第10話 cafe


いつもの地下の喫茶店に行く事にした。

入り口の渋色のドアを開け、コンクリートの階段を下って行った。

湿った空気、薄暗さ。

何故か、地下が落ち着く気分の時がある。


「あら、いらっしゃい。」


由布子が、明るい声で迎える。


地下の空気には、あまり似つかわしくない感じ。

すこし気強な、しかしそれを誰も欠点とは思わない所は得な性格。


ストレートのロングヘアが美しい。

今日は茶のリボンでまとめている。

ブリーチアウトのワークシャツ、ジーンズ。

飾り気のなさ。

土臭いカントリーロックのLPジャケットのよう。


「なんにする?」  「レモンジュース、砂糖なし。」


「remon-rockね。」


彼女は奥まったキッチンに向かう。

凛とした、後ろ姿は、魅力的だ。


掌の感触を、思い出してしまう。


「おまち!」


明るく、弾む声、地下に。


どうも、ロフトには似あわない。


いい感じだ。


remonの酸味が刺激的。vibeのハイトーンみたいだ。

Mike-Mainieriの長回しのソロを思い浮かべる。

あれは、[Bullet-Train]だったかな?

いや、[Flying Colours]だったろう。


あのフレーズはサックスでもさまになるよな?


今度、演ってみよう。


もちろん、僕の音にして。


あの曲は、少しエンディングがさみしいから、Liveの時は派手めにいこう。


僕のソロのあとは、ギターに渡して、それから.....



階段を降りてくる足音で、我に顧る。


[Harley-Davidson]のエンブレムのアポロ・キャップ。

ジョン・ベルーシを思わせる黒眼鏡。


横田だ。


"Harley-Davidson"マークの黒い皮の野球帽。

戦闘機乗りのジャンパー。


がっちりとした体に良く似合う。

本当の軍人のようだ。


アドヴェンチャー・クラブでアフリカをうろついていたのも納得できる。

エネルギィのあふれる感じ。

ナックル・ヘッドのようだ。


今日も乗ってきたであろう、FX−1200を想像する。


彼は黙って、カウンターの僕の隣に座る。

白熱電球の明かりが、彼の黒眼鏡で撥ねて拡がる。


「..それで、」

「うむ。」

「どうもその、うまくないな。」

「どういう事?」

「例のブン屋、な。つかまらないんで自分で調べてみたんだが、

どうもその話胡散臭いんだな。」

「?」

「その512の男な、横浜税関がマークしていて、検察が絡んでいるらしい。」

「...わからないよ。」

「まあ、俺もそれ以上解らないんだがな。まあ、多分、その覆面が“別件”

で引っ張 ろうとしたがドジった。てな所じゃないか。」

「でも、その程度のこと、桜田門番だって考えるでしょ?」

「うむ。俺もそう思ったんだ。で、確かめたかったんだが、奴が捕まらん。

社の方にも、出とらんそうだ。特に珍しいことじゃないがな。」

「そう。」

「そのF512の男、肉屋か何からしいんだが、まあ、税関が出てくるんじゃ..」

「そういう仕事をしてた。」

「うむ。」

「まあ、あまり俺達には関係なさそうだな。事故は偶然のようだしな。」

「そうか。まあ、横田がそういうならそうかもな。」

「うむ。」

「..ありがとう。調べてくれて。」

「いや、暇つぶしになっていい。」

「最近、仕事は?」

「見てのとおりだ。」


そう呟き、彼はエスプレッソを啜る。

苦かったのか、太い眉に皺が寄る。


内ポケットからしわくちゃの煙草を取り出す。

短い一本を取り出し、ジッポで炙る。

青白い煙がたなびく。カストロールの混ざったガスみたいだ。

強い芳香でゴロワーズと解る。


「あれ、ショップじゃなかったっけ?」

「最近、これさ。」

「そう。」


それきり、暫く黙っていた。




そうした、一見無為に思える時。

しかし、一番充実感の在る。


彼とはそれほど深い付き合いだ、という訳じゃない。

オートバイ屋で顔見知りになり、なんとなく時々こうしているだけだ。


でも、落ち着く。


白熱電球の明かりに、ゴロワーズの煙が影を落とす。


エスプレッソのカップが、柔らかで素朴な、

信楽焼みたいにも見える曲線を映している。


しばらく、無言のまま、時を過ごした。




「....。」横田が呟く。


「なに?」


静かに、彼は立ち上がる。

重厚な、年期の入ったカウンターテーブルに左手を着いて。


木製の、古い椅子が、軋み音を立て、薄暗い地下に反響する。

今日も、他に客はいない。


「じゃあ。」


由布子。


「まいどッ!」


やはり、地下には不似合いだ。


だが、その明るさに笑みがこぼれる。


横田、黙って肯き、そのまま階段を登る。


僕は、由布子に軽く手を振り、その後に。


由布子が、アルミの盆を抱え、しかめ面をして舌を出している。




階段を昇り、渋色のドアを開け、外に出た。


もうすっかり夜の空気が心地良い。




このあたりは古い問屋街の裏手なので、夜は静かだ。


ここの1階も、古い機械部品屋。

ニス塗りの、木枠に大きなガラス窓。


金文字で、××商会 なんて書いてある。


店の中には、大小のボール箱。


小柄な男が作業服に腕当てをして、伝票を持っている。


薄暗い電球の明かりが、彼の黒縁眼鏡に映っていた。



磨き込まれ、曇りのない硝子。


鈍く光る、アルミニウムのヘッド・カヴァが映る。


FX-1200。


V型2気筒のエンジンから、力強くエキゾーストが伸びる。


無造作に横田は跨り、メイン・スゥイッチを入れた。




太い、襞のない硬質なグリップ。

エンドのメッキ。


フュエルタンクのあざやかな色合い。

厚みのある、メッキフェンダ。


アメリカだ。


普通の日本人には届かない、セル・ボタンを親指で押し、始動する。


削岩機のように轟然と、エンジンは回転を始めた。


不等間隔の爆発音が、馬の並足みたいだ。


テールランプの赤が震えている。


バイク全体が、生き物のように。




でも、なんとなく安堵感。

激しいヴァイブレイション。

「マッサージ機だよ。」


横田は笑う。


左足でシフトを蹴り込んだ。


一瞬、車体が前進する。

ヘッドライトの光が、ゆらゆらと規則的に揺れている。


「じゃあ。」

「.....。」Bell のヘルメットがうなずき、彼は唐突にクラッチ・ミート。


叩き付けるような爆音と、薄紫の煙だけが残り、FX-1200は

ワープしたように瞬間移動した。


単気筒や2気筒のバイク(マシンとは呼びたくない感じ)は、

この瞬間が最高だ。


機械的な摩擦抵抗の少なさが、多気筒には真似の出来ない鋭い反応を作る。



わずかに、オイルの香りを残して、もう赤いテールランプは

小さな点になって雑踏に紛れてしまっている。


遠く、はためくようなBeat。


FX-1200は、走る。

フュエルタンクやメッキのライトに、水銀灯の明かりを映し込んで、

ミルキィ・ウェイのようになって。





僕は、ガレージの中の2サイクルのマシンを思い浮かべていた。


滑らかな曲線のガス・タンク。

しなやかな、女の腰のようなテールカウル。

猫の鳴き声のようなエキゾースト・ノート。

猥雑で汚く、しかもパワフルでヒステリック。

たまらなく魅力的。エロスを感じるほどに。

もっとも人間に近いmachine。


オイル滓すら、有機的に思えてくる。


「また..」

乗ってみるか。


秋の峠道も、いいだろうな。


どこへいこうかな....。


しばらく、ぼんやりとカルボン酸のような高原の雲を思い浮かべていた。






夜の香りが、そこはかとなく。


僕も、戻るとしようか。

パーキングに向かい、暗い裏通りを一人歩く。


雑居ビルの立ち並ぶ一角に、僕のマシンは鈍く光っていた。

無塗装のアルミニウム・ボディ。

低く長いノーズ。

オリーブグリーンのフェンダー。

サイド・エキゾースト。

薄暗い蛍光燈に照らされて、静かに惰眠を貪っている。


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