第37話 Mr. chapman




ブリティッシュ・レーシング・グリーンのカウルの傍らに立ち

アルミ・ボンネットに触れている老人。

どこかで見たような顔の、白人だ。



誰もいない、と思っていた僕は、かなりびっくりした。


たぶん、奥の離れの方から出てきたのだろう。



「sorry....this , ?」



彼は、ちょっとなまった英語で話し掛けてきた。

これは君のマシンか、と。

本当に愛しい、という顔で、ボンネットに触れている。



英語がよく判らないから、僕は....


「Yes,,,。」

とだけ答え、老人に挨拶をした。


逃げよう、と思っていたけれど、あまりにいとおしい風で

彼がマシンに触れていたので

直に立ちさるのはワルイかなあ、と僕はその老人の気持ちを思った。


「あ、あー,,,sorry, I can speak english a little.」


僕は、中学校でならった英会話を思い出しながら、なんとか意味を伝えよう、とした。

このマシンは僕の物で、ロータス7のレプリカだ、と。

片言で、身振り手ぶりでもなんとか意味は伝わったらしく、彼は深い皺をたたえた笑顔で

ゆっくりとうなづき、掌を見せた...。


そして、彼はまた、何か英語で語った。

どうやら、このマシンに何か思いいれがある、とでも言っているよう....

遠い想い出に耽っているかのような瞳の色で、風が吹きぬけるようにさりげなく語った。

意味はよく判らないが、その語り口調にはどこか

長い年月を思わせる重みと、幾許かのかげり、を感じる....


僕は、その彼の表情にどこか...記憶の隅の映像、を想い起こす.

でも、思いつかない。


彼は、エンジンのサウンドを聞きたい、と言った。


僕は、うなづき、コックピットに潜り、スロットルを軽く開いてスターターを回す...



長い、猫の鳴き声のようなルーカスのスタータの音に、彼はまた懐かしそうに目を細めた。



爆発的にFord 711Mは起動し、轟音を立ててアイドリングを始めた。

ツインチョーク・ウェーバーのHotStuff。

マイク・ザ・パイプのjive-talkin'。

ハイリフト・カムシャフトのWhysper...


それらが、すぺて "7"のディティール....


彼は、嬉しいんだか悲しいんだか、よく判らないような不思議な表情で

エンジンのサウンドを聞いている。

僕は、ちょっとサービスのつもりでスロットルをあおった。



Ford 711Mユニットは軽快に吹きあがる。

ウェーバー・ツインチヨークは猫撫で声を上げ、マイク・ザ・パイプは叫び立てる....



彼は、目を閉じてそのサウンドを感慨深げ、に聞いている......



僕は、この老人に「乗ってみませんか」と言って見た。


彼は、とても嬉しそうな顔をしたが、すぐに憂う表情になり、

有り難いが.....と言いながらかぶりを振った.....



僕はその事をとても残念に思った。

なぜか不思議だけど、そう思った......


スロットル・ペダルを離し、僕はコクピットから抜け出す。

体操競技の選手のように、ロール・バーに手を付いて。


彼は、僕の様子を見て、すこしはにかむように笑った....




僕も、彼に笑いかけて、ふと、彼の瞳を見た。

深い海の色のような、どこか悲しい彩の瞳の色に、僕は一瞬どきり、とした。

が、思い返して、彼に右手を差し出した。


もう、行かなくてはならない、と空の色も夕刻の雰囲気を伝えている.....


彼は、がっしり、と老人に似つかわしくない力強さで僕の右手を握った....

思わぬ暖かさと、掌のがさついた感触に僕はすこし違和感を覚えた。



再び、コクピットに潜り、僕は左足を踏み、シフトをLowに入れ、

ゆっくりとクラッチをつないだ。


"7"は、唐突に動き出す。

アイドリング、エンジンの爆発のひとつひとつを鼓動のように感じさせながら....



僕は、彼に右手を上げて、挨拶をした。


彼も。



それから、おもむろにスロットルを踏み込んだ。

リニアなトルク感が、ぐい、と僕をシートに押しつける。



負荷を得て、大気開放されたツインチョーク・ウェーバーは深いサウンドを奏で、

レヴ・カウンターの指針は、揺れながらクラシカルな回転の上昇を僕に示す...



ルーム・ミラーに彼の姿を探すと、

なぜだかひどく小さく見えたが、

視線はでもしっかりとこのマシンのテール・サインを見つめていた...


その像に、また記憶のどこかが想起される....



.....!


僕のmemory-fieldは、ある画像をヒットした......





僕は、さっきの図書館に寄り道をした。



地下のパーキングに"7"を乗り入れると、さっきは驚いた顔だった警備員も

こんどは楽しげにこのマシンを眺めていた。

僕はにっこり、と頭を下げ、コンクリートのパーキングの端にマシンを止め、

トノ・カヴァを閉じた。


エレベーターで二階へ上がり、保存図書のコーナーへ。




静寂..

どこか仄かにダークな雰囲気...

いくらか、黴の匂いがする..




大判の自動車雑誌、海外のレース記事で著名なそれを繰り、

写真だけをぱらぱら、と見た....




..........!。




あの老人に良く似ている...



サーキットのパドックで、何かを話している風な男の顔。

横顔は良く似ている.....



僕は記事を見た。



... チャプマンは生きている?

ロータス創始者、コーリン・チャプマンはある訴訟で被告となり

有罪が確定した後謎の死を遂げた、と言われている...

しかし、南アフリカ共和国でその後もチャプマンに似た人物を見た、という

伝聞が噂を呼び、興味をもったジャーナリストが南アに飛んだ後、

チャプマンらしき姿は彼の国から消えた...という....





.....まさか....。





僕はその雑誌記事をコピーし、図書館の屋上に登って横田に電話した。







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