第2話

 友人の田宮から、飲まないかと誘われたのは次の日のことだった。

 田宮とは中学からの付き合いだ。三年間同じクラスで、同じ高校に進学し、大学は別だが二人とも地元で就職した。家が近いせいもあり、月に何度かこうやって、誘い、誘われ、飲んでいる。

 仕事の愚痴が途切れた頃合いを見計らい、「田宮」と深刻な声を出した。ビールジョッキに口をつけたまま、田宮が俺を見る。

「中学んとき、長谷川っていただろ?」

「長谷川? 誰?」

「長谷川是近。中一のとき、同じクラスだった」

「はいはい、なんだっけ、コレチカット……? あ、コレチカット臭か!」

 懐かしいなあ、と田宮がタコの唐揚げを口に放り込む。

「知ってたか? 俳優になったって。今、深夜の連ドラの主演やってる」

「マジで? 最近の俳優、全然知らねえや」

「なあ、俺ら、あいつのこといじめてた……よな?」

 田宮がビールを呷りながら、俺を見る。空になったジョッキを置いて、首をかしげた。

「ないない、いじめなんかしてないだろ?」

「覚えてない? 内履きになめくじ入れたこともあったよな」

「お前、ひでえことすんな」

 あはは、とのんきに笑う田宮がタコの唐揚げを次から次へと口に入れる。

「違う、お前もだよ。絶対、お前もやってた。あと、浩平と、かっちゃんも……、ほら、リコーダー事件、覚えてるだろ」

 田宮の表情が変化した。

「あれからあいつ、学校に来なくなった」

「あったなあ、あったわ」

 田宮がうんうんうなずいて、再びタコの唐揚げをつまみ上げる。

「昨日、長谷川がテレビ出てて」

 中学時代のいじめの話をしていたこと、復讐を考えているらしいことを話すと、田宮が笑いだした。個室だが、外に筒抜けであろう笑い声は、しばらく続いた。

 メニューで頭を叩くと、ようやく止まる。ひーひー言って涙をぬぐう田宮に、スマホを差し出した。田宮が俺のスマホを受け取って、目を落とす。

「殺人鬼役で才能開花、『共感できる部分もあります』? あ、この写真がコレチカット? 普通にイケメンじゃん」

「殺人鬼に共感だぞ? 絶対、サイコパスだって。同窓会に来るってテレビで言ってたんだ。俺らを殺すために、来るんだよ」

「何言ってんだよ、お前大丈夫? 芸能人がテレビで殺人予告なんてする?」

 田宮がスマホを見ながら、笑みを浮かべた。

「お前この記事、中身読んだか? 見出しは釣りだぞ。主人公の綺麗好きなところに共感します、だって。勝手にサイコパスにすんなよな」

 田宮の手からスマホをもぎ取り、身を乗り出して声を潜めた。

「もし長谷川が俺らのことめちゃくちゃ恨んでたら? 人生賭けた盛大な仕返しを企んでたら」

「わかるよ」

 急に真面目な顔になった田宮が、ため息をついた。

「罪悪感があるんだろ? 今まで忘れてたけど、特に意味もなくひでえことやってたなって」

 特に意味がない。

 確かに、当時の俺たちは、意味もなく長谷川をターゲットにして、遊んでいた。

 意味なんて、なかった。誰でもよかったのかもしれない。

 やられた側がどう思うか、どう感じるかなんて想像もしなかった。どうでもよかったのだ。

「自分の子どもに誇れる学生時代かって訊かれたら、明らかにノーだよな。もしあいつに会ったら、そのときは謝るわ」

 田宮の言葉が胸に刺さる。自分の子どもに誇れるか。

 妻の、目立ってきた腹が脳裏に浮かぶ。

「……俺も」

 謝りたい。

 二人で神妙な顔で押し黙る。

「まあ俺は子どもどころか結婚もまだだし? 同窓会も欠席だけどな?」

 しばしの沈黙を破った田宮が、肩をすくめた。

「行かないのか?」

「日曜も仕事。ほんっとブラックだろ」

 田宮の愚痴が、再開する。その日はそれっきり、長谷川の名前が出ることはなかった。

 冷静になってみれば、ドラマの撮影もあるだろう忙しい芸能人が、中学校の同窓会になんて来るはずがない。

 そう思うと気が楽になり、同窓会の前日まで、長谷川のことを忘れていた。

「コレチカ君?」

 行きつけのうどん屋で、妻が突然、となりのテーブルの男をそう呼んだ。キャップを被った不審な男だ。

 男はうどんのだしを飲み干した器をテーブルに置くと、こっちを見た。

 長谷川是近だった。

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