第52話 セイレーンの魔女
夏名は、節度のある子だから
殊更、研究室でそばに寄ってきたりはしない。
そこに好感を持った。
だが、室のみんなは
どういう訳か、それに気づいてしまうらしい。
背の高い、平安貴族のような顔立ちの
富山大学から来ている、良雄。プログラム・モデルの担当。
制御関係ブラント。
彼は、茫洋としているようでいて・・・どことなく勘がいい。
僕には好意的だけど、夏名と真知子の関係が微妙なのを
よく察知していて。
なんとなく、夏名サポートの感じ。
孝は、同志社大。
大阪人なので、明るい、元気。ひょうきん。
あのコトバで話しかけられると、つい、笑顔になってしまう。
なぜか真知子寄りで・・・・。
僕に、真知子の事を可愛い、可愛い、と・・・推してくる。のだけど。
夏名と僕の、その出来事をどうして知ったのか。
更に、真知子推しになっていた。
真知子が頼んだのかもしれない。
体操の選手、と言う変わりダネで
同じく体操の選手の池谷くんに似ていたので、よく物真似をしていて
皆を笑わせていた。
この孝くんの仕切り、なのか。
リカルドとの打ち合わせに、時々
僕と真知子が行く事もあった。
順当なら、僕のような外部の人と
真知子のような主任クラスだけで行くのはヘンなので
もう数人、行くのが普通。
ある、霧の日・・・・。
その打ち合わせがあって。
エア・モデルの適合パラメータに関しての話し合いだった。
構内巡回バスで、あの・・・・D-1棟に行く事になる。
何故、テストコースの方に行くのかは不明であるが・・・。
普通、エンジン担当者が行くところではなかったりする。
僕らは、C-11棟のバス停で巡回バスを待っていた。
細かい霧が、さらさら・・・と、流れるような高原。
真知子は、いつものクリーム色の制服、ジャンパーを羽織って。
なんとなく、楽しそう、恥ずかしそう。
僕も、同じジャンパーを一応着ているけれど
外部の人間だ。
霧を見ながら真知子は「雰囲気、ありますね」と。
僕は「高原らしいね」と・・・。
巡回バスは、トヨタ・コースターである。
ヘッドライトを点けて、霧の中を走ってくる。
手動のドアを開け、真知子を先に乗せて
僕はドアを閉じた。
C-11棟から、交差点を曲がって
左へ。
テストコースを跨ぐ立体交差を通り・・・テストコースの中にある
D-1棟へ。
バスの乗客は、誰も居なかった。
真知子は、窓際の一番後ろに座って。
僕は、真ん中。
真知子は「最近、サーバールームに来ないですね。夏名ちゃん」
真知子と夏名は、仲も良い方だと思う。
僕は別に気にしていなかったので「そう?」とだけ答えた。
そういえば・・・あの、実験室の一件があってから
夏名はあまり僕に寄ってこないようになって。
それを、真知子は気にしていたのかもしれない。
「かわいい子だね、夏名ちゃんって」と、僕が言うと
真知子は、すこし探るように無遠慮に僕を見た。
そういう辺りは、お嬢さん育ちだなぁと思う。
茨城だか、千葉だかのお金持ちの令嬢、なのだけれど
なぜか、こんな山奥に来ている。
誰もいないバスだから、気が緩んだのか真知子は
「こんな私は、誰も女の子だと思ってくれていない」と
窓の外の霧を見て、そう呟いた。
僕は、意図を掴みかねたけど
「そんなことないと思うよ。孝くんだって
可愛いって言ってるよ」と。
そう言うと真知子は、淋しそうに笑った。
バスは、ゆっくりゆっくり走って。
テストコースの真ん中にあるD-1棟のバス停に停まった。
激しい、タイアスキール音が聞こえる。
それは、スキッド・パッド試験。
新技術を搭載した、トルク・ベクトル制御の4WDスポーツカーだ。
フェラーリF355が、全開のエンジン音を立てて
周回路の外周、制限が、今日は霧なので250、と出ている。
250km/hである。
車庫の中では、開発中のV10,FRのスーパーカーが待機している。
それだけなら普通の、この研究所の風景だが
この日は、その奥に・・・・・異常に平たいボディのレーシングカーらしきものが
蹲っているのが見えた。
僕らはそれを、見ないようにして。
それも暗黙のルールで。
観てはいけないことになっている。
なら、こんなところに呼ぶなと言いたいが。
僕らは、そのD-1棟の別棟、新しく建てられた
コンクリートの3階建て、そう。あの・・・・8-21-42**の
番号の棟だ。
そこに行く。
2階で、打ち合わせなのだ。
真知子は、すらっとしたアスリート体型なので
ジーンズがお似合いだ。
さらりとした、ショートカットの髪。
化粧もなにもしていないから、高校生か、中学生くらいに見える。
誰もいないので、真知子は僕に
このあいだ、実験室に・・かなちゃんとふたりきりだったでしょ、と。
囁いた。
近くに寄ると、幼い女の子ではない香りが、何かを主張しているかのようだ。
僕は「ああ、実験を見に来たのさ」と言うと・・・。
真知子は「それだけ?」と・・・・
さっきのように、探るように無遠慮に僕を見た。
狭い階段を昇りながら。
僕は、返答に詰まっていると
真知子は、唇を押し付けてきた。
どこからも見えない、踊り場の一角だった。
意外とふくよかな、弾力のある体だった。
一瞬のこと。
離れて、真知子は、にっこり。
謎めいた微笑みを返した。
セイレーンの魔女のようだと、僕は思った。
すぐに、平静な顔で
階段を上り、2階へ上がった・・・・。
なるほど、ノーメークなら
こういう事をしても、メークが崩れないから、か(^^)。
と、思った。
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