第12話 Nissan silvia US12


ブランディ・レッド・メタリックのHONDA。


ワークス・カラー・ホワイトのYAMAHA。





そっと、シートカヴァをめくって見る。

埃をかぶって、赤いNONDAは、永い眠りについている。

ボンネットの“H”オーナメントの金属が、月明かりで浮かび上がって見える。

指でふれると、ざらり、とした砂埃の堆積を感じる。

おまえも、走りたいだろう?。

だけど....。

あまりに、おまえの存在は、重すぎるんだよ。

あの、想い出が....。




街路を、改造マフラーのオートバイが通過する。

4into1の、共鳴音。

乾いたエキゾーストは甲高く、ショートストロークのマルチエンジンは

コンクリートのガレージにヒステリ女の断末魔の如きノイズを撒いて行く。



冷たい夜風に、ふと我に返る。




とりあえず、“7”をガレージに入れよう。


僕は、スロープを昇り、マシンに向かう。



低くうずくまった感じのマシンは、二つの丸いヘッドライトだけが街灯に反射して

猫が道端に丸まっているようにも見える。

エンジンが暖かいので、軽くスロットルを踏み、スタータをまわす。

数秒のクランキング。

エンジンがかかる。

夜なので、すぐにスロットルを戻す。

右側通行し、ガレージに横付けし、バックギアに入れる。

金属的な反応。シフトノヴに。

ゆっくりと、右にステアしながら、バックで舗道に乗り入れ、半地下のガレージに

滑り込む。

コンクリート造りのガレージに、低いアイドル音が響く。

スロットルをすぐに切る。

耳がなじまずに暫くの間、無音と耳鳴り。

シャッターを下ろし、部屋へ向かう階段を上る。

階段の途中の出窓に、月が冷え冷えと青白く光っていた。

廊下の端にある電話機の、コール・ランプが点滅していた。

メッセージがあるのか?

自照式の、オレンジのLEDの灯かりに触れる。

「...。メッセージ・は・イッケン・です。」

無機的な、サンプリング・レートの低いPCMの、女の声が響く。

「.............・。」

無言のまま、切れた。

「...ゴゼン・ナナジ・ジュウニフン・デス。」

悪戯電話だろうか。

もういちど、聞き直す。

「.............・。」

ノイズに、聞き覚えがある。

これは、ディジタル携帯電話のようだ。

時分割多重方式特有のうねり音。

誰だろう。

まさか....。

部屋に戻り、コンピュータの電源を入れた。

インターネット・ニュースを見る為だ。

Real Player を起動し、Daily Newsをチェック。

小さなウインドウの中に、ニュース・コンテンツが多数。

検索ツールで探す。

「行方不明/高速道路/今朝....。」

出てはこない。

別のサイトを検索。

民間放送テレビ局/ラジオ局/新聞社...。

しかし、情報は得られない。

言いようのない焦燥感。

何故だ。

どうして、奴が?

ベッドサイドのピルスナーが、出かけたときのままの状態だ。

金色の飾り縁が、月明かりに照らされている。

時が経っているのが、信じられない様で。

しかし、現実は。

空耳だろうか。

高い音が聞こえている。

断続的に。

いや、これはリアルサウンドだ。

階下のガレージからだ。

廊下を駆けぬけ、ガレージに飛び出す。

"7"の方向だ。


ガレージに降りた時、既に音は止んでいた。

何の音だったのだろう。

隅にある冷蔵庫のコンプレッサーが、

冷たいプランジャの音を立てて、作動し始めた。

低い、ハム・ノイズのような音が響く。

僕は辺りを確かめた。

セキュリティの音じゃない。それならば止むはずはない。

アラーム・イモビライザーでもない。

ふと、自分が帰ってきたばかりだということを思い出す。

"7"のナビ・シートを見る。

デニム・バッグの中の携帯電話。

取り出して、確認する。

グリーンのLEDが光り、暗闇にぼんやりと。

Function#24をコマンドする。

”チャクシン アリ ”

”バンゴウ ナシ ”


カタカナの表示が、事実だけを伝える。

時刻は、数分前だ。








なんとは無く、嫌な予感がする。

父が帰ってこなくなった夜も、こんな感じだった。

別に、普段と変わらない感じで、仕事に出かけていった。

それきりだ。

あのときも、月が綺麗な晩だった。


すべてが消え去ったとしても、記憶だけは消えてなくなることはない。

忘れたい思い出ほど、そういうものなのだ。




その夜、ベッドに入ったあとも、寝つけなかった。

体は疲れているのに、神経が昂ぶり、どうにも眠れない。


「.......。」


バスルームに行き、熱い湯と冷たい水とを交互に浴びる。

こうすると、楽になれる、と、昔読んだハードボイルドの主人公が

やっていたのを真似たのだが。


シャワーの飛沫を感じながら、今日の出来事が頭で反芻する。

まあ、考えても仕方が無い。

僕には関係ないことだから。

変な男が、事故を起して死んだ。

たまたま現場に居合わせただけだ。

そして、ある男が行方不明になった。

それも、僕は現場にいただけのことだ。


まあ、関係ないかな。


シャワーを止め、バスタオルで体を拭く。

鏡に映る自分の顔。


ちょっと見に、死んだ兄貴に似てきたように思えてならない。

そう言えば、もう、兄の年齢を越えている。


兄貴は、優しい男だった。

誰よりも家族、子供を愛していた。

しかし、時の流れは、「家族」というものの価値を矮小化し、

時流に逆らうことなく、家族は軽々しいものに変貌しようとしていた。

考えてもみるがいい。

ひたすら尽くした対象が、わが身を嘲りはじめることを。

その後、兄貴は誇りも輝きも無くし、いつしかつまらない男になってゆく...

新興宗教に傾倒し、いつしか、黄泉の世界を語りだし....。



訃報を聞いたのは、その年の暮れ近い、ある土曜日のことだった....。



男がそれらしく生きるすべを失い、どうして現世に未練があろうか。



僕は、そんなことを取りとめも無く想いながら、鏡に映った自分に、

兄の幻影をオーヴァー・ラップさせていた。


右掌で、鏡に触れてみる。


左利きだった兄の、手の温もりを感じたような錯覚に陥り、ふと鏡を見た。


兄貴が微笑んでいるような、そんな気がした。


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