お掃除の時間です

月世

第1話

 風呂から上がると、妻がテレビを観ていた。

「何観てんの?」

 隣に腰かけ、濡れた頭をタオルで拭きながら訊いた。

 前のめりでやけに熱心に観ている。画面には、爽やかに笑う男が映っていた。

「誰?」

「ほら、あの連続殺人犯だよ」

「え? そんなのテレビ出していいの?」

「連続殺人のドラマあるじゃない。お掃除の時間ですって、深夜にやってるやつ。それの犯人役の人」

「なんだよ、ドラマの話かよ」

 そりゃあそうだ。殺人犯がテレビで談笑しているはずがない。

「ヨシ君と同い年だけど、若く見えるよね」

「はあ、そうなんだ?」

「なんか、中学生の頃いじめられてたんだって」

 画面の右端に、「壮絶イジメ! 何度も死のうと思った」とある。

『体操服隠したり、教科書に落書きされたり、そういうのはまだいいんですよ。一番つらかったのは、女子と僕のリコーダーが入れ替わってて。気づかずに使いますよね、お互い。あとで女子のほうが気づいて。吐いちゃったんですよ』

 司会のタレントが「吐いちゃった!」とリピートする。

『長谷川君の縦笛、ラッキーじゃない?』

 司会が言うと、ドッと笑いが起きた。

「うん、ラッキー」

 隣の妻がしみじみと同意する。

『いえ、暗くて地味で、気持ち悪いって、特に女子からは避けられてましたから』

 よくある話だな、という印象だった。自分の学生時代を振り返ってみると、あった。そういう奴はどこにでもいる。いじめなんて特に珍しくもない。

『変態って罵られて、みんなから責められて、そこから登校拒否になりました』

「先寝るわ」

 妙に居たたまれなくなり、腰を上げて告げると、妻が「ひどい、コレチカ君可哀想」と返事をした。

「コレチカ君?」

「ハセガワコレチカって名前、カッコイイよね」

「どっかで聞いた名前だな」

「だから、この俳優の名前だってば。本名らしいよ」

 テレビの左端に「話題の演技派俳優、長谷川是近」とある。やはり、どこかで見た名前だ。

「名前いじられて、コレチカットしゅうってあだ名で馬鹿にされたって。そいつほんと、殴りたい」

 センス悪い、低能、クズとブツブツ言う妻の文句が、後半からは耳に入らなくなっていた。

 アメリカにコネチカット州という州があることを知り、響きが似ていたから、コレチカット臭、と長ったらしいあだ名をつけた。

 仲間内では好評で、センスの塊、天才と崇められたし、自分でも気に入っていた。

 だからあいつが登校拒否になるまで、ずっとその名前で呼んでいた。

 そうだ、俺が付けたあだ名だ。

 長谷川是近は、中学時代の同級生だ。

 靴を隠したり、教科書に落書きしたり、トイレに閉じ込めたり、机の中にゴキブリの死骸を入れたり、したかもしれない。

 俺が。

 いや、俺だけじゃない。みんなやっていた。

 俺が首謀者というわけじゃない。

 コレチカット臭と言い出したのは俺だ。それは間違いない。

 でも、積極的にいじめたかと言えば、きっと、違う。

 よく思い出せない。今の今まで、長谷川のことを忘れていたくらいだ。記憶は靄がかかり、はっきりしない。本当に自分がいじめたのかも、定かじゃなかった。

『有名になって、いじめた奴らを見返してやろうって、思ったんです』

 目を伏せて、長谷川が言った。

『いじめがなかったら、僕は今、俳優をやっていなかったかもしれない。頑張れたのは、今の僕があるのは、彼らのおかげだから』

「天使じゃない?」

 メロメロになる妻の横で、何度もうなずいた。

『そいつらが不幸になればいいとかは、考えない?』

 司会者が訊くと、長谷川が顔を上げてにこりと微笑んだ。まさに、天使の微笑みだ。

『彼らには、幸せになっていて欲しいです。幸せであればあるほどいいです。大学を出て、いい企業に就職して、素敵な女性と恋愛して、結婚して、可愛い子どもが生まれて、順風満帆な、幸せの絶頂にいて欲しい。だってそのほうが、落とし甲斐があるじゃないですか』

『おっ、ここでようやくブラックな面が出てきましたね』

 司会のタレントが手を叩いて喜んでいる。スタジオに、「ヒュー」とか「キャー」とか、好意的な響き。

 ここは、ドン引きになるところだろう? 意味が、わからない。何が面白いのか、全然わからなかった。

『今度、地元で中学時代の同窓会があるんですよ』

 長谷川が言った。ギク、となる。同窓会があるのは本当だ。

『えっ、まさか出席するの?』

 驚く司会者に、彼は「はい、楽しみです」と朗らかに笑った。

『それはもしや、復讐のために?』

 訊かれた長谷川は、床に視線を落とし、三秒くらい固まったあとで「はい」と短く答え、目を上げると、顔の前に右手の甲を翳した。

『陰湿ないじめをする奴ら……、まとめてお掃除の時間です』

 指の隙間から鋭い眼光を覗かせてそう言うと、なぜかスタジオの中は拍手と歓声に包まれた。妻もキャーッと少女のような黄色い声を発した。

「なんだよこれ、何がキャー?」

 俺の声はかすれていた。妻がテレビの長谷川と同じポーズをしながら言った。

「これ、ドラマの決めポーズと決め台詞だよ。録画してあるから観たら?」

 普段は温厚な公務員。でも裏では、法では裁けない悪者たちを正義の名のもとに殺し続ける義憤に駆られた主人公を演じているらしい。

 殺すときにいつもゴム手袋を嵌めて、今のポーズと台詞を披露するのだという。

 主人公の連続殺人鬼は大の綺麗好きという設定で、殺したあと、殺人現場を掃除するかと思いきや、全然関係のない、たとえばトイレ掃除や風呂掃除のシーンを挟み、それがやけに丁寧に描写されていて、そのシュールさが面白いのだと、妻は懇切丁寧に教えてくれた。

 主人公の二面性を演じ分けるコレチカ君の演技が素晴らしいとか、コレチカ君の掃除シーンが可愛いとか、コレチカ君コレチカ君と連呼する妻をリビングに残し、寝室に逃げ込んだ。

 長谷川是近と、同級生だと知られてはいけない。

 ましてやいじめをしていたなんて、絶対に、知られたくない。正義感の強い妻は、俺を嫌うだろう。

 仕事も家庭も順調だ。春には家族が一人増える。

 幸せだ。

 今の俺は、長谷川が言う「幸せの絶頂」にいる。

 この生活を、守らなければならない。

 俺は布団に潜り込み、震えて、眠る。

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