第15話 City



少し離れた街路の脇の、R31のフロント・グラス越しに、革のコートの男は、微動だにせず。

呼吸の度に、なめされた革は、擦過音を立てる。


...それが、死した動物の皮膚なのだ、と意識させるかの如き、泣き声にも似た...。

男は、そのようなペシミスティックな妄想に駆られていた。




この辺の街路は、曲がりくねっている上に、車道に街路樹が植えられていて、

路上駐車には最適な環境。



昭和40年代に開発された住宅地というのは、こうしたゆとりが所々に感じられる。



それを、「無駄」と考えるような人が増え始めた頃から、

この国は変になっていったような気がする。

利得というのは、あくまで心を豊かにする為のものであった筈なのだが。



人工空間、都市。



不自然な環境というのは、ヒトのこころまでも容易に変質させてゆく....。

そして、"City"は、今日も増殖を続ける。

Hystericな加速をもって....。



行き着く先は、天国?それともラス・ヴェガス?









街路にでた僕は、サイド・スタンドでパークさせ、

ガレージのシャッターをそのままにして

とりあえずエンジンを掛けてみることにした。


オーヴァ・フロゥ防止のために、フュエル・コックの位置を元に戻す。

押しがけするときはインテーク・マニホールドに負圧が生じるので、これでよい。

イグニションを入れ、トランスミッションを3速に。

クラッチを切り、腰を溜めて下り坂に向かい、マシンを押し出す。

TZタイプの、細かい菱形の襞のスロットル・グリップが、手に貼りつく。


2歩、3歩....。



ドライヴ・チェインの音が、からからと聞こえる。

ミシュランが、路面を捉え、静かな連続音。

やっぱり、抵抗が大きい。

少し、勢いのついたところで、

クラッチを静かにつなぐ。

ピストンが上下する音が、4つ、正確に。

180度クランク2軸、対角線同時爆発だから、2台の250cc のようでもある。

数メートルほど、そのまま下る.....と。

やがて、シリンダーのひとつが、爆発をはじめた。

歯切れの良い、2stroke らしい sound。

つられるように、4つのシリンダに火が入る。


'80年代のGPマシンそっくりの排気音が轟く。


直ぐに、クラッチを切り、ニュートラルに落とす。

エンジンは轟音を立て、2000rpmでファースト・アイドルしている。

スロットルをあおってみる。

鋭いレスポンスで、回転計のマッチ棒のような指針は、6000rpm程まで跳ね上がる...。

思わす、にんまり。



マシンに乗る。


シートのウレタンを通して、細かい振動、50度バンクの配列特有の微振動。

ダイナミック・バランサーがあるとは言え、あまりスムーズである、とは言えない。

180度クランクの250cc2気筒をギアで連結して、500ccの4気筒にする、というアイデア。

昔のマトラU8みたいな感じだが、これもレースでの勝利の為だ

当時、YAMAHAのGPマシンは、低迷していた。

並列4気筒が普通であったGPに、ライバルがスクエア・フォアを投入してきたのだ。

それも同様に、並列2気筒をギアで連結したものだ。

しかし、単純に前後に配列すれば、エンジンの前後長が増大し、フレームの設計に

制約が生じる。

そこで、エンジンを狭角V配列とし、一方の2気筒を水平に配置し、低重心化を図る。

トランスミッションはエンジンの背後に置き、空中に浮いてしまうギア類の潤滑の

ためにオイルを強制圧送する。

キャブレターはVバンクに挟み、吸入はロータリー・ヴァルヴ。

必然による構造、機能美。

こうして、YAMAHAV4エンジンは生まれた。

このデザインが優れていた、ということは、後日のGPマシンのレイアウトが殆ど

V配列2軸式であることからも伺える....。

しかし、好事魔多し、とか。




その当時。

アメリカンライダーたちが台頭を示し、ドリフト走法がモーターサイクルGPでも

そろそろ一般的になりつつある頃....。

当時のトップライダーKenny Robertは、このマシンのハンドリングに困惑していた。

"King" と呼ばれた男は、このV4マシンの悪魔のようなPowerに手を焼いていた。

彼は、ダート・トラックレース出身で、スムースなスライドをその身上としていた。

だから、ピーキーでパワフル過ぎるこのマシンは彼の趣味に合わなかった。

現在からすれば、単に仕上がりの悪いマシンだった、というだけの事だが。

(後、このV4をモノコック・フレームに搭載したマシンでEddie Lawsonが活躍した

事からもそれと分かる)

彼、 "King"の名においてそれを認めてはならなかった。


一方、この状況をもう一人の雄、Barry Sheeneは複雑に見つめていた。

彼、その非凡な才能と秀でたもの故の宿命?で、日本のあるオートバイ・メーカー

のエンジニアに嫌われ、元、World-Chanpionでありながら不遇の時をすごしていた。

そして、この時期、ヤマハのプライベートライダーとして、パワーに劣るスクエア4を駆り、

精一杯の走りを繰り広げていた。



Kennyは、そうしたBarryのために、ワークスV4マシンを与えるよう

ヤマハに指示した。

何故、ライバルに?と思われる向きもあるだろうが、GPライダーと

いう連中はそうした種の生物なのだ。

フェアに、戦い、そして、勝利を目指す。


"King"Kennyは、そういう男だ。

そして、Barry はこのV4マシンによってこころゆくまでKennyと戦う

はず、だった。

しかし、不運により彼はその意志を遂げることは出来ず、

また、ワークスV4エンジンはその真価を発揮することはこの年にはなかった..。




そうした、男達の意志の象徴であるかのようなGrand-Prix。だから、

勝つことだけにこだわる連中が参加することを彼らは拒んだ。

その騎士道精神とでもいうべき輝きを失い、ただの争い事に堕落する...

彼らは、ダンディズムを否定されるのが、怖かったのだ....。


しかし....そして、彼らの聖域は侵されて。

その後の凋落は見る影もない。


今、GPは過去の語り草になっている.....。




整然と、V4はアイドリングを続けている。

男達の想いとは、関係なく。

機械。machine、 racing-machine。

こころを飛翔さす、もの....。

そんな、GPが好きだった男達の、夢。

GPマシン・レプリカ。

ただの、偶像。


物理的に、現在のマシンが如何に速かろうが、

GPマシンは、2ストロークでなくては、ならない。

それは、「夢」だから。



靄の如くたなびく、2ストローク・オイルの残滓。



「......公害、だっていわれる訳だよな。」




環境のため、とかで。葬られようとする「夢」。

それは、あたかも挫折する夢想家のようだ。

夢、は。やはりいつかは醒めるもの、かもしれない....。


オイルミストと、ガソリンの混じった2ストローク特有の煙。

まるで、ジタンか何かを喫っているようだ...。

僕は、そんなことを思いながら、漂う煙を見ていた。

スネア・タムのfill-inのように小気味よいBeat。

マルチ・エンジンとは言え、2気筒同時爆発のために殆ど感覚的には

パラレル・ツインに近いsound。

断続的に、勢い良く吐き出される排気煙。

高出力エンジン特有の開放的な音。

全てが、レーサーだ。

歯切れのよい、ハイ・コンプレッションの2stroke特有のsound。

Castrolのracing-oilの焦げる匂い。

なにも変わらない、むかしと同じ。

はなやかだったころ。Grand-Prixの'80's

僕は、EuropeGP、当時に想いを馳せる....。


「だけど....。」


時代は過ぎ去る。

いまや、2strokeは、過去のものになりつつある。

あの、心踊るサウンド、香しきオイルの匂いも、すばらしい加速も。

全て、流れ去る気圏の彼方に消えさる。

美しき、思い出となって。

実存するマシン、RZV500Rはそんな人間たちの想いとは無関係に。

ただ、整然とアイドリングを続けている.....時の、刻みのように。


R31のフロント・グラス越しに、男は標的の姿を確認した...。


「!」




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