく陰気な人物。

 そう、『根暗』という存在である。

 そしてその名誉ある地位を、レイモン・アスディアは代表格として受けとっていた。



(ああ、頑張ってよかった……地味で影も薄いから護衛をするにはもってこい。ずっと『根暗』でいる、俺は)



 しみじみそう感じていると、ざわざわと周りの生徒がささやきながら窓の外を見ていた。ちらりと下をみれば、濃いブラウン色の髪をした男が何人かの生徒とともに歩いているところだった。

 遠目から見てもはっきりわかる存在感。他者を惹きつけてしまうオーラ。美しく整った精悍な顔立ちに、三回生の中でもずば抜けた頭脳。そして騎士の名門である子息と比べても、遜色がないほど鍛えられた身体。

 まさに物語の王子さまを体現したかのような人物。第二王子のジークハルト・フィン・アスランである。

 レイモンにとってはこの学園にきた目的で、護衛対象。そして最近の抱える疲労のタネであった。



 護衛対象である彼を遠目から初めてみたとき、溢れでる魔力に無意識のうちに喉が鳴った。



(すごいな……)



 魔王の側近として、膨大な魔力を有する魔王のそばにいたレイモンですら、その力には驚いた。大きな魔力は魔族を盲目的に魅了みりょうさせる。魔力を重視する魔族にとって、彼は至宝しほうのご馳走にみえることだろう。レイモンは今後のことを考えると苦い気持ちになった。

 思った以上に大変そうだ。

 それは一週間で理解することになった。


 この学園には三つの寮が存在している。一つ目は、貴族のための寮。二つ目は騎士や魔術師など特別階級のための寮。そして三つ目にレイモンの部屋もある平民のための寮。

 ジークハルトはこのアスラン国の王子。当然、貴族のための寮になる。それも王族であるため最上階だ。寮の外には護衛をする人間が常に存在していた。



(まあ、寮の外には護衛もいるみたいだし。条約違反で見つかったらヤバイし。こんな高貴な場所に忍び込むヤツなんて、思ったよりいないかもな……)



 だが、そんな高貴な場所に、忍び込もうとする不埒ふらち阿呆あほな輩がいたのである。それもかなり。

 正直なところ、魔族にとって現状の警備はあまりにザルだ。下級魔族でもやすやす進入ができてしまう。穴の空いたコップで水を汲むようなものである。あまりにザルだ。ザルザルだ。


 魔族ホイホイなジークハルト王子のもとには、大体三日に一度、魔族が襲撃する。ひどいときは一日二回だ。これがデートであれば、完全にダブルブッキングである。

 だが現実はデートのように甘くはない。レイモンは王子の部屋に忍び込もうとする魔族をとってとって、とりまくっていた。そして向こうへ転送している。



 そんな並ならぬ努力のもと、なんとか気付かれずに2ヶ月を終えることができた。

 連日連夜の夜の護衛に加え、最近はただでさえ襲撃者が多い。

 条約に違反しており、かつ王族であるため危険度も上がる。それにも関わらず、三日に一度は襲撃者がやってくる。

 魔族たちが活動的になるのは夜の時間帯であるため、必然的によるの警護は必須になる。だが、人間が活動的になるのは朝から昼である。

 そのため、レイモンは朝から昼までは学園に通い、夜は警護にあたるという休みのない日々を送っていた。休む時間はかなり限られており、合間だったり、朝方と夕方のわずかな時間しか休むことができなかった。



(あー、頼むからマジで少し魔族ホイホイを抑えてくれ。いい加減、寮での警護もだるい。つか、もういっそのこと側にいて、他の魔族を威嚇してた方が早いだろ……)



 心の中で盛大に愚痴りながら、いつものように人気の少ない第一庭園に向かって歩く。学園にはもともとあった第一庭園、そして新しく作られた第二庭園がある。もともと咲いていた花を生かして作られた第一庭園は立地が悪く、際立った花も特別多くないため生徒はほとんど利用することがない。だから人目を避けるにはうってつけの場所だった。

 午後の講義が始まるまでの時間は限られているから、少しでも早く庭園に行きたい。

 そこで近道として、あまり他の生徒たちが通らない校舎と校舎の間を通ることにした。



(あー、フラフラするな……)



 はあ、とため息をついたとき、前方から三人がやってくるのが見えた。



(ん? 珍しいな……)



 建物と建物に遮られているため、路地のようなこの通りは暗くて嫌がる生徒が多い。物珍しさからちらりと見ると、三人がこっちに向かって歩いてきていた。赤のネクタイを身につけているから、二回生。それも剣と盾のバッチを身につけているから、騎士に連なる家系だ。


 そのまま通り過ぎようとしたとき、三人組のひとりが、ニヤニヤしながらレイモンの方に不自然に向かって歩いてくるのが見えた。

 わざとぶつかって難癖でもつけてくる気だ。急いで体を反対方向にズラそうとしたが、そこで一瞬だけ立ちくらみがした。



(マズい、ぶつかる……!)



 あ、と思ったときには遅かった。溜まりにたまった疲労のせいで、一瞬だけふらりとしたレイモンは、盛大にぶつかってしまった。



「ってえな! お前! 俺は偉大な騎士の一族なんだぞ」

「ただの平民が高貴な者にぶつかってきたとなると問題だよな」

「どう責任とるんだよ」



 三人はレイモンを囲むようにして前方を塞ぐと、まくし立てるよに次々と言い出した。

 アスラン国では、騎士は貴族より少々劣るものの、高い地位を誇っている。戦争で騎士たちが多く活躍したためだ。そのため民衆の抱く好感は貴族以上だったりもする。 

 学園では表立った規則にはなっていないものの、明らかに貴族と同じように騎士に連なるものたちも平民とは差別化している。

 貴賎は問わない、ということになっているがそれはあくまで建前である。現に、貴族と騎士の家系のものなどは、その者たちだけが許されたバッチを身につけている。つまり、一目で平民かそうでないかがわかるのだ。

 当然それをわかっていて、わざとぶつかり、こうしてらしをする連中もいた。



(クソ。疲れてたとはいえ、面倒な奴らに当たったな……)


「……す、すみません……」



 いつものように目線を合わせず下の方を見る。そしてか細く小さな声で謝罪をした。



「ああ? 聞こえねえよ」


(こーゆう奴らの前で、うじうじしたヤツって格好の獲物だよなぁ……にしてもうるさい。いっそ力ずくで黙らせるか。いや、だからといって根暗くんを壊すのは惜しいしなぁ……)

 考えて、とにかくこの場を穏便に切り抜けることにした。



「す、すみません……」



 レイモンはさっきより多少大きな声でぶつかってきた男に謝罪をした。だけど、それがますます彼らを調子付づかせたようだった。



「聞こえねえな。それに誠意がこもってない」

「ありえないけど、もしお前が騎士だったら、その場で殴られてるな」

「まあ万が一にそうなったとしても、そのボサボサの髪に、ヘンテコな眼鏡。お前はグズでノロマそうだからすぐいじめられるだろうな」



 嘲笑が聞こえてきた。



(……おいおい、ぶつかってきたのはそっちだろうがよ。なんでこっちがこれ以上謝らなきゃいけねえんだよ)



 普段であれば、「仕事だから」「任務だから」と割り切ることができる。だけど睡眠不足で短絡的になった思考に彼らの声はうっとうしく響いた。



(……もう、ひとりくらいよくねぇ?)



 大きな眼鏡の下で緑色の瞳がギラギラと輝いていた。

 レイモンがいまにも魔力を解放して翼を広げようとしたそのとき



「なにをしている」



 低く艶のある声が響いた。問いかけのようで、答えることを許さない。威厳を含む声。

 その声の持ち主をレイモンは振り返ることもなく理解していた。当然だ。2ヶ月の間、レイモンがずっと護衛をしていたその対象なのだから。



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