第41話 super7 and windness


半地下のガレージに降りる。


ひんやりとしたコンクリートの感触が伝わってくるかのような深夜のガレージ。

オーヴァー・ドアは閉じてある。


灯りは点けず、高く位置している小窓の月明かりだけを頼りに、階段を降りる。



この家は、父が設計したものだ。


丘陵地の坂道から、半地下のガレージへとスロープを作り、家の中から直接ガレージに

降りる階段を作る、なんてのはカー・マニアっぽい発想だが、父は何故か車をガレージに入れなかった。

だから、僕の車とオートバイがこのガレージを占領し、父はその様子を黙って見ているだけだった。

もっとも、若い頃は父もかなりの飛ばし屋だったらしく、母と一緒に356の前で写した写真を

ちら、と見た事がある。

だからか、僕が7を買い込んだ時に、その機械としてのいい加減さに呆れていたようだが...




ま、いいさ、ドイツとイギリスは敵なんだ。



ドイツ車好きと、イギリス車好きは相容れないところがある。

昔からそうなのだろうが、(まさか戦争の為じゃないだろう)機械的な緊張感のある

ドイツ車と、そのあたりはイマイチだけどスピリットがあるイギリス車、と言う

双方はやはり趣味の対象としては、やはり方向が別だろう、と思う。



もっとも、最近はBMWがミニを作ったりしてるし、そのBMの部品は日本製が多かったりするから

ドイツもイギリスもない、みたいだけど。



だけど、こいつは違う。


1960年代のまま生き延びている。

何がこんなに心を揺さぶるか、と言えば、やっぱり何も変わっていないから、だろう。

チューブラー・スペース・フレイム。

アルミボディ。

Aアーム、ダブル・ウィッシュボーン・サスペンション。

OHV、ハイ・カムシャフト。

ツインチョーク・ウェバー。



ひとたびエンジンをかければ、過去にタイム・トリップ。




男にとって機械とは、自らの精神の象徴である。

女のように土着できない運命にあるのだから、どこかしら、なにかしら象徴が必要なのだ。

生きてゆく意味、死んで行く意味。

その双方が曖昧になった現代だからこそ、精神の象徴が必要なのだ、と思う。

アルミ・ボンネットの下で騒々しく回るエンジンを目一杯吹かし、山道を登る時、

スクリーンの向こうに映る朝日が、揺れながら立ち上る時....

深夜の高速道路で、レヴ・リミットまで引き絞ったスパイ針を見据えてシフトする時...



そんな瞬間こそ、生きていると実感する。

男とは、そうした生き物なのだろう。

どこまでも走り続け、追い続ける生き物なのだ。



そして、止まった時、その時は.....




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